道すがら、サンダウンはもりもりとマドレーヌを頬張っている。マッドが、頬を染め上げた娘か
 ら購入したマドレーヌは、娘の意図するところとは全く別の男の胃袋の中に入る事になったのであ
 る。
  しかしそんな現実は、サンダウンの知ったところではない。サンダウンの現実は、マッドが購入
 したマドレーヌが自分の胃袋に入ったという事だけである。個人的には、マッドが作った物が食べ
 たいという不遜な願望はあるが、それを差し置いてもマドレーヌを食べる事が出来たという事実を
 無碍にするつもりはない。
  もりもりと食べながら、しかし別の部分が気にかかっていたサンダウンは、マッドに問いかける。

 「………嫁って、なんだ。」

  マッドが鍋について問い合わせる時に告げた言葉が、サンダウンの喉の奥に引っかかり、マドレ
 ーヌを食べる事の邪魔をしている。
  だが、それに対してマッドはにべもない。

 「てめぇだって、鍋を買う時に嫁を引き合いに出したじゃねぇか。」
 「あれは鍋を買う作戦のうちだ。」 
 「俺だってそうだ。」

  双方、互いに嫁などいない。
  互いに、相手は嫁などいないだろうと考えている。マッドのほうは、サンダウンには生き別れた
 嫁の一人や二人くらいはいるかもしれないとは考えているが、目下のところ嫁が存在しているよう
 には見えないので一応独身だと考えている。
  サンダウンは、マッドは独身だと何故か信じ込んでいる。いや、別に嫁がいたとしてもそれを責
 めはしないが、軽く動揺はするだろう。
  これ以上、嫁の事を言い合っても、なんとなく自分が傷つくだけだと感じ取ったのか、サンダウ
 ンは口を閉ざし、マドレーヌを消化する事に専念する。
  二人で人の賑わう通りを抜けて、ごみごみした路地裏へと向かう。大通りやバザーが開かれてい
 た広場は、綺麗に石畳が敷かれていたのに対し、古い木造住宅が立ち並ぶ路地裏は舗装されておら
 ず、乾いているが凍えを放つ砂が足元を通り過ぎていく。

 「こっちが、一番最初に出来た地区なんだろうな。」

  再びマフラーで口元を覆い隠してしまったマッドが、くぐもった声で呟いた。
  西部の町と言うのは、大抵が始まりは小さなものだ。最初から大きな町を作ろうとしたものは、
 金鉱脈近くのものくらいで、そうした町は基本的にはゴールド・ラッシュの波と共に、ゴースト・
 タウンに変貌している。
  だが、元々人が必要だと思い集まり、一人一人が小さな木切れや煉瓦や石を持ち寄って、町らし
 きものを作り始め、そうして出来た町と言うのは、必要だと思われる場所に作られたからこそ、な
 かなか消えないものだ。
  古い質素な町に徐々に人が集まり、集まった人が更に物を持ち寄って町を大きくし、やがては立
 派な道が出来て、銀行だの新聞社だのホテルだのが立ち並ぶ。
  この町も、そうした町の一つなのだろう。
  徐々に大きくなった町と言うのは、何処かに一番年老いた部分を残している。初めて出来た時の
 街並みが、人気のない、傍目から見ればスラムのように見せる場所に残っているのだ。

 「あんたに鍋を売りつけた婆さんは、この町が出来た当初からいた町の住人なのかもな。」

  西へ西へと進む開拓民ではなく、この町に永住する事を決めた一人なのだろう。何を思い、この
 町に根差したのかは、推し量るすべもないが。
  そして彼女の夫というのも、同じくこの町に永住する事を決めた一人だったのだろうか。金鉱脈
 に夢見たのか、それとも西へ進む事に意義を求めたりしなかったのか。

 「お前は、」

  サンダウンはマドレーヌを飲み込んで、マッドを横目で見る。マッドの表情は、マフラーと帽子
 に隠されて窺い見れない。

 「……あの手首は、老婆の夫のものだと思っているのか?」
 「知らねぇよ。」

  マッドはサンダウンの問いに、首を竦めた。

 「俺は、マリー婆さんだっけ?その婆さんに会った事もねぇんだぜ?俺が知ってるのはその婆さん
  が夫に鍋を買って貰ったって事と、それを嬉しそうにあんたに話したって事、そんでその鍋に干
  からびた人間の手首が入ってたって事だけだ。」

  何かを推理するには、全く以て情報が足りない。
  もしも直に出会っていたのなら、その眼の奥に移ろう何かを、賞金稼ぎの卓越した鼻先が嗅ぎ取
 ったかもしれないが。
  しかし、何れにせよ悉くが憶測にすぎない。憶測のみで動くほど、賞金稼ぎマッド・ドッグは己
 を過信してはいない。

 「ただ、その婆さんが怪しいのは確かだろ?だからこうやって調べてるんだ。」

  わざわざ、休暇を返上してまで。
  休暇、というところに重きを置いたマッドは、しかしそれ以上休暇云々に拘るつもりはないよう
 だ。
  事実、それにしても、と次にマッドが口にしたのは休暇の話に近いが、別方向を向いた話だった
 のだ。

 「マリーねぇ……。珍しい名前じゃねぇが、クリスマス時期に聞くと何とも言えない気分になるな。」

  実際その名前をつけられた女はどう思ってんのかね、とクリスマスにお祭り騒ぎ以上の意味を見
 出してなさそうな、しかし妙に教養だけはある賞金稼ぎは嘯く。
  マッドの言う通り、マリーは好まれて――特にカトリックの間では、良く付けられる名前だ。そ
 れもそのはず、マリーやメアリという名は聖母マリアの名前から派生したものだからだ。故に、キ
 リストの母であるマリアも信仰対象としているカトリックでは、その名の人気は高い。 
  だから、このクリスマス時期――キリストの生誕祭であるこの時期に、その名を聞くと微妙だ、
 とマッドは言っているのだ。
  珍しい名前ではないし、名づけられた当人達もそんな事は気にしないだろう、とサンダウンは呟
 く。
  すると、マッドは何かえも言われぬ色の光を眼に湛えてサンダウンを見据えた。が、すぐに眼を
 逸らし、そうか、と答える。
  マッドの一抹の眼差しに、サンダウンは何か見落とした気分になったが、しかしそれはマッドの
 琴線に触れる部分であろうと何気に察知出来たので、それ以上は言葉の後を追おうとは思わなかっ
 た。
  それに、サンダウンがマッドの言葉や眼差しを追及する前に、マッドがあれだ、と人差し指を伸
 ばし、とある一点を指し示した。
  マッドが指差した方向には、うらぶれてくすんだ木の扉が、立て付けも悪いままに閉ざされてい
 る小さな家があった。両側も同じような薄暗い家に囲まれて、酷く落ち窪んでいるように見える。
  ただ、それでもその家が聖母マリアと同じ名である老婆が住む事を示す為に、木の扉には、扉と
 同じくらい黒ずんだ木の板がぶら下がっており、そこに『Mary』と墨か何かで書かれていた。