手の中に転がり落ちてきた赤い花束を見て、マッドは本当に言葉を失った。



  な、なんだこれ。
  赤い薔薇の花束なんて物を手の中に押し込まれたマッドは、一瞬考える事を放棄しそうになった。
 如何にマッド・ドッグと雖も、赤い薔薇の花束なんてものを渡された事は生まれて初めてだった。
 渡す事はともかく、渡される事なんて事は、一度もない。
  まだ蕾の、所々萎れかかってはいるものの、何十本もの薔薇をまとめたそれは、決して安いもの
 ではない。
  それを、何処からどう見ても住所不定無職のおっさんが差し出しているのだ。
  マッドに向かって。
  本気か、このおっさん。
  マッドがうろたえてサンダウンを見上げていると、サンダウンはマッドの眼を無視して、素早く
 マッドの膝の上に乗っていた潰れかけた箱を奪ってしまう。その中には、潰れたケーキが入ってい
 る。

 「おい!」

  奪われた箱の中に入っているのは、どう考えても潰れているケーキだ。そのケーキは、人間が食
 べる姿形をしていないであろう事は、サンダウンにそれを投げつけたマッドが良く知っている。そ
 れを奪い去ったサンダウンは、果たして何をするつもりなのか。
  見咎めて声を上げると、茶色い湿気たおっさんは、獲物を抱え込む獣のように睨みつけてきた。

 「これは、私が食べるんだ。」
 「いや、どう考えても食えるもんじゃねぇだろうが。」
 「まだ、食べられる。」

  今は寒い時期だしそんなに痛んでいない、とサンダウンは言う。しかし問題はそこではない。マ
 ッドが言っているのは、ケーキの姿形の事を言っているのだ。
  だが、サンダウンは聞かない。

 「私にくれるんじゃなかったのか。」
 「いや、確かにあんたにやるつもりだったんだけどよ。」
 「ならば、問題ない。」
 「いや、ありまくりだろうが。」

  さっきから言っているが、それは食べられる形を成していないのだ。
  けれどもサンダウンは食べると言い張る。

 「なんでだよ。」

  別に、ケーキくらい、どうだっていいはずだ。何をそんなに拘るのか。
  そう言うと、サンダウンは心外だ、という表情をした。

 「お前の作ったものを食べたいと考えて、何が悪い。」

  真顔で言い放った男に、マッドは何を言われたのか、一瞬分からなかった。理解した時には、そ
 れが赤面ものの台詞であると脳髄にまで浸透した。事実、マッドは耳まで熱くなったような気がし
 た。
  いや、別にそんな大した事ではない、いつも言われている事だ、と思ってみても、よもや崩れた
 ケーキにまでそんな事を言われるとは思っていなかったので、やっぱり赤面ものである。
  それを誤魔化そうと、マッドは手元に残された赤い薔薇を見下ろす。これはこれで赤面ものの物
 体なのだが、しかし一応突っ込みどころがあるので、それに逃げる事にする。

 「くそ、てめぇ、これ萎れかかってんじゃねぇか。つーか、刺まであるし。」

  何考えてんだ、と顔を薔薇の中に埋めて隠すようにしながら呟くと、サンダウンがぼそぼそと答
 える。

 「枯れるまでに、お前が帰ってきたら良いな、とは考えた。」
 「…………!」

  駄目だ。茶色い湿気たおっさんが、もうどうしたら良いのか分からないくらい赤面ものの台詞を
 吐いている。しかも本人は至って真面目だ。顔色一つ変わっていない。崩れたケーキの箱を大切そ
 うに抱えている。
  その様子に、どうしたら良いのか分からなくなったマッドは、ひとまず薔薇を水に活ける事にす
 る。放っておいたら、本当に枯れてしまうだろう。

 「マッド、食べても良いか?」
 「うるせぇ、勝手にしろよ。でも、食っても良いけど、飯の代わりにすんなよ、それを!」

  良く考えてみれば、昼ご飯にしなければ。
  すると、サンダウンが、何を作るんだ、と聞いてくる。何かを、期待されている。サンダウンは
 マッドに何かを期待している。マッドがクリスマスのレシピを見ていた時から、何かを期待してい
 た。

 「言っとくけどな、今日は大したもんは作れねぇからな。材料もねぇしな。」
 「分かった……。」

  明日、買いに行こう。
  サンダウンはケーキの箱を大切そうに持ったまま、そう告げた。サンダウンの中では、もはやマ
 ッドがクリスマス料理を作る事は確定してしまっているらしい。
  その事実を黙認し、マッドは薔薇を活ける水差しを探そうと立ち上がる。
  すると、不意にサンダウンが近寄ってきて、マッドの耳元で囁いた。

 「……ところで、お前は薔薇が枯れるまで、一緒にいてくれるんだろうな?」
 「んなっ!」

  耳元でいきなり囁かれた言葉に、マッドは顔を隠す事も忘れて、耳まで赤くした。