帰ってきた小屋は、去った時と同じ状態のままの様相を保っていて、マッドは少なからずともほ
っとした。
しかし、同じ状態であるのは今のところ外観だけであって、中身がどうなっているのかは分から
ない。
だから、マッドはそれなりの覚悟を持って、小屋の中に入っていった。
手に、サンダウンへのプレゼントを抱えて。
小屋の中は薄暗かった。
もしかしたら、誰もいないんじゃないのか、と思うくらい。
けれどもさっき、愛馬ディオを繋ぐ為に入った小屋の中には茶色の馬が鎮座していたし、小屋の
奥からうねるような気配が醸し出されている以上、そこに誰かがいる事は明らかだった。勿論、マ
ッドにはその誰かが誰なのか、嫌でも分かってしまう。
少しばかり、いや大いにげんなりとして、マッドは物凄く嫌そうに小屋の扉を開けた。
途端、マッドが扉を開く前に物凄い勢いで扉が開かれる。
そして、ぬっと立ち塞がる影。
基本的に、概ね茶色い物体が、マッドの視界を遮る。腹立たしい事この上ない事に、眼の前に立
ち塞がる茶色の物体は、マッドよりも背が高いのである。だから、茶色の中に埋もれている青い眼
は、マッドの眼線よりも高い位置にある。
青い双眸をマッドが睨み上げると、睨みつけたその視界さえも茶色に塞がれた。
抱きつかれたのだ。
それどころか、茶色の物体は体重をかけてマッドを潰しにかかる。うりうりと首筋に顔を埋めて
ふんふんと鼻息を荒くしている物体は、もはや物体と言い切って良い。同じ人間という生命体であ
るなどとは、思いたくもない。
が、こうした激しい抱擁をされた事は、マッドにはない。昔いた家族も、女も、こんなふうに激
しく何かを求める抱擁をしてきた事はなかった。
まるでマッドがこの世の全てだと言わんばかりに抱きついてくるのは、マッドが知る限り、今現
在マッドに抱きついている茶色い物体――サンダウン・キッドだけだった。
孤高不恭の男が、マッドにだけは甘えを見せるように抱きついてくる。
それが、マッドは決して嫌ではない。少なくとも、サンダウンにそんな事をさせているのは自分
だけだと思えば、それは優越感にしかならない。
優越感を擽られるマッドは、そして結局なし崩しにサンダウンに求められるがままに身体を投げ
出してしまうのだ。ここでサンダウンに求められたら、きっと拒めないだろうし、どれだけ強がっ
て見せても最後には陥落するだろう。
もしも一言、サンダウンが傍にいたいのだと言えば、マッドはあらゆる誘いを断って、この男を
優先させてしまう。
が、マッドの首筋に鼻先を埋め込んで、くんかくんかと匂いを嗅いでいたサンダウンは、唐突に
がばりと顔を上げると、険しい顔をしてマッドを見下ろした。その青い眼にも、何か硬い光が灯っ
ている。
何だ、と思っていると、茶色のおっさんは苦々しげに言い放った。
「なんだ、この、匂いは。」
「は?」
いきなり過ぎる男の言葉に、マッドは間抜けな声を出してしまった。そんなマッドを置き去りに
して、おっさんは鬱陶しく言い募る。
「香水の匂いがする……お前のものではないだろう。誰か、別の人間と一緒にいたな………。」
唸るような声と共に、サンダウンの眼差しには疑惑の光が灯り始める。マッドを上から下まで眺
めまわし、一体誰と一緒にいたのかと聞いてくる。
確かに、マッドの身体からは香水の匂いがした。けれどもそれは、娼婦達の為に買ったクリスマ
スプレゼントの匂いが移っただけで、サンダウンが想像しているような事は何もない――あったと
してもサンダウンに口出しされる筋合いは、全くない。
香水の匂いが染みついたままでサンダウンの前に現れたのは、マッドの失態だ。サンダウンが何
故か非常に嫉妬深い事を失念してしまっていた。しかし、そんな疑惑の眼で見られるのは、心外だ。
「馬鹿野郎!これは女達にクリスマスプレゼントで化粧品やらを買ったから匂いが移っただけで、
なんにもねぇよ!」
そう怒鳴った。
が、逆にサンダウンの眉間の皺が、更に深くなった。
クリスマスプレゼントと聞いたあたりで、特に。
「そうか………。」
声のトーンが更に低くなった。しかも、酷く冷たい風が吹き零れるような凍えが所々に見え隠れ
している。何か突き放すような、しかし同時に逆に何かに突き放されたような眼で、サンダウンは
マッドを見下ろす。
「………それなら、何故、此処に来た?」
女のところにいればいいだろうに。
裏切られたような声で、サンダウンはマッドを突き離した。
突き放されたマッドは、何を言われているのかが分からない。
「どうせ、すぐに出て行くんだろう?」
「あんた、一体、何言ってんだ?」
「女達と一緒に過ごすのだろう?さっさと行けば良い。何をしに戻ってきたのかは知らないが。」
女の為にプレゼントまで買ったと言うのなら。
本当はそちらで過ごすつもりなのだろう。
「それとも、これは、憐れみか?」
サンダウンの手は、マッドの頬に触れるか触れないかのぎりぎりのところで止まり、苦々しげに
マッドを見下ろす。
「どうせ、すぐに出ていくつもりならば、そんな憐れみは、結構だ。」
「なんだよ、それ!俺がいつあんたを憐れんだよ!」
マッドはサンダウンを憐れんだ事など一度もない。サンダウンは孤高不恭の生き物で、マッドが
憐れみを掛ける事はおこがましくさえある。
けれども、何を勘違いしているのか、或いは自己完結してしまっているのか、サンダウンはマッ
ドの言う事など聞かない。
「どうせ、最後には私を置いて出て行くのだろう?聖夜になれば、お前は街に戻って、そこで過ご
すんだろう?そこに入り込めない人間を、憐れみながら。それとも考えもしないのか。」
「何言ってやがるんだ、てめぇは!」
マッドがいつサンダウンの事を考えなかったと言うのか。小屋から離れても、サンダウンの事を
考えてばかり――別に甘い想像ではないが――だったというのに。
「私がお前の事を考えていても、お前は何も考えていないだろう。或いは、私に抱かれている時も、
女の事でも考えて、私の事は腹の底で笑っているのか。」
「ふざけんなよ、てめぇ!」
一体何をどうやったらそこまで話を飛躍させる事が出来るのか分からないが、延々と続くサンダ
ウンの怨嗟のような声に、マッドは怒鳴り声を張り上げた。
怒鳴り声を張り上げると同時に、腕の中に抱きかかえていたサンダウン用のクリスマスプレゼン
トを、思い切りサンダウンの顔面に投げつける。べったりと包みがサンダウンの顔に張り付いた。
それがサンダウンの顔から剥がれ落ちるよりも先に、マッドは声を上げる。
「さっきから聞いてりゃ勝手な事ばっかりぬかしやがって!まるでてめぇが俺の事ばっかり思って
るような事言いやがって、俺の事は無視か!てめぇこそ俺の事なんか何にも考えてねぇだろうが!
掃除洗濯料理全部俺に押しつけやがって、ってそれはこの際どうでも良い!つーか、俺の事言う
前にてめぇ自分の袖直せよ!薄暗い部屋に閉じこもってるだけで、てめぇは何もしねぇのか!だ
ったらこの先ずっとそうして引き籠って、恨み事だけ言ってろ馬鹿!」
せっかく逢いに来たのに、確かにクリスマスの甘い思いからは程遠い思いからこの小屋にやって
来たのだけれど、それでもマッドが逢いに来たのに、サンダウンは疑惑しか並べ立てない。
マッドがサンダウンの事で頭を痛めて、それでもプレゼントを買ったのは、一体何の為だったの
か。
なんだか自分が可哀そう過ぎて、マッドは本気で泣きたくなった。
泣きたくなるくらい、サンダウンの事が腹立たしい。
優越感など何処にも感じられず、サンダウンの顔などこれ以上見たくもなくて、てめぇなんか七
面鳥に蹴られて死んじまえ!という捨て台詞を言い捨てて、マッドは顔面にプレゼントを張りつけ
たままのサンダウンに背を向けた。