タルトを食べて、ワインを飲んで目が覚めた次の朝。
食い散らかした跡はマッドが片づけたらしく、すっきりと綺麗になっていた。
そして、片付けをしたマッドは姿が見えない。奥の部屋から水が流れる音が聞こえるから、洗面
台で顔でも洗っているのかもしれない。
ソファの上でもぞもぞと起き上がり、ふあ、と欠伸をしてから、サンダウンものそのそと活動を
再開し始めた。
どうやら寝癖で跳ねているような気がする髭を撫でつけながら、とりあえず今日の予定を聞こう
と、マッドがいる気配のする奥の部屋へと脚を向けた。
豪奢な擦りガラスの嵌めこまれた扉の奥からは、今も止めどなく水が流れる音が聞こえている。
その奥にあるのは、洗面台と脱衣所。そして更に奥に風呂場がある。白い陶器の湯船が置かれた、
金色の蛇口の付いた、真っ白なタイルが敷き詰められた風呂場は、正直言ってサンダウンの好みで
はないのだが。だからと言って、風呂から逃げ続けるわけにもいかず、仕方なくそれを使用してい
る。
マッドは豪華な風呂に特に不満はないのか、結構長々と入っていたりするのだが。
まあ、あいつは綺麗好きだから、と思いつつ、今も綺麗に顔を洗っているであろうマッドに声を
掛けるべく、がらりと触れるのも躊躇うような繊細な扉を開いた。
それと同時に、洗面台の奥にあった擦りガラスで出来た風呂場の扉が開く。
そこから現れたのは、勿論、マッドであった。
ただし、というか、風呂場から現れたのだから、当然の如く、全裸である。
別に、誰が悪いわけでもないと思う、この場合。しかし、マッドから見れば、明らかにサンダウ
ンが変態である。一拍置いた後、物凄い勢いで、サンダウンの顔面に濡れたタオルが飛んできた。
しっとりと質量を持ったタオルが、小気味良い音を立てて、サンダウンの顔を打つ。
……地味に痛い。
「何考えてんだ、変態!」
洗面所から追い出されたサンダウンは、擦りガラスの向こう側から、マッドに罵られた。
「てめぇはあれか!自分の首に懸った賞金の金額を、更に上げてぇのか!しかも痴漢行為で!」
「………悪意はない。」
「あって堪るか!」
サンダウンにしてみれば、これは全くの偶然だ。そもそも、朝から風呂に入るマッドもマッドだ
と思う。一体誰が、朝から洗面所――正確には風呂場だったわけだが――から聞こえてくる水音が、
風呂に入っているからだと考えるだろう。
どう考えても、サンダウンだけが悪いわけではないだろう。
そう思うのだが。
「てめぇ、ノックもしなかっただろうが!」
「………………。」
確かに、しなかった。
だが、ノックをするなんて、そんな高等技術がサンダウンに備わっているとでも思っているのか。
そう言い返そうとしたが、なんだか酷く自分が憐れに思えてきたので、止めた。
ノックの一つや二つくらい、どうでも良いじゃないか、と思う自分がいる事は間違いなく、それ
はサンダウンが田舎者だから仕方ない事なのだと思うのだが、けれども他人と共にいる場合でノッ
クをするしないは礼儀という部分で重要である事は分かっている。保安官であった頃は、なるべく
気を付けるようにもしていた。それに、誰が何といおうと、マッドの肌を見たのは事実である。
男同士だから、とかそんな言い訳は出来ないだろう。
しぶしぶと謝罪するサンダウンの前に、服を身に着けたマッドが、のしのしと出てくる。
しかし、サンダウンがのっそりとベッドに腰掛けているのを見て、マッドは眦を上げた。
「なんであんたは俺のベッドに腰掛けてるんだ!」
「……………。」
サンダウンが腰かけているのは、マッドが使用している天蓋付ベッドである――なお、勿論、こ
のベッドはサンダウンは使用していない。サンダウンが寝る時に使っているのは、ソファである。
これは、マッドのクリスマス休日当日から、全く変わっていない。
「なんだよ、あんたもベッドで寝たかったとか言うつもりかよ。」
「………違う。」
座っていたのは、偶々だ。特に意図はない。偶々、マッドが出てくるのを待つのに、ちょうど良
い場所に、天蓋付ベッドがあっただけの話だ。
大体、洗面台、もとい風呂場のすぐ近くにベッドがあるという部屋もどうかしている。まるで、
風呂に入ったあとすぐにベッド・インする事を見越しているかのような造りではないか。
そう言うと、マッドは口を尖らせて、そりゃあそうだろ、と言った。
「あんたみたいな侘しいおっさんは知らねぇのかもしれねぇけど、ホテルってのは、風呂とベッド
は、そんなに離れた位置関係にしねぇぜ。それこそ、風呂の後のベッド・インを見越してんだろ
うよ。」
此処は、そういう目的の奴も泊まるみたいだし。
マッドの台詞に、今度はサンダウンが顔を顰めた。それを見越したホテルとは一体何なのか。
すると、マッドは事も無げに答える。
「そりゃあ、新婚の夫婦とか、あとは愛人侍らせた貴族連中を相手の商売を考えてるんだろうよ。
全部の客がそうってわけじゃねぇだろうけどな。けど、そういう客がいるってのも事実だ。とな
ると、やっぱり夜の事も考えるだろうよ。ま、俺らには関係ねぇ話だけどな。」
つまり、この天蓋付ベッドも、やはりそういう用途を見越した物であるという事か。それが悪い
とは思わないし、場末の酒場などは売春宿も兼任しているのだから、ベッドとはそういう用途に使
用するというのが普通の考えなわけではあるのだが。
ただ、それがやたらと格式ばったホテルにあるという事で、何故だかサンダウンはげんなりと疲
れたような気分になった。
マッドはと言えば、サンダウンを天蓋付ベッドから追い出し、サンダウンがいた所をぱんぱんと
払いながら何事か言っている。
「あんたなんか、どう考えても天蓋付ベッドなんてガラじゃねぇだろうが。ソファで良いだろうが、
ソファで。」
別に、ソファが嫌だとは一言も言っていない。
サンダウンは腹の中で言い返しながら、マッドがベッドを整えているのを眺める。ベッドメイク
をしているマッドに、そんなのホテルの従業員にやらせれば良いんじゃないのか、と思ってから、
サンダウンはホテルの従業員がこの部屋に踏み込んできた事はない事を思い出した。
どうやら、従業員にあれこれと詮索される事を好まないマッドが、最初から掃除やそう言った事
を断っていたらしい。
ぱたぱたと部屋の中を片づけるマッドを見て、あんまり普段と変わらないな、と思う。掃除に時
間を割いて、果たしてクリスマス休暇の意味があるんだろうか。
しかしマッドはそんな事など気にもかけず、手早く部屋を掃除すると、さくさくと出かける準備
を始める。
その様子を見て、ようやくサンダウンは自分がマッドに今日の予定を聞くつもりだった事を思い
出した。
だが、サンダウンが尋ねるよりも早く、マッドは言いたい事を口にする。
「今日は、あんたも好きなように過ごしたら良いぜ。一応、見られるナリにはなったんだし、一人
でうろついても文句は言わねぇよ。」
「…………お前は?」
「俺も勝手にうろつき回るさ。安心しろよ、晩飯までには帰ってくる。晩飯は……そうだな、旨い
酒が飲める酒場で食おうぜ。」
つまり、それまでサンダウンは放置という事か。
マッドはサンダウンを放置して、さっさと部屋から出ていこうとしている。鍵は持ってるだろ、
と呑気に言っているマッドは、サンダウンを放置する事について、なんら危険を感じていないよう
だ。
サンダウンに背を向けたマッドの背後で、サンダウンの腹の虫が鳴った。
「それであんたは結局、俺について来るのかよ。」
目の前で、もぎゅもぎゅとポーク・ステーキを食べ漁るサンダウンに、マッドの呆れたような声
が届いた。
サンダウンにしてみれば、何故呆れられるのかが分からないのだが。
何せ、サンダウンはこういった上流階級の集まるような通りは不得手だ。少し道を外れれば、並
みの店も見つかるだろうが、それをするにはサンダウンが今、着させられている服は上等すぎた。
マッドならばその恰好でも場末の店に行っても様になるかもしれないが、サンダウンが行けば、妙
な感じがするに違いない。
かといって、上流貴族の街並みを歩き回るには、サンダウンは田舎者過ぎた。
なので、マッドについて行くという、最も無難な選択肢を取ったつもりだったのだが。
早々に腹の虫を鳴らしてご飯を強請るような形になったサンダウンは、マッドから見れば食事を
たかっているようにしか見えなかったのかもしれない。
しかし、腹の虫云々はサンダウンにはどうする事も出来ない。マッドは、飯くらい一人で食いに
行け、と言ったが、それは先述した理由で難しい。
結局、マッドに連れられて、オープン・カフェなるものに初めて行く事になったわけである。
カフェ、と言っているわりには、出てくる料理はポーク・ステーキなど以外とガッツリ系だが。
「……あれか。俺はクリスマス休暇の間中、ずっとあんたと行動を共にしねぇとならねぇわけか。」
上品な香りの漂う紅茶を啜りながら、マッドはぼそりと呟いた。
クリスマス休暇にサンダウンを誘った時点で、サンダウンというオプションがついて来る事は決
定していたはずだ。四六時中一緒にいるわけではないと考えていた、マッドの認識が甘かったとい
うしかない。
しかし、一応サンダウンにも奢られているという負い目があるので、聞いてみた。
「……迷惑か?」
「ああ。」
一切の躊躇いもなく帰ってきた返事に、サンダウンは少しだけ落ち込んだ。ポーク・ステーキを
食べる手は休めなかったが。
無表情で落ち込むサンダウンに、マッドは気づいているのかいないのか、小さく溜め息を吐いて
いる。
「まあ、あんたみたいなおっさんが、この街で普通にやっていけるとは思わねぇけどよ。けど、も
う少し努力しようとか思わねぇのか。飯のオーダーくらい自分でやるとか、出来ねぇのか。」
今、眼の前に広がっている食事は、確かにマッドにオーダーして貰った物である。サンダウンと
しては、マッドが喋るのなら自分は喋らなくても良いと思っている。
けれど、紅茶を啜るマッドの表情は少し険しい。
こくん、と豚肉を飲み込んで、サンダウンは小さく呟いた。
「……努力しよう。」
「期待はしてねぇ。」
何処までも、マッドは厳しかった。
厳しいマッドの台詞に落ち込みながら、サンダウンは朝から聞きたかった事をようやく口にした。
「……それで、何処に行くんだ?」