暇だ暇だと騒ぐ主は、世間一般が気忙しくしている事を知らないのだろうか。
  おぼろ丸は、ちらりと、畳の上でじたばたとする竜馬を見て、これがこれからの日の本を担う人
 なのかと一瞬疑いたくなった。



  師走のこの時期、武士から町人、農民まで皆が忙しくなる。
  新たな年を迎える為に、皆が家の中を整理し、女達は新年を言祝ぐ為の料理を作らねばならない。
 それは如何に大きな武家であれ、商家であれ変わらない。いや、財を成した者のほうが、こうした
 祝い事には忙しく動き回る。
  逆に、貧しい者達はこの時期でさえ、糊口を凌ぐ事で手が一杯だ。武士の中にも、刀を質に入れ
 てその日の食い扶持にありつく者がいるという。それが今の世の中だ。
  そんな事は間違っている。
  そう叫ぶのは、おぼろ丸がその身を守るように言い使っている、今現在の主だ。鎖国により外国
 からの知識を制限し、そして古い考え方に縛られている事は間違っていると、声を大にして叫ぶ。
  尤も、今はその声は、暇じゃ暇じゃと騒いでいるのだが。

 「暇じゃ。おんし、なんか面白い事をせい。」
 「生憎と、忙しい時分であります故。」
 
  竜馬の我儘を一蹴し、おぼろ丸はさて、と天井を見やる。
  今のおぼろ丸は、確かに竜馬の護衛も仰せ遣っているのではあるが、しかしそれ以上に竜馬の細
 君より頼まれた、天井の煤払いに気を向けている。
  何せ、この忙しい時期に暇じゃ暇じゃと騒ぐ男は、残念ながら掃除の役には立ちそうにない。主
 たる竜馬が掃除をする必要も、まあないのだが。
  しかし、掃除に役に立たないなら立たないで大人しくしていてくれれば良いのだが、この男、以
 外と鬱陶しいのである。

 「ええか、よう聞け。亜米利加や英吉利やと、こん日は祝い事があってみんな休むもんじゃ。」
 「ここは亜米利加でも英吉利でもありませぬ。」

  以前聞いた、耶蘇の神の生まれた日とかいう話だろう。
  しかしこの国では耶蘇は表立って口にするのは憚られるし、それにおぼろ丸は耶蘇に入信した記
 憶もない。おぼろ丸は生まれてこの方、浄土真宗だ。忍びが何かに縋るなど馬鹿げた話かもしれな
 いが、一応仏は信じている。あと、一応八百万の神も祀っている。
  大体、宗教云々以前に、この時期は大晦日と正月で忙しい時期だ。異国の神が生まれた事を祝う
 暇などあるわけもない。これから天井の煤払いをした後、床を磨いて風呂も掃除せねばならない。
 その後にも、お節を準備したり、餅やら門松やらの準備で忙しい。
  それらは、世間一般的な行事だった。
  少なくとも、世間一般的な行事の詰まった年の瀬に、この上更に耶蘇の祝い事まで詰め込む余裕
 は、おぼろ丸にはない。
  しかし、元来が楽天的なのか呑気なのか、日の本を背負う男は、それをしたいと騒いでいる。要
 するに、忙しい年の瀬の中、この男だけが暇なのだ。
  気持ちは分からぬでもない。
  竜馬はこのところ働きづめだった。それはそれは、日の本を背負う男の名に恥じぬ活躍ぶりだっ
 た。幕府の要人と会談したり、薩摩やら長州やらを飛び回り、それこそ休む暇もない仕事ぶりだっ
 た。騒ぎたい、という気持ちも分からぬでもなかった。
  だが、おぼろ丸が腑に落ちないのは、では時分はどうなるのか、という事である。
  竜馬が働きづめ、と言う事は、必然的に竜馬の護衛にあたるおぼろ丸も働きづめ、という事にな
 る。しかもその上、おぼろ丸は竜馬が休んでいる間も、こうして年の瀬の仕事をしているわけであ
 る。
  無論、仕事をする事に文句があるはずもない。おぼろ丸は忍びであり、主に忠実である下僕だ。
  だが、どうしても、竜馬のこの言い分――というか騒ぎには解せないものがあって仕方なかった。
  しかし、それをいちいち突っ込む気はない。その暇もない。   だから、おぼろ丸は騒ぐ竜馬はこの際丸ごと無視する事にして、再び天井の煤払いに注意を向け
 る事にした。
  ただ、腹の底でこっそりと、後で細君に言いつけておこう、と誓った。