埃っぽい寝室のベッドの上で見つかったのは、その場に相応しいほどに干からびた人間の手首だ
 った。
  これがまだ瑞々しかったら、逆に恐怖をそそっただろうが、朽ちかけた家の中には枯れ木のよう
 な腕が転がっている事に、何ら違和感はない。
  むろん、人間の手首が転がっているという事実に変わりはなく、それはどう考えても事件性があ
 るものだ。
  だが、マッドにもサンダウンにも、どこか、やはり、と思う部分があった。鍋の中に手首があっ
 て、鍋の元の持ち主の家を家探しするに当たって、死体か或いはそれに類する物の発見は想定の範
 囲内だった。
  誰にも使われなくなって久しいベッドの周りは、床が黒ずんでいる事と木屑や埃で覆われている
 事以外は酷く小奇麗で、つい最近でさえ誰も入ってこなかった事を物語っている。
  足跡のない埃の降り積もる床を踏み締めて、マッドはシーツの上に転がった茶色い手を取った。
  かさついた手首は、マッドの白い手の中で見ると、いっそう人間離れして、これがかつて人間だ
 ったとは想像もつかない。
  人間の死体を――あらゆる人間の死体を見てきたものでなければ、これが猿の手だと言われたな
 ら信じてしまいそうなほどだった。
  乾いた荒野を行き交ううちに、途中で斃れ、干からびた人間を見てきたサンダウンから見れば、
 それが人間の手首である事は一目瞭然なのだが。
  しかし死んだばかりの死体を取り扱う事に長けた普通の保安官や、未熟な医者なら、これを見せ
 ても猿の手だと言って片付けてしまいそうだ。
  ほとんどの人間は、死んだら酷く矮小な物体になってしまう事など知らない。
  目の前にいるマッドでさえ、死んだら徐々にくすんでいくに違いないのだ。それを思い出し、サ
 ンダウンは声もなく溜め息を喉の奥にしまい込んだ。

 「見ろよ、キッド。」

  サンダウンが飲み込んだ溜め息の事など知らないマッドは、サンダウンに木の棒にしか見えない
 手首を差し出す。マッドの手の中で、今にもぽっきりと折れてしまいそうなそれを見下ろしたサン
 ダウンは、マッドが何を見せたがっているのか分からなかった。

 「分からねぇか?」

  マッドの声に、どこか面白がるような――状況を楽しむというよりも猟犬の血が騒いでいるのだ
 ――響きが含まれる。
  マッドは、干からびすぎて指を動かせば指が折れてしまうであろう手首を慎重に回転させ、かつ
 ては手の筋があったであろう場所を、人差し指でそっと撫でる。それだけで粉を吹いたその場所に、
 サンダウンは干からびているのとはまた違う黒ずみを見つけた。
  小さいが、折れそうな手首の中で奇妙な固さを見せている。

 「………これは。」
 「多分、釘だ。引っこ抜いてみねぇと確かな事は言えねぇが。でも引っこ抜いたら手首のほうが砕
  けそうだ。」

  手首を見下ろすマッドは、ふとサンダウンに問う。
  
 「あの鍋の中にあった手首は、どうだった?」

  釘が打たれていたかどうか。問われても分からない。
  何せ、あの手首は発見されてすぐに鍋の中に押し戻されたのだ。マッドが気味が悪いと顔を顰め
 ていたので、それ以降は表に出ていない。
  あの時は、マッドもサンダウンもなんで手首が鍋の中にあるんだ、という事できりきりしていた
 のだ。マッドは、あんな気味の悪いもんで料理出来るかと吠え、サンダウンはそれを宥めるので手
 が一杯だった。
  詳しく手首を見ようともしなかった。
  冷静になったのは一夜明けた今日になってからだ。しかしそれも、サンダウンがマッドとデート
 だ、と言った事でマッドがむくれたりして、手首を調べてみようという話が持ち出される事はなか
 った。

 「つまりは、てめぇの所為だな。」

  あんたが鍋の中を確認しなかったから、あんたがデートだのクリスマスの夜市だの言うから。
  マッドは、ふん、と鼻を鳴らす。

    「こんな事に巻き込んでおきながら、碌な観察もしてねぇとか、どうなんだ。」
 「………それなら、こんな事は止めたらどうだ。」

  サンダウンも、むう、として呟く。
  サンダウンとしては、鍋の中の手首などどうでも良い。手首の履いていた鍋が気味悪いというな
 ら買い替えれば良いだけの話である。マッドも鍋は買い替えろと言っていた。
  だが、そこからこうして家探しまでしているのは、マッドの意向を踏まえてである。マッドが面
 倒な容疑をかけられたくないと言うから、こんな手間な捜査をしているのだ。サンダウンは、別に
 放っておいても変な容疑などかからないと思う。
  サンダウンは、最終的にはマッドの作ったクリスマスケーキが食べられたらそれでいい。そこに
 辿り着くまでの時間が短ければ短いほどいい。
  しかし、サンダウンの言い分は、マッドに鼻先で嗤われた。

 「馬鹿じゃねぇのかあんた。クリスマスは例年変わらず25日なんだから、クリスマスケーキを食う
  のが、何をどうしたら早まるって言うんだよ。」

  マッドの中では、クリスマスケーキと銘打たれている以上、それはクリスマスに食うべきである
 らしい。
  サンダウンは、マッドが作ったのならクリスマスでなくても食べたいのだが。しかしそれは既に
 クリスマスケーキではなく、ただのケーキである。
  いや、別にケーキでなくとも。

 「早く、ご飯が食べたい………。」
 「マドレーヌ食ってただろうが、四つ全部。一人で。」

  あれはマッドが作ったものではない。
  しかも、マドレーヌと言った事で、マッドの思考は再びクリスマスケーキから干からびた手首の
 事に戻る。凄まじい思考の振り幅である。

 「そうだ。あの売り子に話を聞かねぇとな。なんでマリー婆さんとやらが、この家に住んでるなん
  て言ったのか。きっと何か知ってるぜ。」

  どう考えても人が住んでいない家に誘導したのは何故か。
  単純に引っ越した事を知らなかったのか。それとも他に思惑があったのか。
  クリスマスケーキを食いたいというサンダウンの思惑よりも、マッドはそちらの思惑を推測する
 事を優先させ始め、サンダウンはもはや口出しすらできない。サンダウンがマッドに口出しできた
 試しなど一度もないのだが。
  枯れた手首を紙で包み、マッドは行くぞ、と埃に塗れた部屋を出ていく。白く視界が霞む事も気
 にならないようだ。
  立て付けの悪い扉をマッドは再び開き、そして立ち止まる。

 「ほら、俺の勘は当たってただろ?」

  そう言って振り返るマッドの肩越しに、あの売り子の蒼褪めた顔が見えた。