その日、高原日勝は焦っていた。
  そして急いでいた。
  だから、当然の如く、陸上選手も顔負けの完璧なフォームで街中を走りぬけていた。



  師走は、人の入りが多くて慌ただしい。しかも今日はクリスマスである。日本ではクリスマス当
 日よりもイヴのほうが騒がれるが、それでもクリスマスは、学校が冬休みに入ったばかりもあって
 か、いつもよりも街は賑やかだ。
  しかし、最強を目指す男、高原日勝にはクリスマスなどは関係ない事である。
  一応日本人なので、正月にはお節くらいは食べるが、クリスマスはどうでも良い。
  ただし、最強を目指すにあたっては、それなりにまとまった金が必要なので、クリスマス商戦は
 日勝にとってもある意味戦いの時期なのだ。要するに、恰好のバイト時期――金の掻き入れ時なの
 だ。
  そんなわけで、日勝は昨夜から明け方まで、数多くのバイトを梯子していた。因みに、本日は思
 いっきり昼寝をするつもりである。最強を目指すには、鍛練と食事と睡眠が何よりも重要なのであ
 ると、日勝は信じて疑わない。
  また、念の為に言っておくが、日勝は別にバイトをする事が嫌いなわけではなかった。
  一応、それなりの一般常識は持っている――と本人は思っている――日勝は、食うには金が必要
 であると理解している。その為にバイトをする事の重要性は良く分かっている。それに、バイトと
 いうものが如何に体力を使うものなのかも、日勝は知っていた。

     客からの理不尽な要求。
  値引きに殺到する客の整理。
  忽ちの内になくなる値引き品を、バックヤードから出して補充する作業。
  暑苦しく動きにくい着ぐるみを着て、子供達からの攻撃に耐える時間。
  立て札を持って、延々立ち続けるだけの仕事。

  その何れもが、体力と気力と根気と忍耐の必要なものだった。それらは、日勝が普段行っている
 鍛練に匹敵する。まさに、ハートも最強になると決めた日勝に、ぴったりの鍛錬だった。
  金も貰えて鍛錬もできる。こんな良い事が他にあるだろうか。
  因みに、日勝は皮肉でも自虐でもなく、本気でそう思っている。
  なので、クリスマスもバイトと言う名の鍛錬に勤しむ事は、日勝の中では苦痛でもなんでもない
 事だった。サンタの格好をして、店で買い物をしてくれた子供連れの客に、お楽しみ袋を渡してい
 く事など、日勝にしてみれば温い鍛錬である。
  が、その温い鍛錬に足元を掬われようとは、その時の日勝も思っていなかった。
  お楽しみ袋配りのバイトは、実は袋の中に中身を詰める作業からがバイトの内容である。日勝は、
 その日、せっせとロボットやら熊のぬいぐるみやらを袋に詰める作業をしてから、店先に立ったの
 である。
  そして、いざ全てのお楽しみ袋を配り終えて、重大な事に気が付いた。
  何故か、中身が、一つ余っている。袋の中に入っていない熊のぬいぐるみが、箱の隅にちょこん
 と残っているのを見つけてしまったのである。つまり、入れ忘れていたのだ。そんなものすぐに気
 付きそうなものだが、袋は最初から膨らんで見える構造であった上に、お楽しみ袋目当てに並ぶ客
 は絶え間なかった。
  しかし、そんなのは、ただの言い訳である。
  一つ余った熊のぬいぐるみを見て、口をヒヨコにしている暇など、日勝にはない。

  そういえば、一番最後に来た女の子に手渡した袋。あれはなんだか軽かった……!

  思い至り、慌てて視線を巡らせれば、その女の子の家族は、ちょうど店を出ていくところだった。
 それを認識した瞬間、日勝の筋肉は反射的に動いた。熊のぬいぐるみをひっつかむと、猛然と駆け
 出したのだ。   
  が、女の子を乗せた車は、無情にも日勝が店から出るのを見計らったかのように発進した。
  だが、その程度で諦めるのは、世界最強の男ではない。詰まるところ、日勝はそのまま車を追い
 かけたのだ。むろん、移動手段は自らの足である。付け加えておくと、日勝はサンタの格好のまま
 だった。
  熊のぬいぐるみを持ったサンタの格好をした男が駆け抜けていく様が、道行く人々にどのように
 見えたのかは定かではない。そんな事は日勝の知った事ではない。
  ただ、日勝は、車が赤信号で止まっている間になんとしてでも追いつこうと、ひたすらに駆け抜
 けるだけだった。