サンダウンは、防御力が下がったような気がしていた。
  マッドに引きずられて、服屋に連れてこられたまでは良い。サンダウンも、そこまでは覚悟して
 いた。自分の萎びた服が、マッドと一緒のホテルでクリスマスを過ごすには、あまりにもそぐわな
 い事は、重々承知している。それだけの為に、食事を取りにレストランへ行く度に好奇の視線に曝
 されるのは、サンダウンとしても好むべきところではなかった。
  が、そのまま髪と髭まで整えられたのは、サンダウンの想定の範囲外のところだった。
  冷静に考えれば、マッドが伸び放題でまるっきり整えられていない髭と髪を許すはずはない。衣
 服を一新すると同時に、髭と髪も整えられるのは、マッドにしてみれば当然の流れだったのだろう。
  それでも、サンダウンは少しばかり抵抗してみた。 
  伸ばし放題だった髭と髪を、今更整えられたなら、きっとひどく不慣れな感じがするであろうと
 思ったのだ。服だって、実は着古したポンチョが恋しいのだ。だが、服はまた着替えれば済む話だ。
 だが、髭と髪は伸びるまでに時間がかかる。もとのもさもさに戻るまでに、一体どれほどの時間を
 要するだろうか。
  そう抵抗して見れば、マッドは目を吊り上げて、いっその事全部丸刈りにしてやろうか、と低い
 声で言い放ったのだ。
  おそらく、これ以上抵抗すれば、マッドは間違いなくサンダウンを丸刈りにするだろう。そんな
 声音だった。
  マッドは、もともと自分に髭がない事を気にしている所為もあるだろう。サンダウンの髭に、日
 頃の鬱屈した想いをぶつけて、丸刈りにしようとしてもおかしくない。
  そういった、丸刈りの可能性を否定できないサンダウンは、大人しく髭と髪を整えられる事を選
 んだのだった。
  そしてその結果、髭と髪が短くなった分だけ、防御力が下がったような気分になっているのだ。

 「まあ、ちょうど良い機会だったじゃねぇのか。」

  有無を言わせずに髭と髪を整えたマッドは、サンダウンが伸ばし放題だったそれらを遂に整えた
 事について、そうのたまった。

 「あんただって、このまま未来永劫、髭と髪を伸ばし続けて、もさもさに埋もれるわけにもいかねぇ
  だろう?これは、ちょうどそういう巡り合わせだったのさ。」

  髪と髭に、一体どんな巡り合わせがあるというのか。
  マッドの言い分に、サンダウンは腹の底で突っ込んだ。口に出しても、マッドには敵わない事は学
 習済みである。

 「どうせだったら、その服だって捨てたら良いんじゃねぇのか?そんな萎びた服、持ってたって仕方
  がねぇだろ?」

  サンダウンが丸めて持っている、つい今しがたまで来ていた服を指差して、マッドは捨てられる男
 を目指せと言い始めた。
  だが、そこまでしてやる義理はない。
  確かに、今サンダウンが着ている服は――勿論マッドの奢りだ――着心地も見た目も良い物だ。肌
 触りの良いシャツに、柔らかい上等の生地で仕立てられたツイードである。
  が、そんな服を着て、荒野を彷徨う賞金首がこの世の何処にいる。
  サンダウンは、そんな賞金首第一号にはなりたくない。
  そう言うと、マッドは不服そうに唇を尖らせた。

 「良いじゃねぇか、そういう賞金首がいても。つーか、あんたは自分の着てる服に拘りがなさすぎ
  んだ。昨今の賞金首は、あんたが思うほど萎びた服装をしてるわけじゃねぇぜ。無駄に金をかけ
  て、趣味が悪い成金みたいになってる奴もいるしな。そこまでやれとはいわねぇけど。もう少し、
  身形ってもんに気を使っても良いんじゃねぇのか?」

  マッドの言い分に、しかしサンダウンは頷くわけにはいかない。
  というか、頷いたらそのまま芋づる式に、マッドにあれこれと衣服を整えられて、気が付いたら
 荷物袋の中まで全てマッドによるコーディネートになっていそうだ。
  賞金稼ぎに全身コーディネートされる賞金首も、賞金首を全身コーディネートする賞金稼ぎも、
 この世には有り得ざる存在だ。むしろ、どう考えても賞金首と賞金稼ぎの間柄で成すべき事ではな
 い。
  尤も、それを言い始めたら、ホテル代から食事代、衣服代まで賞金稼ぎに持ってもらっている賞
 金首というのが、一番駄目な存在なのかもしれないが。

 「ま、あんたの好きにすりゃ良いさ。萎びた服着てようが、三つ揃えを着ていようが、あんたの首
  に懸ってる五千ドルの賞金に、変更があるわけでもねぇ。」

  当たり前だ。
  そんな事で賞金を上げられたら、この世にいる賞金首は全員襤褸切れを纏っている事だろう。

 「そんな事よりも、昼飯にしようぜ。あんたも小奇麗になった事だし、何処に入っても問題ねぇだ
  ろ。それに、朝飯どころか、昼飯までサンドイッチってのは少々貧相だしな。」

  もはやサンダウンの事などお構いなしに、マッドはすたすたと歩いていく。どうやら、既に頭の
 中は完全に昼食に切り替わっているらしい。歩く先には、町の大通りが広がっている。大通りに沿
 って立ち並んでいる食堂のどれかを選ぶつもりのようだ。それも、朝選んだ屋台のような店ではな
 く、みっしりと格式高いレストランを。
  ここにきて、奢られている身が言うのもなんだが、サンダウンは金のほうは大丈夫なのか、と思
 った。  
  昨日から、マッドは大いに散財している。いくらなんでも、金を使い過ぎだ。 
  もともとマッドは身形に気を使うほうだったから、普段もそれなりに金を使っているんだろうと
 は感じていた。しかし、昨日からのそれは、目に余るものがある。
  大体、クリスマスまでこうやって過ごしていては、底が尽きるだろう。仮に、底を尽きなかった
 としても、このような金の使い方は決して褒められるものではない。
  と、奢られている人間が言うなと言われんばかりの事を、サンダウンは思った。しかも、それを 
 年長者の忠告という形で、口にした。普段はマッドのしっぽを踏まないように余計な事は言わない
 よう気にかけているのだが、今になって言葉になった。
    そして、それを言われた瞬間のマッドの豹変ぶりが。

 「……だったらてめぇが奢れよ。」 

  声は、恐ろしいほど低かった。
  そしてその声の低さが、マッドが色々と言いたいのであろう言葉の数を示している。
  それに対して、一言でも否定の言葉を返せば、間違いなく色々言いたい言葉全てが音となって、
 サンダウンに圧し掛かってくる事は疑いようがない。 
  なので、サンダウンは無言で頷き、今までの奢りの返礼として、今日の昼食を奢る事になった。
  しかし、マッドとは違い、基本的に出費と収入のバランスは、出費に傾いているのがサンダウン
 である。
  マッドが言う、格調高いレストランなどに行けば、来月は飲まず食わずで生活しなくてはならな
 いだろう。流石にそれは、サンダウンとしては出来かねる。
  結局、サンダウンがマッドを連れて入ったのは、普通の酒場だった。
  マッドはぶうぶう言っていたが、けれども大通りに面した場所に建っているそれは、サンダウン
 の眼から見れば、決して悪い部類には属さない。マッドが言うような上の上ではないけれど、中の
 中くらいの店じゃないかと思うのだ。 
  普段、下の下といった場末の酒場を渡り歩くサンダウンにしてみれば、快挙である。

 「でも俺は、酒じゃなくて飯が食いたいって言ったんだぜ。」

  木の丸テーブルに着いて、コートを脱ぎながらマッドが口を尖らせて言う。
  酒場でも、食事くらいは出来るだろう。そんな事はマッドも分かっているはず。それでも、文句
 を言わねば気が済まないのか。
  ぶつぶつと言いながらも、使い古されたメニューを捲るマッドは、しかし此処では食事をしない
 という選択肢を取るつもりはないらしい。単に、再び店を探し回るのが面倒なだけかもしれないが、
 一応、此処で食事を取るつもりのようだ。
  そして、意外と真剣にメニューを見ているあたり、何か気になるものでも見つけたのかもしれな
 い。

 「……そういや、キッシュってのは作ってみた事がねぇな。」

  銃の腕だけではなく、料理の腕も立つ賞金稼ぎは、メニューを眺め回しながら、真剣な口調で呟
 き始めた。
  どうやら、自分が作った事のない料理というものを探していたらしい。
  もしかしたら、昨日のレストランのあの帆立料理も、マッドが食べた事がないから選ばれたのだ
 ろうか。そして、恐らく、選ばれた料理群は、いつの日かマッドの手によって再現されるに違いな
 い。
  しかし、マッドがキッシュを作った事がないのは意外だった。確かに、振り返ってみれば、マッ
 ドの料理の中にキッシュがあった事はない。
  稀に、賞金稼ぎに食べ物をたかる事がある賞金首は、過去を思い出して頷いた。

 「よし……やっぱりホウレンソウのキッシュにしよう。」

  あんたも同じものな。
  勝手に決めて、勝手にウェイターを呼んで、勝手に頼んでいく。
  別に良いけれど。

 「どうせあんたの事だから、普段はソーセージとベーコンばっかり食ってんだろ。それで酒を流し
  込んでんだろ。そういうの、駄目なんだぞ。身体に悪いんだぞ。だから、こういう時くらい、野
  菜をみっしり食うべきだ。」

  キッシュなら、野菜も大量に食べられる。
  確かに、出てきたキッシュは、ホウレンソウとジャガイモとカボチャをふんだんに使ったものだ
 った。
  さくさくとパイ生地をフォークで割りながら、でも、とマッドが呟く。

 「パイ生地作るの面倒臭ぇなぁ………。」

  別に作らなくても死なねぇから良いかなぁ。
  どうやら、マッドがキッシュを作るかどうかは、マッドが暇な時に限られてくるようであった。