「おい、起きろ、ヒゲ。」
 
  その声と共に、背中に衝撃が走った。眼を開いた瞬間に広がっていたのは、毛の長い白い絨毯だ
 った。
  首を巡らせれば、天鵞絨張りのソファと自分を仁王立ちで見下ろしているマッドのブーツが見え
 た。どうやら、ソファから蹴り落とされたようだ。幸いにして、無駄に毛の長い絨毯のおかげで、
 さほど痛みは感じないが。
  昨夜、サンダウンは当然の如く、マッドと同じ部屋で寝る事になったのだ。サンダウンはこんな
 ホテルに泊まる金は持っていないので、当然と言えば当然でしかない。
  が、マッドの取った部屋は、生憎と一人部屋のように見えた――ベッドはどう考えても、三人く
 らいが入れるほど広かったが。なので、寝る場所がないサンダウンは、つやつやと光る天鵞絨張り
 のソファで寝たのだ。
  マッドはベッドをサンダウンに譲る気はまるでなかったようだし、サンダウンもただで泊めて貰
 っているのを考えれば、それについてとやかく言える立場ではなかった。それに、ソファの上とは
 いえ、荒野の砂で寝るのとは雲泥の差だ。
  ただ、起きる時に蹴られるとは思っていなかったが。
  もぞもぞと身を起こし、床の上で胡坐をかいて座り込むと、完全に見繕いをしたマッドがサンダ
 ウンを見下ろす。

 「てめぇは一体いつまで寝てるつもりだ。この俺様よりも遅くに起きようだなんて、いい度胸じゃ
  ねぇか。」
 「………。」 

  今すぐにでも何処かに出かけられそうな立ち姿のマッドに、サンダウンは眼をこすってその出で
 立ちを見上げて、突っ込む。

 「……休暇なら、お前ももっと寝ていれば良かったんじゃないのか?」
 「喧しい!休暇中だからって、そんなぐだぐだしてられるか!」

  完全に職業病だ。
  常々賞金稼ぎとして、まともな生活習慣を送っているマッドは、休みの日だからといってぐうた
 らする事は出来ないようだ。

 「大体、てめぇが薄汚い服しか持ってねぇから、ちゃんとした服を探しに行くって言っただろうが。
  昨日は仕方ねぇとしても、二日連続で薄汚い恰好でうろつくなんざ、誰も認めてくれねぇぞ。」

  一体誰に認められれば良いというのか。
  マッドの台詞に、サンダウンは今度は心の中でひっそりと突っ込んだ。口に出して言えば、それ
 は間違いなく十倍ほどの文句で以て返される事は明白だった。
  それにサンダウンも、自分の服がこの場所ではやや道に踏み外れたものであるということを、一
 応は理解している。なので、マッドの言い分も、的外れではない事も分かっているのだ。
  相変わらず仁王立ちしているマッドに、サンダウンはのっそりと頷くと、もそもそと立ち上がっ
 た。視界を一気に上まで持ち上げれば、先程まで見上げていたマッドを見下ろすような形になる。
 その瞬間、マッドが非常に嫌そうな顔をしたが、こればかりはサンダウンにはどうしようもない。
 マッドももっと牛乳を飲めばいいのだ。
  むくむくと起き上がったサンダウンに、マッドはとにかく髪と髭の寝癖を直してこいと言いつけ
 ると、自分はサンダウンの薄汚れた衣服を少しでも見れるようにしようと奮闘し始めた――といっ
 ても、皺を伸ばす程度の事くらいしか出来ないようだが。
  サンダウンがやたら豪奢な縁取りのある鏡の前で、折れそうに細い櫛で髪の毛を御座なりに撫で
 つけている間、マッドがなんでこんなに皺だらけなんだよ、とサンダウンのシャツに文句を垂れて
 いる声が聞こえた。
  それでも、マッドの矜持が――果たしてどんあ矜持なのかは分からないが――皺だらけのシャツ
 というものを許さない以上、マッドはサンダウンのシャツから皺を取る事に成功しているに違いな
 かった。
  現に、一応、髪と髭を整えたサンダウンがマッドのいる場所に戻ると、そこには確かに皺のない
 シャツが置いてあった。
  それを見下ろすマッドは、少し不貞腐れたような表情でシャツを顎でしゃくると、サンダウンに
 早く着替えるように促す。

   「この俺様が皺取りしてやったんだ。感謝して、今日はそれを着とくんだな。でも俺だって、毎日
  あんたのシャツにアイロンなんか掛けたくねぇからな。そんな義理もねえし。だから、休暇の間
  に着る服を、まとめて買いあさるぞ。」
 「…………部屋から一歩も出ない生活というのは、駄目なのか。」
 「あんた、どこの引き籠りだ。そもそも部屋から出ないっつっても、どうせ飯を食う為には部屋か
  ら出ねぇと駄目だろうが。」

     物臭で無精な生活を提案するサンダウンを一蹴し、マッドはアイロンがけの為に脱いでいたコー
 トと帽子を被る。
  コートを着ながらサンダウンを肩越しに振り返るマッドは、そういえば、と思い出したように口
 を開いた。

 「飯の話で思い出したんだが、朝飯はどうする?」

     下のレストランで何か食っていくか、と首を傾げて訊くマッドに、サンダウンはふるふると首を
 振った。朝っぱらから、何故あんな片っ苦しい場所で食事をしなくてはならないのか。マッドは慣
 れているのかもしれないが、根本的に田舎者であるサンダウンには、あんな着飾って入らなくては
 ならないような店は、店ではない。ただの庶民の敵である。
  首を振るサンダウンに何を思ったのか、マッドは口角を持ち上げると、コートの袖にそのまま腕
 を通す。

 「じゃ、ホテルの外で、なんか適当に食べるか。そういや昨日、表のほうに店が並んでたのを見た
  ぜ。屋台みたいな感じだったから、あれならあんたでも平気だろ。」

     屋台のような店などあっただろうか。
  サンダウンは良く覚えていないのだが、マッドが見たというのならあるのだろう。そもそも、良
 く考えてみればこの街では、サンダウンが気兼ねなく食事を取る事が出来る場所というのはないよ
 うな気がする。
  この街は、ゴールド・ラッシュの時に突貫工事で作られた町という態をしていない。無数の馬車
 が往来している事から見ても、交通の要所として発展した事は間違いがなさそうだった。そういう
 街には、確かに良くも悪くも人が集まり、中には犯罪者や娼婦といった輩もいるだろうが、けれど
 もそういった連中でさえ、それなりの店に顔を出すようだ。
  所謂、本当に社会から炙り出された、サンダウンのような人間が座る最低の店というのが、この
 街にはない。
  酒場も宿も、大きな形をしていて、金のない連中は決して入れないだろう。
  だから、サンダウンもこの街には必需品以外のものを求めようとはしなかったのだ。
  が、マッドが言った通り、表のほうに出れば小さい店がぽつぽつと立ち並んでいた。その中の一
 つにマッドが近づいていく。
  どうやら、サンドウィッチにハンバーガーステーキを挟んだ物を作って売っている店らしい。若
 干小太り気味な男が店主であるらしく、マッドが何やら話しかけている。カウンターに腕を乗せて
 ふんふんと頷いているのは、メニューの説明を受けているからだろうか。
  やがてマッドが振り返り、サンダウンを手招きする。

 「おい、あんたは何が食いてぇんだ。」 

  粗末な紙に、荒く書かれた文字を指差して、マッドが訊く。昨夜見たものとは全く様相が異なる
 メニューに、けれどもサンダウンとしてはこちらの方が馴染みがあるものだった。
  が、サンダウンとしては別にどれでも良い。基本的に食べれたら問題がないと考えているのがサ
 ンダウンである。なので、適当にメニューの汚い字を指差すと、あからさまに適当に選んだ事が分
 かったのか、マッドが不満げな顔をした。何故マッドに不満な顔をされなくてはならないのか、サ
 ンダウンには分からないが。
  マッドがなんて無精なおっさんなんだと呟いているのが聞こえたが、別に無精である所為でマッ
 ドに迷惑をかけているわけじゃないから良いじゃないか、と思う。尤も無精がたたって、シャツが
 皺だらけになり、結果的にマッドにアイロンをかけて貰ったわけだが。
  しかし、サンダウンは別にシャツが皺だらけでも良いような生活をしているわけであり、こうし
 たアイロンを当てたシャツを着なくてはならないこの事態は、イレギュラーな事態であるから、サ
 ンダウン一人の問題ではない。

 「おい、おっさん。何さっきから自分の無精を正当化しようとぶつぶつ言ってんだ。」

  マッドが、サンドウィッチを両手に持って、呆れたようにサンダウンを見ている。

 「ほら、あんたの分だ。俺の奢りなんだから有難く受け取れ。あと、ソースがついてるから、シャ
  ツに落とすんじゃねぇぞ。」 
 「………。」

     これだけに限らず、昨日の食事及び宿も、そしてこれから訪れる着せ替えの時間も含め、代金は
 全てマッドの奢りだったはずだが。
  そう思っている間に、サンドウィッチに挟んであるハンバーグステーキに掛かっているソースが
 ぽたりと零れた。 

 「言ってる先から零すんじゃねぇ!」

     マッドが怒鳴り、忌々しそうにハンカチで零れる滴を受け止めた。
  目の前で黒い旋毛が揺れるのを見て、母親か何かのようだな、と思った。
  マッドが、ぶつぶつと言いながらソースが零れないようにハンカチでサンドウィッチを包んでい
 る間、甘いソースの匂いが、鼻腔を擽っていた。