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  その日は、満月だった。
  不吉さを感じるほど煌々と輝き、本当にまんまるだった。



  ポゴは、不安そうに白々とした満月を見上げた。彼の足元には、彼と良く似た深い緑の髪をした
 小さな少年が座っている。そこに座っていては寒いだろうに、少年は父親の不安を知っているのか、
 そこを動こうとはせず、父親の顔を見上げていた。
  満月と言うのは、いつも人を落ち付かなくさせる。
  いや、人間に限らない。
  動物達も、何か不思議な力でも宿ったかのように、騒がしくなるのだ。凶暴になるのとは違う。
 ただ、落ち付かない。

  何事も起きなければいい。

  ポゴは満月を眺めながらそんな事を思う。
  ただえさえ、今は食料の少ない時期だ。動物たちがざわめいて、地上に出てくるというのは、狩
 人としては良い事なのだが、季節外れの動物達は天変地異を伴ってくる。動物達が通常とは違う行
 動を取る時は、それを喜ぶよりもまずは用心するべきだった。
  この、何もかもが死に絶えて白に染まる季節。そんな時期に起きる異常事態など、考えたくもな
 かった。
  白く寒々しい、不毛の大地で、ぽつぽつと辺りで閃く炎だけが、ポゴ達の寄る辺だ。しかしそれ
 は一度風が吹けば、一瞬で失われてしまう。

  何事も起きなければいい。

  もう一度、ポゴは思った。
  足元でポゴを見上げていた少年が、ぺたりと頭をポゴに凭せ掛ける。見下ろせば、少年は緑色の
 頭をポゴに擦り寄せ、うつらうつらと船を漕いでいた。
  こんな所で寝てはいけない。
  ポゴは少年を抱え上げ、しかし、洞窟に手を加えただけの家に入る事に戸惑いを覚える。
  ポゴの家には、今、大勢の女達がいる。彼女達はポゴの母親代わりとして優しくしてくれた年配
 の女もいれば、まだポゴと同年代の少女もいる。村中の女達が、真剣な顔でポゴの家の中に集まり、
 息を殺しているのだ。
  その気配を見て取ったポゴは、家の前で立ち止まる。
  今、家の中に入る事は出来ない。
  だから、彼は自分の着ている毛皮を少年に巻きつけ、その場に立ちつくした。
  そんな彼を見下ろす月は、不吉なほどに丸く、煌々と輝いている。それが如何なる不吉な予兆で
 もない事をポゴは祈るばかりだ。

  何故なら、今、彼の家の中で、彼の妻が出産を迎えようとしている。

  冬の出産は厳しい。体温も、体力も、全てが寒さに持っていかれてしまう。だから、女達が集ま
 り、総出で出産を手伝っているのだ。
  それに、例え無事出産できたとしても、その後が問題だ。食糧の乏しい冬を、乳飲み子を抱えて
 越えていけるのか。
  無論、それに備えて食糧は出来る限り溜めこんでいる。しかし、心配というのは後から後から、
 湧いて出てくる。止め処なく出てくるそれは、ポゴの胸を締めつける。 

  何事もなければいい。

  腕の中に子供を抱えて、今から生まれ出てくるであろうもう一人の子供に思いを馳せる。見上げ
 た月は、やはり白々として、静かだったが、見下ろされている生命を落ち付かなくさせる。
  一抹の不安を抱えて、ポゴは白い溜め息を吐いた。
  と、同時に、唐突に鼻腔を、濃厚な血の匂いが擽った。
  ぎょっとして家を振り返ると、途端に激しく聞こえてきた泣き声。女達の泣き声ではない。以前、
 腕の中にいる子供が生まれた時に聞こえた声と同じものだ。
  濃厚な血の匂いは、すっと、冷たい空気の中に消えていく。
  最後の残滓さえ掻き消すように、ポゴは急いで家の中に入っていった。