マッドは突然不機嫌になったサンダウンに戸惑っていた。
そもそも店を見て回りたいと言い張ったのはサンダウンだ。そして自分の主張が通ったサンダウ
ンは先程まで楽しそうに――無表情だったが――していた。
にも拘わらず、サンダウンは唐突に、不機嫌になったのだ。マッドが店先に飾られている物の中
に、懐かしい譜面を見つけた時に、急に不愉快そうな気配を醸し出した、と思った途端、帰ると言
い始めたのだ。その声は、平坦だったが、確かに機嫌の下降を物語っていた。
サンダウンの機嫌が悪くなった理由は。全くマッドには分からない。
サンダウンの機嫌の変調はそれほどに唐突だった。
訳も分からず、マッドはくるりと踵を返したサンダウンを追いかける。むっつりと押し黙ったサ
ンダウンは、馬に跨った後も一言も口を聞かない。もともと寡黙な男である為、黙りこくっている
事自体はそれほど気にならないが、その身体から沸き立つ気配がただ事ではない。
きっと、何か言いたい事があるのだろうな、とは思う。
さっさと言ってしまえば良いのにとも思う。
そのほうがマッドとしても楽だ。無言で変な気配を醸し出されるよりも、ずっと良い。
けれども他人との触れ合いだとかそういった事を基本的に忘れ去ってしまっている傾向のあるお
っさんは、何に傷付いたのかは知らないが、無言で黙々と馬を進めるだけで、他人に対する何らか
の言動は示さない。
だから、マッドも放っておく事にした。
マッドだって暇ではない。これからクリスマスの演出なんて事は断じてしないが、それなりの料
理は作るつもりだった。ケーキだって、一回目は潰してしまったが、改めてちゃんと作るつもりだ。
サンダウンの為なんかじゃねぇぞ、とマッドは心の中で呟いているが、どう考えてもサンダウン
の為の行為でしかなく、自分に言い聞かせている時点でマッド自身も自覚があるというものである
。ぶんぶんとマッドは首を振り、ひとまずはサンダウンの事は頭の中から追い出す事にする。
と言っても、小屋に戻ったマッドの目の前では、薄汚れた茶色いおっさんがソファに転がって不
貞腐れているのだが。視線を動かしても、無駄に図体がでかい所為で、ちらちらと視界の端々に入
ってくる。
何処までも鬱陶しいおっさんに、マッドはげんなりとする。
台所で手を突いて溜め息を吐いていると、いじけている茶色から、低くじめっとした声が湧いて
きた。
「…何故、何も聞かないんだ。」
茶色の中で光る青い目も、じめっとしている。
サンダウンに恨みがましい声と目で、どうやら責められているらしいマッドは、サンダウンのそ
の言い分に眉間に皺を寄せた。
「ああ?俺は何度も聞いただろうが。」
マッドは何度も、すたすたと先に行ってしまうサンダウンの背に、どうしたのかと問い掛けた。
それを全て無視したのはサンダウンだ。マッドを無視して、すたすたと先に行ってしまった。それ
なのに、今更何を言うのか。
すると、サンダウンが酷く落ち込んだ。ように見えた。
些かしょんぼりと肩を落とすおっさんは、どうやら何か本当に落ち込んでいるらしい。
有り得ないサンダウンの様子に、マッドは驚くよりも先に、薄気味の悪さを感じる。なんだ、こ
の物体。
「分かっている………。」
落ち込んだ物体は、ぼそぼそと呟いた。
「……分かってはいる。自分が、大人げない事をした事は。」
どうやら、自覚があったらしい。非常に珍しい事だ、それは。自分が如何に大人げなく不遜であ
るのか、理解していないと思っていたのに。
マッドが今度こそ眼を丸くして驚いていると、そんなマッドの様子になど気付かないのか、ぶつ
ぶつとサンダウンはいじけたように呟き続ける。
「……お前に、似合うものを贈りたかった。」
「は?」
更に、有り得ない言葉がサンダウンの口から零れ落ちた。耳を疑うマッドの前で、サンダウンは
いじけながら、水差しに活けてある薔薇の花を弄っている。そういえば、その薔薇はサンダウンに
貰ったものだった。
が、サンダウンは他にも何か物を贈りたい的な事を言っている。
「お前が、どんな物でも似合う事は知っているが、その中で、一番お前に似合う物を贈りたかった。」
けれども、それが、自分から一番遠いものだったから。
サンダウンは、ぼそぼそと、マッドが手を伸ばしていた譜面の事を告げる。
「……懐かしそうな顔をしただろう。」
サンダウンの中に、薄っすらと翳りが浮かぶ。それを見て、マッドははっとした。確かに、譜面
に懐かしさを見出して手を伸ばした。それが、サンダウンに見られていただなんて。
それを見たサンダウンは、楽譜がマッドに一番似合う物だと思ったらしい。一番マッドの魂に近
いと言って、けれどもそこからサンダウンは一番遠いと呟いている。
「待てよ。」
だが、マッドはサンダウンのその言い分に少しばかり苛立ちを覚え、サンダウンの言葉を遮る。
「何勝手な事言ってんだ、てめぇは。」
楽譜に懐かしさを覚えたのは事実だ。けれども、それは決してマッドの全てではない。確かに楽
譜はマッドの一部分ではあるが、だが、それが一番魂に近いと言われるのは、マッドにとっては不
本意だ。マッドの魂は、別に楽譜だけで構成されているわけではない。
マッドがこれまで歩いてきた道には、薄汚れた血の色もあれば、一粒の砂の色だってある。それ
ら全てがマッドを構成している以上、何が一番というものはないはずだ。
そして、マッドの魂の中には、サンダウンの魂に近いものだってあるだろう。或いは、サンダウ
ン自身が、マッドの魂の一部分を担っているのか。
「俺は、もう持ってるもんなんか欲しくねぇぞ。」
既に魂の中に入っているもので、まして過去にあるものなど。未だ手に入っていない眼の前の男
なら兎も角。
「……それならば、私は、お前に何を贈れば良い?」
途方に暮れたようなサンダウンに、マッドはふん、と鼻を鳴らす。
「さっさと俺に捕まってくれんのが、一番良いんだけどよ。」
「………もう、捕まっている。」
サンダウンが、つ、と立ち上がって、マッドの傍に近付く。そしてマッドの頬を、そのかさつい
た大きな手で包み込んだ。
サンダウンを見上げたマッドは、サンダウンの言葉の意味を理解した途端、包み込まれた頬が熱
を帯びたのが分かった。
「そういう意味じゃなくて……!」
「もう、お前だけのものだ。」
違う、と否定しようとするマッドに、畳みかけるようにサンダウンが囁く。そして、そのまま抱
き込まれ、そのまま倒れ込むような口付けをされた。
それと同時に、指に何かが滑って嵌り込んできた。
「お前の指は、綺麗だな……。」
かり、と耳朶を噛まれて男が囁く。
だから、これが最初は似合うと思った、と。それ以上に似合うものが、存在するのは知っていた
が、これを嵌めたところが見てみたかった、と。
「お前が、これを嵌めているところは今まで見た事がなかったな……そういえば。だから、これは
お前がまだ持っていないものだ。」
これと自分以外には何も持っていない。
囁いて、サンダウンはマッドの指に嵌めこまれた銀の輪に口付けた。