俺の隣に、茶色い馬がいる。
主人に良く似て茶色に育った馬は、もしゃもしゃと飼い葉桶に顔を突っ込み、飼い葉を食べてい
た。
その様子を、俺は鼻先で嗤う。
クリスマス週間だというのに、飼い葉だけが飯であるなど、憐れなものだ。その時くらい、それ
なりの餌を食べても良いだろうに、貧相な餌を与えられているなど、如何に主人の懐具合が寂しい
かが良く分かる。
それに対して、この俺はといえば、クリスマス当日には人参が口に出来る事が確約されている。
むろん、それを御主人本人の口から聞いたわけではないが、クリスマスは毎年そうだったし、御
主人が大量に人参を買い込んでいるのを俺は目撃している。
まさか、あの大量の人参が、全てグラッセに変貌するとは考えにくい。
人参色の夢に笑みを浮かべる俺を、貧相な茶色の馬が胡散臭そうに眺めていたが、そんなのは負
け犬の遠吠えみたいなもんである。
俺はぐっふっふっふと笑いつつ、思考を人参色に染め上げる。
しかし、そこまでだった。
人参一色だった俺の世界は、唐突に暗闇に染まってしまった。それどころか、俺は茶色い馬が隣
にいる厩そのものから、消えてしまったのである。
後には、茶色い馬がもっしゃもっしゃと飼い葉を食べているだけだった。
クリスマスですね、こんばんわ。
O.ディオです。
俺は御主人と一緒にクリスマスを過ごす為、とある街のホテルに泊まっています。
今年一年、思う存分に働いた御主人は、羽を伸ばす為にリッチなホテルに泊まって、年明けまで
まったりと過ごすつもりだった。勿論、御主人の愛馬であるこの俺様も、リッチなホテルの厩でぬ
くぬくと過ごすのだ。
ただ、気になるのは俺の厩の隣に、見慣れた茶色い馬がいた事だ。
酷く胸騒ぎがする。もしかしたらオディオの力を使って人間化し、御主人の様子を見にいったほ
うが良いんじゃないだろうか。わりと本気で、俺はそう思っていた。
しかし俺が事を起こす前に、俺の視界は暗闇に閉ざされてしまった。
何事か。
いや、何事かと思う必要もない。俺を暗闇に放り込んだそれからは、確かに懐かしくもおぞまし
い気配がしていたのだから。
この俺のうちうちにも溜まりこんでいるもの。
憎しみ。
或いは、オディオ。
ずるりと俺を飲み込んで、厩から連れ去った。きっと連れ去られた後の厩は、まるでミステリィ
の完全犯罪が起きた部屋のようだっただろう。とりあえず、俺がいなくなった空の厩を、御主人に
見られない事を祈るしかない。
つーかだな。
俺は暗闇の中、円陣を組むように集まっている連中を睨み付けた。
「この俺様に何の用だ。俺はてめぇらと違って、忙しいんだ。さっさと元の世界に戻しやがれ。」
まるで発光しているように闇の中でもくっきりと見える奴らは、けれどもその姿は後光なんてい
神々しいものではない。むしろ禍々しい。
ちょうど、この俺と同じように。
見の内々に憎しみとやらを降り積もらせた七体のオディオを見て、俺はふんと鼻息を荒くする。
あらゆる時代、あらゆる場所に存在する俺達は、しかしその火種を握り潰されて、結局奥へ奥へと
追いやられた。
そのほとんどは消滅してこうした闇の中に漂うしかなく、消滅しなかったとしても既に人の世界
に手を下せる力は精神的にも物理的にも残っていない。
俺のように、自由に動き回れるオディオというのは、存在しないに違いない。
「聞いてんのか、てめぇら。てめぇらはそうやって暇を弄んで、オディオ同士仲良くする以外にや
る事はねぇんだろうけど、この俺は違うんだ。てめぇらと愚痴り合ってる暇なんかねぇ。」
「……人参の事ばかり考えておった奴が偉そうに。」
踏み潰された蛙のような声で、その声の通り醜悪な蛙の姿をしたオディオが呻く。口から零れ出
る毒々しい色の舌が、おぞましさを誘う。
「ふん、そもそもオディオの分際で只人に懐くなど、もっての外。所詮貴様はその程度の存在でし
かないという事だ。」
「自分の息の根を止めなかった相手に媚びへつらうような奴だ。まあ、最強にもなれん奴にそうや
って媚びるのは、お前にはぴったりかもしれないがな。」
イケメンとハゲの台詞に、俺はもう一度、荒々しく鼻を鳴らした。
「オディオの中でも一番格下のてめぇらが、何を言ってやがる。」
人間の姿を破れぬまま、オディオとなった輩は、その内々に秘めたものが尤も小さい。俺が本気
になれば、一瞬で捻り潰せるだろう。面倒臭いしオディオ同士が潰し合うのもアホらしいのでしな
いが、このまま俺様の邪魔をするようならば、捩じり切る事も検討しなくてはならないだろう。
蛙は少々面倒な相手ではあるが、勝てない相手ではない。
他の連中も同じだ。
恐竜とコンピュータも、せいぜいイケメンとハゲと同程度のオディオしか持っていない。インコ
は少々面倒ではあるが、けれども本気を出せば勝てるだろう。
俺は鼻息を荒くして、地面――闇に包まれてるので地面なんてないけど――を掻いて、身を低く
する。
いつでも飛びかかれる。臨戦態勢だ。
「は!馬のままで戦うつもりか、我らと!」
「おもしろい!やってやろう!」
ハゲとイケメンが立ち上がり、高笑いしそうな勢いで叫ぶ。その台詞だけを聞けば余裕綽々と言
わんばかりだが、俺は気づいている。奴らの台詞の語尾が震えている事を。
それはそうだろう。
馬のままでも俺のオディオはまだ十分残っているし、そもそもこの俺様がいつ人間化するのか、
奴らには分からないのだ。もしも俺が突然人間化しガトリングをぶちかまそうものなら、人間であ
る奴らは一瞬で蜂の巣になる。
奴らが得意とするのは接近戦だが、よくこの距離なら接近戦のほうが(以下略)とかほざく奴ら
がいるが、拳とガトリングだったら、殺傷能力が高いのはどう考えてもガトリングだ。奴らが勢い
つけて俺に殴り掛かってくる間に、俺は引き金を引くだけで良い。
くけけけけけ、と邪悪な声で笑っていると、凛とした、けれども酷くおぞましい声が闇を打った。
その声に、その場にいたオディオ全員が姿勢を正す。
俺も、図らずとも硬直しそうになったが、しかしそれを耐えた。よもや賞金稼ぎマッド・ドッグ
の愛馬とあろうものが、たかが魔王一人にたじろいではいけない。それは御主人の名が廃るという
ものだ。
そんな思いで俺が闇を睨んでいると、ゆらりと円陣の中で今までひっそりと謙虚にしていた影が、
とうとう肉色の翼を広げた。
「強がりは結構だ。お前達二人が、この黒馬に勝てない事は明白だ。」
鬱金色の髪の魔王に、きっぱりと言い切られたイケメンとハゲは何か反論しようとして口を閉ざ
す。如何にアホでも、圧倒的な実力値は分かるらしい。それとも本能で悟っているのか。
悔しそうに押し黙るイケメンとハゲに舌を出していると、そんな俺を見咎めたわけでもないだろ
うに、魔王は血色の悪い指先を俺に向けた。
「お前も、いつまでもオディオの力を以前と同様に使いこなせているわけではあるまい。……牙を
抜かれている事に、変わりはないのだからな。」
ぬ。
魔王の台詞に、俺は一瞬絶句した。
確かに、俺は人間になった時、以前のようにガトリングを振り回す、むきむきの騎兵隊の姿を取
る事は難しくなっていたのだ。それはもはや、俺の主が憎しみを持ち続けた第七騎兵隊から擦り変
わりつつあるからだろう。俺の人間時の姿は、その時の主人の姿を映し出すのだ。
今は、そう。クレイジー・バンチを率いていた時とは正反対の姿――バントラインを持つ麗しい
黒髪の賞金稼ぎの姿をとるのだ。
つまり、オディオの中で、今までリーとかいうのが一番イケメンで、だから俺はずっとイケメン
イケメンと呼んでいたのだが、これからは俺が一番イケメンになってしまう。これからはあの男は
二番目イケメンと呼ぶ事にしよう。
「何を考えとるか、貴様!」
うむ、と頷く俺に鋭く突っ込んできたのは、二番目イケメンである。
そんなに俺に負けたのが悔しいのか。
鼻先で二位の座に転落した二番目イケメンを嗤ってやると、そいつはそいつで、悪あがきをし始
めた。
「ふん!そのようなひ弱な姿になったという事は、お前も所詮は弱者の一人。オディオの力も弱ま
り、結局はただの馬に成り下がるだけだろう!」
「はん、俺の御主人の身体なめんじゃねぇぞ!てめぇなんぞ、俺の御主人がその気になりゃ、二回
撃たれただけで死ねるんだからな!」
これだから、御主人のTXジターバクの恐ろしさを知らない奴は困る。
俺は、魔王も蹄で指差し、お前もだぞ、と怒鳴る。
「お前だって、四、五回撃てば斃れるんだからな!」
だからさっさと元の世界に戻しやがれ。
俺の怒鳴り声に、魔王は眼を細めただけだった。