はらはら、と。
サンダウンは、マッドの指の中で踊っている白い紙を見つめた。
何の因果か知らないが、十二月の凍える季節に一つの小屋の中に入り込む事が出来た。そして、
やはり何か因果があるのか、その小屋の中はサンダウンが来るよりもずっと前から暖炉に火が灯っ
ており、部屋の中央には黒い犬が寝そべっていた。
その犬は、サンダウンの足音に気付いて首を持ち上げ、サンダウンを見るとすごく不機嫌そうな
顔をして、あんたかよ、とむくれた声を出した。
普段は、嬉々として自分を追いかけている癖に。
むくれている黒い犬――賞金稼ぎマッド・ドッグの言葉に、サンダウンがそう思っても、無理の
ない事だった。
いつもならば、飽きもせずにサンダウンを荒野の果てまで追い掛け、飽きもせずにサンダウンに
決闘を申し込み、これまた飽きもせずに負けて地団太踏むのだ。その様子は、ぶんぶんと尻尾を振
り回して追いかけてくる犬の姿に見えなくもない。
とにかく、自分を追いかけて来る時のマッドは、楽しそうなのだ。
が。
今のマッドは、打って変わって非常に不機嫌だ。不機嫌がそのまま人間の姿となったと言っても
過言ではない。しかも、それはサンダウンを見た瞬間に、そうなった。
しかし、サンダウンにしてみれば、それは明らかに理不尽な光景だった。サンダウンはマッドを
不機嫌にするような事は何一つとしてしていない。そもそも、賞金首であるサンダウン・キッドは、
賞金稼ぎマッド・ドッグに追いかけられている。いわば、サンダウンのほうがマッドに対して不機
嫌に思う事のほうが多い。はずだ。
大体、サンダウンは、この季節特有の十二月の色に古傷を抉られ、その傷を癒す為にこの小屋に
立ち寄っただけだ。人目を避け、人肌恋しい季節であろうとも一人でいる賞金首である事は、例え
飄々としたサンダウンであろうとも、精神的には何かを削ぎ落される。クリスマスの金銀と赤緑に
染まる街から眼を背け、この小屋に辿り着いたのだ。
胸に、多少の、一抹の、マッドがいたらいいなぁ、という期待は抱いていたが。
マッドがご飯を作ってくれて、夕飯の後に一杯の晩酌を準備してくれて、あわよくばそのままベ
ッドイン出来たら良いと思っていた。思っていただけだ。あとは、白いセーターを着ていれば良い
とか。
それ以外の事は、特に何も望んでいない。
それに、マッドには一言もそんな事は口にしていない。
が、マッドは何かを察知したのか、恐ろしく不機嫌にサンダウンを見ている。マッドとして見れ
ば、これまでの経験から言って、この小屋に現れたサンダウンは大概無体な事を考えていると予測
している。それは、非常にまともな予測だった。
しかし、サンダウンはこの小屋に入ると数本頭の螺子が緩むのか――それが果たしてこの小屋の
所為なのか、はたまたソファにしどけなく寝そべっているマッドの所為なのか、それともそれこそ
がサンダウンの生来の気質の所為なのか――マッドが賞金稼ぎとして、真っ当に己の身に降りかか
る事象を予測しているなどとは考えない。そして、自分がマッドに擦り寄る事が、極めて薄気味の
悪い事であるとは考えもしない。
だから、サンダウンは何ら戸惑いもなく、のそのそとマッドに近付いて、その身体に擦り寄った。
本日のマッドは、普段のきっちりとジャケットを着込んだ姿とは対照的に、些かだらけている。
シャツもズボンから引きだしているし、ベルトもしていない。シャツのボタンだって、上から三番
目まで開いている。
が、だらけている恰好をしているからと言って、マッドが無防備なわけではなかった。
マッドは擦り寄ってきた図体のでかいおっさんに対して、手の中にある本の背表紙で、思い切り
顔面を叩いたのだ。
鼻と額を、コーンという音が聞こえそうなくらい勢い良く叩かれたサンダウンは、地味に痛い。
「てめぇは一体いきなり何なんだ!」
しかも、マッドはそう叫んだ。それは、どちらかと言えばサンダウンの台詞なのだが。
が、サンダウンがそれを口にするよりも先に、マッドの舌のほうが回転率が早い。
「毎回毎回、なんで俺がこの小屋にいると湧いてくんだ!一体どっから湧いてくんだ!あれか!俺
の一時の幸せを打ち砕こうっていう腹か!それでてめぇを追いかけてる俺に対する嫌がらせして
るつもりか!」
しかしそうはいかねぇ!と何か見当違いの方向を向いている犬は、得意げに吠える。
「そんな嫌がらせ如きで、俺はてめぇを諦めたりしねぇぜ!残念だったな!」
つまりそれは、サンダウンが何をしても、マッドがサンダウンを追いかけるという確定要素にし
かならないわけだが。
その台詞に、よし、と頷いたサンダウンは、再びマッドに擦り寄る。
が、再びマッドはサンダウンを本の背表紙で叩き落とす。
「俺がいつまでもやられっぱなしだなんて思うなよ!」
そう言って本を掲げるマッド。その本は、結構分厚い。背表紙はともかく、角で叩かれたら死ね
るかもしれない。
「本が痛むぞ……。」
そんな使い方をしたら。
ぼそりとそう呟くと、マッドは、ふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、てめぇが何もしなけりゃ良いだけの話だろうが。」
「………何もしていない。」
まだ、と心の中だけで呟く。
すると、マッドが物凄い勢いで睨みつけてきた。
それを無視して、サンダウンはもぞもぞとポンチョを脱ぎ捨てる。
「ちゃんと片付けろよ!」
犬が、また吠えた。放っておくと吠え続けるので、すごすごと片付けると、それを見て安心した
のかマッドはソファに座りなおして、先程までサンダウンを殴り続けていた本を読み始める。どう
やら、マッドは一人まったりと本を読んで過ごしていたらしい。
まったりした空間をサンダウンに割り込まれて不機嫌になっていたようだが、サンダウンにそん
なマッドの心境を解せというのは、無理な注文だった。
むしろ、サンダウンとしては自分を放り出してまで読みたい本と言うのが理解できない。一体何
にそんなに夢中になっているのか。
気になって、ポンチョを片付けるのもそこそこに、ティーカップ片手に本を呼んでいるマッドに
再び擦り寄って、背表紙を見ようとする。しかし背表紙には何も書かれていない。だから、本の中
身を覗きこもうとすると、物凄い勢いで遮られた。
「なんなんだ、てめぇは!」
ばたん、と本を閉じて睨みつけるマッドに、サンダウンもむっとする。
「何を読んでいるのかと思っただけだ。」
「てめぇには関係ねぇだろ。」
「…………。」
すげなく言われて、サンダウンはますますむっとする。今までずっとサンダウンを追いかけてい
たくせに、この言い方は何か。
だから、無理やりマッドから本を奪おうと手を伸ばすと、マッドは身体を捻って本を自分の身体
の下に敷いた。そして、べったりとソファにひっつく。マッドをソファからひっぺがさないと、本
を奪う事は出来ない。
何故、そこまで嫌がるのか。
「…………。」
しかしサンダウンはそれを考えようとは思わなかった。
この小屋にいる限り、サンダウンは基本的に考えるという事をしない傾向にある。それは、これ
までマッドがサンダウンの顔色一つで何もかもを察して、食事から風呂から何から何までやってき
た所為である。
だから、サンダウンはマッドをソファから引っぺがす事にした。
要するに、実力行使である。
マッドの腰に腕を滑り込ませ、べりっと引っぺがす。
「だあああ!やーめーろー!」
騒ぐマッドを無視して、サンダウンはマッドの身体の下に敷かれた本を奪いとった。
古びた赤い背表紙の、一見すると何だかわからない本。
「返せー!」
叫んで飛び付いてくるマッドを抑え込んで、サンダウンはマッドが必死になって隠していた本の
中身を捲る。
「…………。」
が、そこに踊る文字は、生憎とサンダウンには理解できない羅列でしかなかった。辛うじて、そ
れがイタリア語である事は分かるのだが、意味までは分からない。
しかし、それ以上に雄弁に物語るのは、本の大半を占める絵柄だ。
七面鳥をローストにした絵や、幾つかのサラダや、そして様々な種類のケーキ。
どうやら、クリスマスに作る料理を一纏めにした本らしい。
ちらりとマッドを見れば、マッドはソファのクッションに顔を押し付けている。表情は分からな
いが、耳まで赤い。とにかく赤い。
「………マッド。」
名前を呼ぶと、びくりと肩が震えた。そして、クッションの中からくぐもった声が聞こえてくる。
「うるせぇぞ!言っとくけどな!てめぇに食わせてやろうとかそういう意味なんかじゃねぇんだか
らな!これはあくまでも俺の料理のレパートリーを増やす為であってだな!てめぇと一緒にクリ
スマスを過ごす為とかじゃねぇんだからな!」
「………そうか。」
「ああ、そうだ!だから、期待なんかすんじゃねぇぞ!」
「分かった………。」
答えて、サンダウンは本を閉じてテーブルの上に置く。
そして、マッドの真っ赤になった耳に口付けた。
「……楽しみにしている。」