マッドの白い手が、黒くささくれた木の扉を叩く。木目も分からぬほどに古びた木の扉と、繊細
 で細いマッドの手を見比べながら、ガブリエルもこうしてマリアに受胎告知を行ったのだろうかと
 サンダウンは思った。
  マッドが扉を叩くたびに、ぶら下がった彼女の名前が書かれた木札が揺れる。今にも千切れそう
 な紐が揺れ動くのを見て、マッドは扉を叩くのを止めた。
  小屋の中から、返事はない。
  何処にあるか分からぬ木目を見つめながら、マッドは言った。

 「留守か、それとも居留守か。」

  小首を傾げたマッドは、けれどもだからと言って諦めるほど往生際の良い人間ではない。
  木目を叩いていた白い指は、今度は節くれたドアノブに絡みつく。そして躊躇いなく、回す。
  何かが擦れ合うような音がしたかと思った直後、軋む音がした。ドアノブが回り、扉が開いたの
 だ。その様に、マッドが口角を少しだけ持ち上げた。唇が、居留守か、と形作る。声は聞こえない。
  普通ならば、ドアが開いていたからと言って、家の中に踏み込んだりはしない。それは勿論犯罪
 だ。けれども鍋の中に手首があったという事実を知っているマッドとサンダウンにしてみれば、も
 はやそれだけで家の中に踏み込むのは当然だった。
  居留守であろうと、なかろうと。本当に留守であったとしても。
  受胎告知をしたガブリエルも、きっとマリアの返事を待たずして家の中に押入ったはずだ。神の
 名の元に。もしかしたら、マッドのようにノックさえしなかったかもしれない。天使とは、ある意
 味非常識だから。
  平和であるマリー婆さんの家に押し込んだ、天使ならぬ賞金首と賞金稼ぎは、家の中に踏み込ん
 だ瞬間に顔を顰めた。
  家の中は酷く埃っぽかったのだ。扉を開いた拍子に、床に積もっていた埃が一斉に舞い上がって
 しまったようだ。
  白く煙る視界に、マッドが眉を顰める。綺麗物好きのマッドには、この状態は耐え難いのかもし
 れない。普段は血飛沫も気にしない男のくせに。

 「ひでぇな。」

  床を見下ろして、マッドが零す。見下ろした木の床は、埃と木屑とが降り積もり、雪でも降った
 かのように真っ白だった。そしてそこには、足跡はついていない。
  つまり、しばらくの間、この家には人が入っていないという事だ。
  どういう事だ、とサンダウンがマッドを見れば、マッドもサンダウンを見上げている。

 「マリー婆さんの家は、此処で間違いねぇよな。」
 「あの娘の言っていた家の特徴に合っている………。」

  古びた家で、玄関先に『Mary』と書かれた木札が垂れ下がっている。
  それはこの家以外にはない。

 「だけどよ、この状況を見る限り、この家に誰かがいた形跡はねぇぜ。」

  真っ白に降り積もった埃。それはたった今マッドが扉を開くまで、動かされていなかった。足跡
 もない。

 「他に入口があるのかもしれない。」

  呟いたサンダウンに、マッドは、それならそこで待っていろと言って踵を返し、埃の積もり玄関
 から出ていく。
  しばらくの間、マッドの姿は戻ってこなかった。代わりに家の奥のほうで、何かがガタガタと揺
 れ動く音がする。その音は、窓を揺れ動かしている風の音に似ていた。サンダウンがその音に耳を
 傾けていると、やがて音は止まり、しばらくしてマッドが戻ってきた。

 「駄目だな、ここ以外に入れそうな扉はねぇ。裏口なんてものはねぇし、確かに窓はあるが俺が中
  を覗いた限りじゃ、そこも此処と同じような感じだ。埃に塗れてて、人がいた気配はねぇな。」
 「………ならば、やはり別人の家だと?」
 「さあ……まだそうとは決められねぇ。此処に住んでたけど、今は別の場所にいるって可能性もあ
  る。ただ、その場合、あのマドレーヌの売り子がその事を知らなかったのかってのが気になる。」

  如何にもマリー婆さんの事を知っていそうな口ぶりだったのに。
  マッドの黒い眼が細められ、サンダウンを通り越して凄く遠くを眺め始める。何かを考えている
 のだ。賞金稼ぎの王者として、彼は己の知識を練り上げて、何らかの仮説を立てようとしている。
  遠い眼をしたまま、マッドは譫言のように囁く。
  
 「ひとまず、家の中を調べてみるか。何か出てくるかもしれねぇ。」

  珍妙な事に巻き込まれた、など既に考えもしていないのかもしれない。マッドの声も上の空の色
 合いだ。
  そんなマッドと共に、サンダウンは埃を踏み散らかさないように――荒らして妙な嫌疑をかけら
 れたくないという思いと、状態を保管しておかなくてはならないという思いと、荒らせば埃が舞い
 散って嫌だという思いとが交錯し合っている――床を静かに踏み締める。
  部屋から部屋へと渡り歩く間、二人は自分達以外の足跡を見る事はなかった。床の上に落ちてい
 るのは、埃と木屑、壁に取り付けられていたのが朽ちて落ちた棚、そしていつ落ちたのか分からな
 い絵本などだった。
  やがて、二人はそう大きくもない家の中で、僅かに対人の為に作られたのであろう部屋に出た。
 応接室というには質素で、どちらかと言えば家族で寛ぐ居間を、人と会う為にも整えたといった態
 をしている。
  木のテーブルに、簡素な椅子が四つ並び、クッションが敷かれている。窓にはカーテンがあるが
 カーテンは閉じていない。そこから家の中を覗いたのだとマッドは言った。
  部屋の隅は、既に枯れて一体どれほど経つのか、クリスマスツリーが置いてあった。クリスマス
 ツリーの分かったのは、その周りに丸いオーナメントが転がっていたからだ。
  どう考えても人の気配のない家の中に、けれども困惑しているだけというわけにも行かず、マッ
 ドとサンダウンは最後の一番奥の部屋を開く。
  閉ざされて窓もないそこは、どの部屋よりも埃っぽい。
  白く粗末なベッドが置かれたその部屋は、寝室だった。二つ並べられたベッドが、そこは夫婦の
 ものであったのだろうと示す。もっとも、その部屋の主人は既に夫婦ではなく、埃に取って代わら
 れているのだが。
  此処が、マリー婆さんとその夫の寝室だったのだろう。
  しかし、そう思うよりも早く、視覚に飛び込んでくるものがあった。それを見た瞬間に、マッド
 が深い溜め息を吐いて、埃っぽい空気を震わせる。

 「まるで、俺達が来るのを待ち兼ねてたみてぇだな?」

  声は微かに笑いを孕んでいるが、しかしマッドの眼を見れば鋭い光を帯びている。
  埃っぽい臭いを醸し出している白いシーツの上。叩けば羽毛ではなく埃で視界が霞むようなベッ
 ドの上に、それは転がっていた。
  まるで枯れ果てた木の枝のような姿。

 「鍋の中にある腕の、片割れだろうな?」

  やはり干からびた人間の腕が、無造作に落ちていた。