「あんた、あれで晩飯は満足したのかよ?」
 「昼間のキッシュが腹にもたれているから、良い。」

  サンダウンは、マッドの問いかけにそう答えた。
  本当は良くない。もう少し、腹を満たしたかった。
  だが、あの状況で延々と食事を続ける事が出来るほど、サンダウンは図太い神経をしていない。
 マッドが聞けば、総出で突っ込んでくれそうな事を考えているサンダウンは、先程のレストランで
 の一件を思い出す。
  マッドの大いなる努力によって小奇麗になった賞金首サンダウンは、昼食はサンダウンも稀に使
 用するような、中の中レベルの酒場で済ませる事が出来た。これは、マッドのクリスマス休暇に同
 行したサンダウンが、初めて奢られる側から奢る側になった瞬間でもある。
  マッドも、ぶつぶつ言いながらも、酒場での料理には満足したらしい。そこまではめでたしめで
 たしである。
  サンダウンにしてみれば、少しばかり痛い出費であったが。
  しかし、夕飯も同じように行くわけがなかった。というか、同じようにサンダウンが奢る羽目に
 なっていたら、困るのはサンダウンだ。 
  そして、金が有り余っているらしいマッドは、勿論食事をサンダウンのように手抜きする事は有
 り得ない。
  結局、昨夜サンダウンの萎びた姿を許容したレストランに、今度はサンダウンが我慢をする番だ
 と言わんばかりに、マッドはサンダウンを引き摺って行ったのだ。
  もしかしたら、マッドにとってはリベンジの意図もあったのかもしれない。何がどうリベンジな
 のか、サンダウンには全く分からないが。しかし、マッドの思惑通り、小奇麗になったサンダウン
 は店員達に胡散臭い眼で見られる事はなかった。
  が、胡散臭い眼で見られる事がない事と、好奇の眼で見られる事がない事は、全くの別物であっ
 た。
  昨日まで、胡散臭い薄汚れた男が、突然小奇麗になって現れたら、むしろそちらのほうが気にな
 るというものだ。 
  白いレースで覆われたテーブルに着いた瞬間、その事に気が付いたサンダウンは、けれども気が
 付いていないのか勝手にサラダを注文しているマッドの所為で、身動きが取れなくなってしまった
 のだ。
  頼んでしまった料理をキャンセルする事も出来ず、サンダウンは運ばれたサラダを、もしゃもし
 ゃと無言で、極力周囲からの視線を気にしないように脇目も振らずに食したのだ。
  しかし、眼は周囲を見ないように一点に固定する事は出来ても、耳は塞ぐ事が出来ない。サンダ
 ウンの耳には、周囲にいる客の声が嫌でも入ってくる。
  ひそひそと囁かれるそれらは、最初は控えめに――陰口に控えめも何もないが――サンダウンの
 素性をあれこれと憶測する程度であったのだが、次第にマッドとの関係についてまで囁かれるよう
 になり、遂には下衆の勘繰りにまで堕ちていった。 
  それを延々と聞かされるのは、はっきり言って、全く喜ばしくない。
  とにかく、目の前にあるサラダを完食して、サンダウンは次は何にする、と聞いてくるマッドに
 もういらないとだけ呟いたのだ。
  サンダウンの台詞にマッドは驚いたようだったが、そうか、と頷くとさっさと会計を済ませた。
 それを見たサンダウンのほうが、お前はもう食べなくても良いのか、と思ったほどだ。
  だが、マッドがまだ食べると言ったとしても、サンダウンはそこに同席するつもりはないし、か
 といって部屋に戻る事も出来ない――部屋の鍵はマッドが持っているのだ。だから、マッドがこれ
 以上食べないと言うのなら、それはサンダウンにとっては願ってもない事だった。
  しかし、マッドは気にならなかったのか。
    あの、好奇の視線に。ああいう事には、マッドのほうが敏感だと思うのだが。

    「今更じゃねぇか、そんなもん。それよりも、俺とあんたの素性がばれなかった事に感謝しろよ。
  ま、ばれたところで、それを口にするような無粋な野郎がいるとは思わねぇが。」
 「……あの陰口は、無粋ではないのか。」
 「あん?」

  サンダウンの問いかけにマッドは首を傾げるが、すぐに思い至ったのか、ああ、と頷いた。

 「ああ、最終的に、あんたが俺に買われたばかりの奴隷だっていう、あれか。」

    そう。    昨夜は小汚くて、今夜は小奇麗であったサンダウンと、そしてそれを引き連れているいつも小奇
 麗なマッドを見て、善良ではあるが些か人権無視の傾向にある貴族――成金であろうと本当の上流
 貴族であろうと――は、マッドがサンダウンを買い取ったのだと結論付けたのだ。昨夜は買い取っ
 たばかりで、見繕いも出来なかったのだろう、と。

    「まあ、似たようなもんじゃねぇか。ただ飯を俺に食わせて貰ってるあたりで。」 
 「…………。」 

  違う。
  無言で、サンダウンは抗議した。
  サンダウンは、マッドに買われた記憶はない。確かに昨日からずっと奢られっぱなしだったが、
 それでも今日の昼ご飯はサンダウンが奢った。だから、奴隷のように金で買われっぱなしというわ
 けではない。

    「そりゃあ、まあ。俺だってあんたみたいなおっさんを侍らせるよりも、女を侍らした方が良いし
  な。そこんとこ、分かってねぇよな、あいつら。」

    彼らにとっては、そんな事はどうでも良いのだろう。
  どうせ、周囲の人間など、目の保養としての飾りか、好奇を満たす為だけのネタにしかならない
 のだろう。
  所謂、成金貴族とは、そういうものだ。
  生粋の貴族のような、完璧な無視というのは、その能力にはない。

   「あんたが奴隷であるかどうかは別として――つーか、あんたは奴隷にしても役に立たなさそうだ
  よな――あんたは、あの豆のサラダだけで腹がいっぱいになったのか?」
 「……そうではなかったら、どうだと言うんだ。」
 「あんたがどうであろうが何であろうが、俺はあの程度で満足はしてねぇぞ。俺は健全なんだ。あ
  んたは胃もたれ起こしてるのか知らねぇけど、俺の胃袋は、至って健康なんだ。豆サラダで満足
  出来るかよ。」

  だったら、最初にそう言え。
  既にレストランを出てしまってから言われても、サンダウンにはいかんともしがたい。
  しかし、マッドは別にサンダウンにどうにかして貰おうとは、さらさら思っていなかったらしい。
 もぞもぞと、シルクのレースが垂れ下がる天蓋付のベッドの下から、何やら平たい箱を引きずり出
 している。
  マッドが白いそれを膝の上に置き、ぱかりと蓋を開ければ、そこから顔を出したのは、ベリーの
 タルトだった。
  深い赤と紫のベリーが、つやつやと輝いている。見ているだけで、唾が湧いてきそうだ。
  いや、その前に何故ベッドの下なんかに隠しているのだ。

 「何言ってやがんだ。このベッドの下は、貯蔵庫になってんだぜ。」

  サンダウンが知らない事実をさらりと告げて、マッドはベッドの下から、ずるりと今度は青色の
 ボトルを取り出した。
  酒である。

 「知ってるか。このイタリアのワインは、フルーツケーキに良く合うんだってよ。」

    どうでも良い無駄知識である。
  それよりも、そのタルトには思いっきり、メリー・クリスマスと書いていないか。どう考えても
 クリスマス・ケーキだと思うのだが、しかし生憎とまだクリスマスにはなっていない。なのに、そ
 れを今食べるのか。

 「今からクリスマスまで、これが日持ちするわけねえだろ。今のうちに食わねぇと、痛むぜ。大体、
  クリスマスにケーキだなんて、ガラでもねぇだろ。」
 「…………。」

  それはそうかもしれない。
  サンダウンも、クリスマスにケーキを食べるなど、一体いつが最後であったか、記憶も定かでは
 ないほどだ。
  が、食べたいか食べたくないかで言えば、どちらかといえば食べたい代物である。
  サンダウンは、甘党なのだ。別に辛い物も平気だが。勿論、クリスマス・ケーキはクリスマスに
 食べなくてはならないなんていう考えに凝り固まるつもりもない。要するに、おいしければ良いの
 だ。そして、クリスマス当日に、クリスマス・ケーキを改めて食べる事が出来れば、もっと良い。
  マッドがタルトを切っている間、サンダウンはじっとそれを見つめ続けた。
  視線が可視化できるのならば、その色は何重にも塗り潰された最後の色である黒になっただろう。
 それほど、サンダウンのタルトに注ぐ視線は、真剣そのものだ。
  その視線に射抜かれたマッドは、とりあえず四等分したタルトの一切れを掴んで、サンダウンを
 振り返り、溜め息を吐いた。

 「欲しいなら、そう言えよ。」

  欲しい。
  とりあえず、そう言っておいたら、もう一度溜め息を吐かれた。