クリスマス休暇という謎の台詞を吐いたマッドは、マッドはともかく明らかにサンダウンにとっ
ては場違いな格調高いホテルに入った。
二人を見たホテルマンは、マッドを見るとにこやかに微笑んだが、サンダウンを見るなり一瞬怪
訝な表情を浮かべ、そしてすぐさま再びにこやかな笑みを見せた。彼にしてみれば、やはりこのホ
テルはサンダウンのような薄汚れた人間が来るべきではないのだろうが、しかしマッドの連れであ
る以上、失礼な真似は出来なかったのだろう。
そんなホテルマンの思惑などマッドは完全に無視して、部屋の鍵を受け取ると、サンダウンを引
き摺るようにして宛がわれた部屋へと向かった。
「……クリスマス休暇?」
マッドが部屋に荷物を降ろしてから、サンダウンはようやく疑問を口にした。
マッドに宛がわれた部屋は、やはり格調高く、サンダウンには落ち着かない。触れただけで指紋
が付きそうに磨かれたテーブルだとか、そのままぽっきりと折れてしまいそうな細かい細工のある
ドアノブだとか、長年荒野に生きてきたサンダウンにとっては、今や馴染みの薄いものばかりだ。
かさついた手で触れる事が躊躇われる、滑らかな天鵞絨張りの椅子に、荒っぽい手つきで荷物を
置いたマッドは、サンダウンの台詞に呆れたような怒ったような表情で振り返った。
「なんだよ、俺が年の暮れに休みを取っちゃならねぇってのか?」
不服そうな口調で言い募る。
「俺はあんたと違って、今年一年きっちり働いたんだ。その見返りとして、豪華なホテルでクリス
マスを過ごしたって罰は当たらねぇと思うんだが?」
「……一人でか?」
サンダウンとしては、自分が一緒にいても問題ないのか、後から合流する人間はいないのか、と
確認のつもりで聞いたのだが、マッドの耳にはそうは受け取られなかったらしい。
ぴくりと片眉を上げたマッドは、唸る。
「なんだ?俺がクリスマスを一人寂しく過ごすって言いたいのか?言っとくけどな、俺を誘う奴は
大勢いるんだからな。ただ、年の暮れくらい、俺だって静かに過ごしてぇんだよ。そもそも、な
んでいっつも一人のあんたにそんな事言われなきゃならねぇんだ。」
別にそういうわけでは、とサンダウンは口ごもる。
しかし、それならばますます、サンダウンを引き連れても良かったのだろうか。一人で過ごすつ
もりだと言うのなら、サンダウンもいない方が良いのではないのか。
「何言ってんだ。だったら俺の行く先々で腹減ったような顔して蹲ってんじゃねぇ。」
「…………。」
サンダウンにそんな気はないのだが。
だが、此処で更に何か口にすれば、ますますマッドとの会話が泥沼化する事は眼に見えている。
伊達に、長い間追われ続けていたわけではない。
現に、マッドはクリスマス休暇についての言及はこれで終わりだと判断したのか、ボルドー色の
マフラーを首から外して、何が食いたい、と言っている。
「此処のホテルは、飯が充実してるんだってよ。良い酒を揃えてるバーもあるし、レストランの飯
も悪くないんだと。まあ、だから此処を選んだんだけどな。」
確かに、腹は減っている。
だが、とサンダウンは自分の格好を見下ろした。茶色の擦り切れたポンチョ姿。それで果たして
店側が入れてくれるのか。
「ふ……ん。一応こういう場所では自分の身形がまずいっていう自覚はあるんだな。」
一応身形を気にしたサンダウンに、マッドは馬鹿にしたような言葉を挟んだ。
「ま、とりあえずその襤褸雑巾紛いのポンチョは置いてけよ。中身は仕方ねぇだろ。今日は店に我
慢して貰うさ。」
つまり、明日はサンダウンが我慢する側という事か。
そう思ってマッドを見れば、マッドは何かを企んでいるかのような、悪どい笑みを浮かべている。
きっと、そう着替えさせられた挙句に、髭と髪を切られて防御力を低下させられる。
しかし、サンダウンに抵抗の余地は――今からただ飯が食えるという時点で、ない。
もそもそとポンチョを脱いで、繊細なドアに同じく繊細な白い手を添えているマッドを追いかけ
た。
その様子を見たマッドは、さて、何を食おうかな、と呟いている。
「子羊のソテーとかが旨いらしいぜ。あとは舌平目のムニエルとか。」
「………別に、なんでも。」
「あんたあれだろ。女に飯は何でも良いって答えて、キレられるタイプだろ。」
「…………。」
店に着くまでに、どうやら何を食べるか考えておいたほうが良さそうだ。メニューを見て、なん
でも良いと答えたら、店側がどうこうではなく、マッドにキレられそうだ。
色々と考えながら、赤絨毯が延々と続く廊下を、マッドの後を追うように歩く。ふかふかと毛の
長い絨毯は、意外と歩きにくい。サンダウンは何度か長い脚を持て余して、つまずきそうになった。
考えながら歩いていた所為もあるかもしれない。
しかし、躓きながら考えた割には、特に思い当る料理がなかった。
そもそも、こんな格式高い店に、サンダウンが知っているような料理が並んでいるとは思えなか
った。それ以前にメニューが読めるかどうかも怪しい。英語ではなく、フランス語だったら、間違
いなくサンダウンは読めない。仮にマッドに読んで貰ったとしても、その名前だけで料理を想像で
きる自信がない。
その結果、なんでも良いという結論に至るのは仕方ない事なのではないか。
そう、まだメニューがフランス語で書かれていると確定したわけでもないのに、サンダウンは具
体的な料理名を出す事を早々と諦めた。
が、だからといって、まさか本当に、何でも良いと言うわけにもいかないだろう。
仕方がない。
マッドと同じものを頼もう。
非常に消極的な選択肢をして、サンダウンは毛の長い絨毯を踏みしめた。
しかし、休むだけならば別にホテルなんかに泊まらなくても良いんじゃないのか。
テーブルに着くまで、ちらちらと好奇であったり胡散臭げであったりする視線を向けられたサン
ダウンは、マッドにそう問いかけた。
やはり、自分の姿は如何に擦り切れたポンチョを脱ぎ捨てたところで、この場所にはそぐわない
らしい。きっと、マッドがいなければ即座に叩き出されていた事だろう。マッドの付添であると知
れているからこそ、こうして真っ白なテーブルクロスを見下ろしていられるが、それでも紳士淑女
の間に晒し者にされているようで、良い気分とは言えなかった。
そうした事についての恨み言も含めて――ただ飯が食える云々は置いておいて――マッドにそう
言った。
しかし、叩き出されそうな姿をしていない秀麗な賞金稼ぎは、サンダウンの台詞についてなんら
含みを感じなかったのか、長い脚を優雅に組んで、革張りのメニューをぱらぱらと捲っている。
メニューに落としていた視線をようやくサンダウンに向けると、面倒臭そうに答えた。
「なんで骨休めなのに、荒野に寝泊りしなけりゃならねぇんだ。風に吹きさらされて、挙句自分で
飯を作らなけりゃならないなんて、どんな休暇だよ。」
どうやら、マッドは本気で身体を休めるつもりらしく、歩く食べる以外に自分の身体を使うつも
りは全くない模様だ。
完全に何もしない状態になったマッドは、サンダウンにメニューを見せて、それでお前は何が食
いたいんだと問うてくる。
マッドがサンダウンに見せてきたメニューは、真っ白な一枚の紙にちょこちょこと文字が連なっ
ているだけで、非常に白い部分がもったいない使い方をしているようなものだった。そして案の定、
サンダウンが予想していた通り、何が書いてあるのか分からない。
なので、当初の予定通り、お前と同じもので良いと言えば、マッドは非常に不満げな顔をした。
「あんた、ろくにメニュー見てねぇだろ。」
見てないのではない。
何が書いてあるのか分からないのだ。
つやつやとした革張りのメニューは、サンダウンには全く馴染みのないもので、そんな場所に書
き込まれた文字が分かるはずもない。そこからはどんな色も味も漂ってこないのだから、マッドと
同じものを頼むしかないのだ。
「俺の好みが、あんたにも合うとは限らねぇだろ。」
そんな事を言われても困る。
そうではない事を、サンダウンは祈るだけだ。
最も、マッドがこんな煌びやかな場所で年の瀬を過ごそうと考えた時点で、サンダウンとマッド
の間には大きな隔たりがあるような気がしなくもないが。
しかし、それでも酒には大きな好みの差はないはずだ。
マッドが注文したワインが、ボトルごと運ばれてきたのを見て、サンダウンはこれは普通に飲め
るものだと思った。というか、サンダウンがどんな酒でも飲めるというだけの話なのだが。
濃い緑のボトルについた水滴を拭い、ウェイターが空のグラスに冷えたワインを注ぐ。その色が
白である事に、サンダウンはおやと思った。
この時期だから、赤だと思ったのに。
「どっちだって、かまわねぇよ。どうせあんただって、呑めりゃ良いんだろ。」
それはそうだ。
サンダウンは酒について文句は言わない。ワインが赤だろうと白だろうと、どちらでも良い。そ
もそもクリスマスという季節に対して、微かに負い目のようなものを感じているのも、それは自分
が己の本分を果たせなかった所為であり、それ以外の部分についてはサンダウンは深くは思わない。
いや、もしかしたら放浪する前ならばこの時期に、他の人間達と同じく敬虔な気持ちを持ったの
かもしれない。
けれども、神から手放された今、聖書の言葉も、そこから発生する伝承にもサンダウンは頭を垂
れる気にはならない。
マッドも同じだろう。だから、ワインを赤ではなく、自分好みの白にしたのだろう。
マッドはウェイターにボトルを残しておくように命じた。あとは手酌でするつもりなのだろう。
サンダウンとしても、いちいち杯を開ける度に他人に注いで貰うのは煩わしいから、マッドのこの
命令は有難かった。
マッドの言うとおり、緑のボトルだけを置くと一礼して立ち去って行くウェイターが完全に姿を
消してから、ようやく二人はグラスに手を付けた。
「まあ、こういう店で一番良い事は、金さえ払えば大概は願いが叶う事だよな。」
乾杯もなく淡々とグラスを空けたマッドは、しれっとした表情で言った。
「金がなきゃ門前払いだが、金さえありゃあ大概の事は許される。あんたの薄汚い恰好もな。」
細い指で細いグラスの持ち手を摘まみ、弄ぶ。くるくると、グラスの底に僅かに残った白くて透
明な液体が回転している。
確かに、この場所には金がないと来れないだろう。娼婦もいない、ならず者もいない、賞金稼ぎ
もいるのは此処にはマッド一人だけのようだ。それはそうだろう。この場所は明らかに、賞金稼ぎ
がいる場所とは真逆の場所だ。
マッドも含め、彼らは情報や一夜の女との出会いを求め、もっと賑やかで下世話な場所に行くも
のだ。気取った賞金稼ぎがいないわけではないが、結局はどれだけすかしていても、情報は必要な
わけで、どんな賞金稼ぎであっても最終的には姦しい酒場に屯するものだ。
そういった場所から解放されるには、なるほどこうした金のかかった、しかも格式高い場所は最
適なように思えた。
つまりマッドは、せめて年の瀬は誰にも煩わされる事のない場所に来たかったという事だろうか。
しかし、サンダウンはその問いかけを音にする事は出来なかった。その問いかけ自体がマッドを
煩わせるものであるような気がしたし、料理を運んでくるウェイターの存在が会話を中断させたの
だ。
湯気を立ててやってきたのは、サンダウンが見た事のない物体だった。
「帆立だよ、馬鹿。」
テーブルマナーも何もなく、オレンジ色のソースがかかった白い物体を突いていると、マッドが
呆れたように言った。
「てめぇは、あれか。魚介類を食った事がねぇって言うような、森や山の人間かよ。」
「………。」
確かに出身は北部の深い森ではあるが、魚くらいは食べた事がある。ただ、貝柱のような物体は
確かに馴染みが薄かった。
むしろ、帆立に添えられているアスパラガスのほうが、まだ馴染みがある。
「食えねぇわけじゃねぇだろ?」
「………ああ。」
味は想像もつかないが、とにかく匂いだけを嗅げば、食べられない事はなさそうだ。
頷いて、サンダウンは帆立を突いていたフォークを、そのままぶすりと突き刺した。