その朝、マッドはそれまでのだらけた恰好を返上して、きっちりとジャケットを着こなしていた。
どう考えても出かける為の身繕いをしたマッドを見て、サンダウンは何か期待を裏切られたよう
な気がした。
別段、マッドが小屋を出ていくのは今に始まった事ではない。
そもそも、小屋で一緒に過ごす事のほうが、一年間を通してみれば少ないのだ。共に過ごした朝、
ひらりと何の躊躇もなく身を翻していくマッドは、これまでに何度だって見てきた。
しかし、それでも何故か裏切られたような気がしたのは、おそらく、この季節の所為だろう。
街という街が、どれだけ荒れ果てた街であろうとも、そこに人がいる限り、賑やかしく華やかな
光を灯すこの季節。ならず者がどれだけ闊歩する荒野であろうとも、この季節だけは誰もが聖書を
口ずさみ、神への感謝と祝福の祈りを捧げる。そして、身近にいる人間と、密やかに、或いは賑や
かに、その期間をじっくりと楽しむのだ。
それらは、確かにサンダウンにも、かつて遠い昔にはあった風景だ。
しかし、それは今は遠く、むしろ眼に入ればすぐに眼を逸らし、背を向けるべきものだ。争いの
火種として血を呼び込むだけの自分は、平和を願いゴルゴダの丘へ登った救世主の為の日に、その
場にいるべきではない。
街の灯りに背を向ける。
ただし、それは決して平気なわけではない。むしろ、何かどうしようもない穴が自分の中に開い
ているような気がする。その穴の中から、途方もない呻き声が聞こえるが、それはきっと自分に巣
食うおぞましい獣だろう。
街の灯を見れば見るほど獣は呻き、背ければ背けるほど心臓の裏を引っ掻く。
サンダウンが閉じ込め続けるのは、厳しい。
それでも獣が大人しくしているのは、マッドがその身で牙を受け止めているからだ。マッドの身
体に牙を突き立てて、その身を繋ぎとめて安堵している。
けれども、そのマッドは、この時期に何の戸惑いもなくサンダウンを置いて、煌びやかな街に行
こうとする。
マッドは、あの、十二月の灯りの色が恐ろしくないのだろうか。
きっと、恐ろしくはないのだろう。
もともとマッドは煌びやかな中にいるべき人間だ。荒野の中にいるよりも、本当は華やかな光を
浴びて踊っているほうが似合っている。きっと、この季節の主役も、十字架に貼りつけられた救世
主などではなく、マッドになる事だろう。
その季節に、マッドを独り占めにしたいという欲望を持っていたと知ったら、マッドはどんな顔
をするだろうか。
きっと、マッドを独り占めにしようと考えている輩は大勢いるだろう。賞金稼ぎの中にも賞金首
の中にも娼婦の中にも。マッドはその視線に慣れていて、それら全てを適当にあしらい、彼らの真
ん中で踊っているのだ。けれども、サンダウンが同じように独占したいと思っていると告げたら。
怒るか、気持ち悪がるか、それとも鼻先で笑い飛ばすか。
いや、そもそもサンダウンが何故マッドを独占したがるかさえ、理解しないかもしれない。
この季節に、胸に穴が開く事自体がおかしいのだ。そのおかしさを、マッドが深く考えて理解す
る可能性は低い。
聖誕祭まで、街から光が消えるまで、傍にいて欲しいと言ったところで、マッドの表情は怪訝に
曇るだけだろう。この季節、マッドには、サンダウンと一緒にいる理由自体がない。
マッドは忙しいだろう。
皆に愛されて、あちこちに引っ張り回されて、親しい娼婦にはプレゼントの一つや二つを買って
回っているかもしれない。サンダウンに手を回している暇など、ないだろう
それでも、一抹の期待を抱いて、身支度をするマッドを、じっと見つめていた。
すると、視線に気付いたマッドはサンダウンを肩越しに振り返ると、この上なく鬱陶しそうな顔
をしていた。
「なんだよ、さっきからじろじろと。」
気持ち悪ぃおっさんだな。
随分な言われようだった。少しだけ、予想していた事ではあるが。
それでも挫けずに、聞いてみた。
「……何処に、行くんだ?」
すると、マッドの眉間に、みるみるうちに皺が寄る。何言ってんだこのおっさん、という表情で
ある。
「ああ?仕事に決まってんだろ?つーか、なんでてめぇにいちいちそんな事言わなきゃなんねぇん
だ。俺が何処に行こうが俺の勝手だろうが。」
至極尤もな答えだった。
マッドは忙しい。
まして、今はクリスマス前。マッドを誘う手は数多にある。たかだか賞金首一人に時間を掛けて
いる暇はない。例え5000ドルの賞金首であろうとも、忙しい時期には手を掛けている暇はないのだ。
どれだけサンダウンがマッドよりも強くても、マッドにクリスマスにロースト・チキンを作って貰
う権利はない。
銃で脅して無理やりという手もあるかもしれないが、脅してもマッドは屈しないだろうし、大体
脅して作って貰う料理なんておいしくない。
せめて、お前の料理が楽しみなのだと口説き落とせれば良いのだが、生憎とサンダウンにはその
手のスキルは完全に欠落している。まるで、その他のスキルが全て銃の腕に還元されてしまったか
のようだ。
だから、恨みがましい眼でマッドを見つめるだけである。
この前、一生懸命、クリスマス用のレシピを見ていたのは、本当に言葉通りマッド自身の料理の
レパートリーを増やす為だったのか、と恨みがましくマッドを見つめる。
が、マッドは二度とサンダウンを振り返らなかったし、その場に留まろうともしなかった。さっ
さと部屋を出て行ってしまう。
後に残されたサンダウンは、枕を抱えてぼってりとベッドに沈みこんだ。
放っておけば、マッドはこのまま行ってしまう。クリスマス前の街灯りは、マッドの眼には麗し
く映るだろう。光に恐れ慄くサンダウンと違い、マッドはその光の中でひらひらと舞い踊るだろう。
もしかしたら、もう、そのまま帰って来ないかもしれない。
ぐずぐすとそんな事を思っていると、マッドの声が扉の向こうからした。
「じゃあな、キッド。次に逢う時は、あんたが天国に行く日だぜ。」
お前と逢う時は、いつでも地上の楽園にいる時だが。
そう言い掛けて、口を閉ざす。そんな事を言ったところで、何の意味も持たないからだ。
何も言えないまま、立ち去っていくマッドをぼんやりと眺めるだけのサンダウン。その眼差しに
はなんの効果もない。
マッドの黒い背中を見て、次、逢えるのは、クリスマスの後だろうか、と諦めたように思った。