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  腹痛を訴えるマッドを抱え、サンダウンは村までの道をひた走る。
  頼りなくきゅうと鳴くマッドは、いつもの憎まれ口を叩く気力もないようだ。先程、サンダウン
 がどうしてこうなったと問うた時は、おれにさからったガキを川でぎったんぎったんにしてやった
 んだ、と己の武勇伝を自慢げに話して一瞬元気になったのだが。
  微かに悪魔のような笑い声を上げた後、マッドは再び倒れ伏して、きゅんきゅんと痛みを訴えた。
 なのでサンダウンは、川辺で何があったのかも気になったのだが、取り急ぎマッドの腹痛を直して
 やる事が先決だと考えた。
  マッドにふかふかのコートを着せ、身体が冷えないようにしてから医者へと見せるべくマッドを
 抱えて村への道のりを急ぐ。
  トカゲ達もついてこようとしていたが、なんだか色々と面倒臭そうだったので、彼らは全員家の
 中に閉じ込めておいた。扉を閉じた時、非常に恨めしそうな声が聞こえたので、帰った時、トカゲ
 の群れに飛び掛かられるかもしれない。
  しかし今はそれよりもマッドの事が重要である。
  これまで怪我らしい怪我も、病気らしい病気もした事のないマッドが、こうしてきゅんきゅんと
 鳴いているのだ。サンダウンの中にも少しばかり焦りがある。おそらく、川辺で遊んで身体が冷え
 た所為だろうが、万が一という事もある。
  妙な病気ではなように、と祈りながら、鬼火を灯したカボチャは、暗い森の中をひたすらに走っ
 た。





  偏屈な狸の医者が暮らしている木の洞に辿り着いた時、空は既に最後の西日の帯さえも失ってい
 た。代わりに星を真珠の粉のように塗した裾を引き下ろしている。
  橡の木で作った柵を飛び越えた先には、小さな畑と、医者が診療所兼住居としている洞が重々し
 く扉を閉じていた。
  呼び鈴も飾りも何もない、素っ気ない扉をサンダウンは押し開く。すると、中からむっとするよ
 うな薬品臭い空気が流れ出してきた。軋んだ扉の音が、その匂いに良く似合っている。
  軋む音に気が付いたのか、仄暗いランプの明かりの下から、きらりと輝く獣の眼が蠢いた。ぎょ
 ろりとした眼をそのまま音声化したような、しわがれた声が薬品の匂いのする空気を掻き混ぜる。

 「ふん……こんな時間に誰かと思えば、鬼火か。」

  確かに既に日は暮れているが、こんな時間、と言われるほど遅い時間ではない。きっとこれは鬼
 火であるサンダウンへの当て付けのようなものだろう。他の、例えば獣人であったなら、こんな言
 われ方はしないはずだ。

  カボチャを依代とする鬼火であるサンダウンは、天にも地にも逝く事が出来ない。ひたすらに虚
 空を彷徨う鬼火という存在は、悪魔でさえも憐れむほどに、生きとし生けるものから拒まれ恐れら
 れ、疎まれる。
  サンダウンもその事は重々承知しており、普段ならば他の存在には関わろうとは思わない。
  だが、腕の中にいる黒い子犬の獣人の事ともなれば話は別だ。マッドは生きとし生けるものであ
 り、鬼火であるサンダウンには決して起こり得ぬ、病や怪我と隣り合わせに生きている。故に、必
 然的にマッドは他の存在と係らなくてはならない。そうなると、マッドを養うサンダウンも、他者
 と交わらなくてはならない。
  そしてその事は、他の獣人達も承知しているのか、おそらく普通の鬼火ならば門前払いされそう
 なところを、こうして家の中にまで入る事を許されている。サンダウンがマッドという子犬を養っ
 ている事は、獣人達にも周知の事実であり、己が同朋を無碍に扱う事も出来ないのだろう。
  現に、むっつりとした顔で狸の獣人は、忌々しげに、しかし、何があったのかと問うてくる。
  問いに対して、サンダウンはきゅんきゅんと鳴いているマッドを寝台に乗せた。丸くなっている
 マッドはふるふると震えている。
  そんなマッドを一目見るなり、医者は一喝した。

 「貴様!何をした!」
 「……川で獣人の子供達をぎったんぎったんにしたそうだ。」

  サンダウンは、マッドの言葉を正しく医者に伝える。するとそれを聞いていたのか、マッドが小
 さく呟いた。

 「おれの魚をよこどりしようとするから、あんな目にあうんだぞ。」

  くけけけけ、と悪魔の笑い声を残して、マッドは再び痛みに鳴き始める。
  どうやら、自分の魚を横取りしようとした獣人の子供達を叩きのめしたというのが真相であるよ
 うだ。

 「貴様の監督不行き届きだ!」
 「……………。」

  それは、何に対する、だ。
  マッドが川に行く事を止めなかった事について言っているのか、獣人の子供達を恐らく嬉々とし
 てふるぼっこにした事か。サンダウンとしてはマッドの魚を横取りしようとした輩が悪いと思うの
 だが。

 「貴様の所為で、こんな事になったのだ!」
 「……それで、病名は?」
 「ただの風邪だ!」
 「………………。」
 
  そんな気はしていた。
  獣人共は、マッドの事になるとやたら騒ぐ傾向にあるのだ。
  しまいには、入院しろ、とまで言い始めた医者に、サンダウンは冷めた視線をカボチャ越しに向
 ける。しかしそんな冷めた視線は、獣人には通じない。鬼火を疎んじているはずなのに、何故サン
 ダウンの眼差しに恐れ慄かないのか。
  そこへ、むくりとマッドが起き上がった。時間が経って腹痛が収まり始めたのかもしれない。起
 き上がったマッドは医者とサンダウンを見比べると、サンダウンに向き直る。

 「キッド、かえるぞ。」

  短い手を精一杯伸ばしてサンダウンに、抱っこを命じるマッドに、サンダウンは言われた通りに
 身体を抱き上げる。つまり、マッドの入院は立ち消えになったというわけだ。
  そんなサンダウンとマッドに、医者は憎まれ口を叩きながらも薬を渡し、何故かお土産にサツマ
 イモまで添えてきた。それらを持ち、医者に見送られながら、二人は帰途に着いたのである。

 



  家に辿り着いて扉を開くと、妙に魚臭かった。
  む、として家の中を見回すと、トカゲ達がいた。彼らは何かをやり遂げたかのような顔をして、
 サンダウンとマッドを見上げている。
  サンダウンがトカゲの向こう側を見ると、内臓を取り出されて開かれ、今にも干物にされそうな
 様子の魚が床に積み上げられていた。なお、取り出された内臓は、バケツの中に綺麗に収まってい
 る。
  トカゲ達の仕業であるようだが、どのような業で魚を開きにしたのか、サンダウンには皆目見当
 もつかなかった。
  一仕事終えた感のあるトカゲ達は、サンダウンを見上げて、きぃきぃと鳴く。マッドの様子はど
 うなのかと気になっているらしい。が、魚臭いトカゲをマッドに近寄らせるわけにはいかない。サ
 ンダウンはトカゲ達に風呂に入る事を命じると、マッドを寝床に連れていく。その背後では、トカ
 ゲ達が列をなして風呂場に向かっている。

 「もうだいじょうぶなんだぞ。」

  腹の痛みが退いてきたらしく、マッドはもぞもぞと寝床から出ようとするが、サンダウンはそれ
 を押しとどめる。騒いで、またぶり返したら今度こそ冗談抜きで監督不行き届きである。少なくと
 も今夜は安静にしておくべきだろう。
  すると、マッドはぷくんと頬を膨らませて、こどもあつかいするんじゃねぇ、と言い出した。
  が、サンダウンの眼から見れば、どう考えても子供である。チビである。ついでに言うならば、
 子供でなければ一体何故川辺で喧嘩をしたりするものか。
  マッドの寝床のある小さな部屋で、サンダウンはマッドを見下ろし、大人しくしているんだ、と
 何度も言い聞かせ、納得していない顔のマッドを置いて部屋から出る。
  ぱたりと扉を閉めたところで、足元で湯気が立ち上っている事に気が付いた。見下ろせば、ほか
 ほかのトカゲ達がサンダウンを取り囲んで見上げている。風呂から上がったようだ。
  一匹が、きぃ、と鳴いた。

 「駄目だ。」

  トカゲの言葉は分からないが、とりあえずマッドの傍にやるわけにはいかない。今は落ち着いて
 いるが、マッドは一応風邪を引いているらしいのだ。ならば、そんなマッドの傍にトカゲをやって、
 トカゲに風邪が移れば、ますますわけのわからない事になる事は眼に見えていた。
  すると、抗議するようにトカゲ達が一斉に騒ぎ始めた。きぃきぃきゅいきゅいと煩い。
  トカゲ達の声を聞きつけたのか、扉の向こうでマッドも騒ぎ始めた。

 「あけろー!ここをあけろー!このおれさまを、こんなとこにとじこめていいとおもってんのか!」

  あけろあけろと言うマッドの声に合わせて、トカゲ達もきゅいきゅいと鳴く。意味不明な一体感
 である。

 「さてはてめぇ、このおれがいないのをいいことに、そいつらにうもれてねるつもりだな!それを
  ねらってたんだな!」

  違う。
  トカゲは確かにふかふかだが、そんな事を狙った事は一度もない。大体お前はさっきまで腹痛で
 丸くなっていたではないか。何故もうそんなに元気なのか。

 「だせー!ここからだせー!カボチャのぶんざいでなまいきだぞー!」

  吠える犬と騒ぐトカゲに囲まれたサンダウンは、とにかく途方に暮れた。