うらぶれた旧市街の路地から抜け出し、全く正反対の様相を見せる新市街のバーで、マッドは緩
やかに長い脚を組んで、白い指先で葉巻を弄んでいた。口元には柔和だが謎めいた笑みが刷かれ、
黒い眼は落ち着いた梔子色の証明を受けて透明な光を放っている。
ビロードが張り付けられた椅子に優雅に座り込んだ賞金稼ぎは、目の前で恐縮したように蒼褪め
ている、粗末な衣服を着た娘を面白そうに見ていた。
マドレーヌの売り子をしており、マッドとサンダウンにマリー婆さんの家を告げた娘は、二人が
本当にマリーの家に行くかを見届ける為に後をつけ、そして二人に捕まったのだ。
マリーの家近くの路地裏に住まうほど貧しくはないが、決して裕福でもないのだろう。娘は場末
からは程遠い、娼婦もならず者もいない上流貴族だけが集うバーに連れて来られて、完全に色を失
っている。
だが、その眼元に険があるのを見て取ったマッドは、どうやら最初に自分に見惚れていた時のよ
うに――いや、あの時も見惚れているふりをしていただけなのかもしれない――こちらの言う事を
そう簡単には聞いてくれないだろうと思った。
さてどうするか、と思いながらも、声は余裕ぶった笑みを孕む。
「そうかしこまる必要はねぇぜ。質問に素直に答えてくれさえすりゃあ、これはただの俺とのデー
トみてぇなもんなんだから。」
すぐ隣で、私もいる、とサンダウンが呟くのが聞こえたが、無視する。どうせ、この手の尋問に
は役に立たない男だ。
「まずは、なんでマリー婆さんの家があの場所なんて嘘を吐いたんだ?」
「嘘は言ってないわ。」
娘が、上擦った声で、しかし尖って答える。
その声に、マッドは口角をますます持ち上げる。
「ああ、嘘は、な。だがあの場所にマリー婆さんは住んでなかった。俺らがマリー婆さんに逢おう
としてるのに、空き家を教えても意味はねぇ事くらい分かるだろう?」
マッドは、とん、と灰皿に葉巻の灰を落とす。独特の甘い香りが漂うと、それに触発されたよう
に娘が再び口を開いた。
「見ず知らずの人に、そう簡単に知り合いの家を教えるもんですか。大体、貴方達、無断で家に入
ったじゃない。言わなくて正解だったわ。」
「なるほど、つまりお前は婆さんが今住んでる家を知ってるってわけだ。だが、それにしても俺達
をあの家に誘導した理由が分からねぇな。」
「だから、貴方達が。」
「それこそ嘘だろうよ。」
マッドは娘の言い分を制して、極め付ける。
この娘が、マリー婆さんの身を案じて元いた家を伝えたなど、まるきり嘘だ。それならば最初か
ら知らないと言い募れば良いだけだし、逆に元いた家に誘導すれば、周囲の住人から今住んでいる
場所が告げられる可能性だってある。
この娘は、マリー婆さんの身を案じているわけではないはずだ。
「お前、名前は?」
マッドは白々しい娘の顔を見つめて問うた。
別に娘の口から聞かずとも、マッドがその気になればこんな娘一人の名前くらいすぐに調べられ
る。もしもこの娘が口を割らないようなら、この店のマスターなりなんなりを呼びつけて、一瞬で
調べさせても良いのだ。
賞金稼ぎマッド・ドッグの名前は伊達ではないのだ。
隣でもぎゅもぎゅと鶫のソース和えを口に詰め込んでいるサンダウン・キッドの名は、伊達かも
しれないが。マッドのご飯が良い、と呟きつつも、名残惜しそうに肉のなくなった皿のソースを掬
っている男に、マッドはお代わりをウェイターに頼んでやりながら、娘を見つめる。
この尋問に失敗したら、間違いなくサンダウンの所為だ。
しかし、幸いにして娘はしばらくマッドを睨んだ後、呟いた。
「メアリーよ。」
「随分な偶然だな。」
サンダウンがワインをぐびぐびと飲んでいるのを横目で見ながら、マッドは娘の名前に嘆息する。
メアリーはマリーと同じく、聖母マリアから派生した名前だ。イギリスではマリーよりもメアリ
ーのほうが好んでつけられる。
一日に二回も聖母マリアの名前にぶつかるとは、とマッドが思っていると、娘も、私もそう思う
わ、と呟いた。
「父さんは、何を考えてあたしにそんな名前を付けたのか、今でも不思議に思うわ。」
「へえ?」
「だって、別れた前妻の名前を、読み方を変えてつけたんだもの。」
メアリーは、マッドを見据えてそう言った。マッドは葉巻を燻らせて、先を促す。なんとなくだ
が、メアリーの言動の意味するところが、読めてきた。それが真であるが偽であるか、裏を取る必
要はあるだろうが、恐らく予想は当たっている。
「あの、マリーお婆さんって人が、そうよ。あの人は、あたしの父さんの前の奥さんなの。」
サンダウンが、ごくり、と肉を飲み下す音が聞こえた。その後、もしゃもしゃと再び咀嚼する音
が。
マッドはそんなサンダウンの髭に、ソースが付いているのを一瞥してから、視線だけをメアリー
に向ける。
「で、その前妻であるマリー婆さんの周りを、お前がうろついてる理由は?まさか、お前の父親は
そんなご近所に、後妻との居を構えたってのか?」
「まさか。いくら父さんでも、そこまで無神経じゃないわ。あたしの名前に前妻の名前をつけとい
て、言うのもなんだけど。あたし達は別の町に暮らしてたの。」
「じゃ、なんでこの町に来た?」
まさか、わざわざマリー婆さんの末路を見に来たとでも言うのか。だとしたらそれはそれで、無
神経だ。
マッドの問いかけに、メアリーは怯む事はなかった。挑むような気配さえ湛えて、噛みつくよう
に口を開く。
「あたしがまだ小さい頃、母さんがあの人に逢いに行った。それっきり、帰ってこなかったのよ。」
だから、探しにきたの。
いっそ健気なほど、娘は唸った。
しかしマッドは葉巻を燻らせて、その紫煙が行く方向――何故かサンダウンの方向に漂っていく
――を眼で追いかけながら、静かに意地悪く問う。
「なんでお前の母親は、婆さんの所に行ったんだ?」
「それは。」
流石に娘は口ごもった。それこそ無神経で意地悪な女の思惑があったと、感じ取ったに違いなか
った。
だが、すぐに、でもと切り返す。
「だけど、それにして母さんが戻ってこないのはおかしいわ。父さんは身体を悪くして母さんを探
しにいけなくて、そのまま死んでしまった。だから、あたしが真相を見つけ出すのよ。」
薄々分かっている結末を、無理やり闇から引きずり出そうとしているのだ。それを無神経と言う
べきか、それとも被害者の言い分と取るべきか、マッドの天秤はどちらにも傾かなかった。
「それにおかしいのよ、あたし、あの人の娘だとか息子とかの話を聞いてみたんだけど、あの人達
父親はいたって言うのよ。」
「再婚したんだろ。てめぇの父親だってそうだろうが。」
「でも、あの人達の言い方じゃ、再婚したわけじゃなさそうだったわ。」
父親は、ずっと最初から、一人きりだと思っているみたい。貴方達に売りつけた鍋も、その父親
とかっていう人が買ったものよ。父さんはあのマリーって人に、何か買ってあげた事はなかったっ
て言ってたもの。
娘は、誰かを小馬鹿にしたような表情をしていた。