夜明けの頃合いを見計らって、一晩中妙に静かだった主人二人達のいる岩影をこっそりと覗き込
 む。出歯亀は趣味ではないが、やけに静かな二人に一抹の心配を覚えたのも事実だからだ。
  私は、息も絶え絶えにべったりと地面に貼り付いているディオをその場に放置し、首を捻って岩
 影を覗き込んだ。
  ごつごつとした岩に背を凭れている主は、おそらく眼を覚ましているのだろう。その主の腕の中
 にいる賞金稼ぎは、もしかしたら眠っているのかもしれない。その身体を抱き締める主の顔は、無
 表情ではあったが、はっきりと幸せそうだ。

  ただ一点、気になる点があるとすれば、彼らの姿形が昨晩見たそれと、一分の狂いもない事だっ
 た。





  Poll






  昨夜と比較して見ても、一糸乱れていない主人達の姿に、私は彼らの身に何が起きたのかが分か
 った。いや、何も起こらなかったと言うべきか。
  一晩中、恐ろしいほどの静けさを保っていた主人達に、一抹の不安が過ぎらなかったわけではな
 いが、まさか本当にそうなるとは。

  ……交尾は?

  私は、幸せそうな主に、心の中で突っ込んだ。
  昨夜、マッドににじり寄って、尻やら腰やらを触りまわったあれは、交尾に取りかかる合図では
 なかったのか。まさか一晩中、尻や腰を触りまわって、それで満足して終わったのか。
  そう思い、私はこれまで口出してこなかった主人の性癖に、微かな疑いを持った。もしや、私の
 主は被虐趣味、とまではいかないまでも、何か自分を苛めて喜ぶ趣味でもあったのだろうか。でな
 ければ、一晩中身体を撫で回してそれで幸せになって何もしないなんて、生物として根本的な何か
 が間違っている。
  私が主人の趣味を疑っていると、私の背後で地面に倒れ伏していたディオがさめざめと泣き始め
 た。

 『ひ、酷い!ヒゲに貞操を奪われてしまうなんて!ご主人、なんてお労しい……!』
 『……いや、どう見ても私の主人は、お前の主人に手を出していないのだが。』

  そう、主は交尾に及んでいない。
  いっそ、何故手を出さないのか不気味なくらいだ。

 『やかましい!こんな変態どもに喰い荒らされて……!ああ、ご主人!俺が不甲斐ないばっかりに。』

  確かに、毛繕いの一つや二つで息も絶え絶えになっているディオは、不甲斐ないだろう。
  私が否定せずに頷いていると、ディオはがばりと起き上がり、くわっと口を開く。

    『てめぇ!てめぇも当事者なら何とか言えよ!』
 『私は何もしていない……。』

  私は毛繕いをしただけだ。
  そう事実を告げてやると、ディオは更にいきり立った。先程まで息も絶え絶えだったのが嘘のよ
 うだ。

 『くそぅ!主人か主人なら馬も馬かよ!』
 『何がだ。』
 『俺だけじゃなくて、ご主人の貞操まで奪われたってのに!それなのに謝罪の一つもなしか!』
 『……だから私も私の主も、貞操など奪っていない。』
 『うるせー!あんなヒゲ、その辺の石ころでも抱いてりゃ良いんだ!』
 『お前の主を想ってか……?』

  それは色んな意味で変態だ。

   『だぁあああ!ちがーう!ご主人をそこに絡めるなー!』

  何を想像したのか、身悶えするディオ。かと思えば、再びさめざめと泣き始める。馬にはあるま
 じき感情の起伏の激しさに、この馬は本当に大丈夫なのだろうかと思う。

 『ごしゅじーん、ごしゅじーん、あんなヒゲに無理強いされるなんて―!ご主人の純潔がー!俺の
  ご主人の清純を返せー!』
 『だから私の主は何もしていないと………。』

    何故抱き合っただけで、それほどまでに過剰になるのか。それとも人間は抱き合っただけで番に
 なるとでも言うのか。だとしたら、抱き締めるだけで満足そうな主についても、理由が付くのだが。
 それどころか、主人は抱き締めるだけでなく尻やら腰やら太腿も触りまくっていたが、それが人間
 の交尾だとでも言うつもりか。 

 『そんなわけあるかー!そんな事でご主人をヒゲの嫁にくれてやれるかー!むしろそれはヒゲが変
  態なだけだ!それどころか、ご主人の尻や腰や太腿を触っただとぅ!それだけで不敬罪に値する
  ぞ!ヒゲの分際で!』
 『お前の主人の尻や腰や太腿は、聖遺物か何かか。』
 『ご主人の尻や腰や太腿は列聖されてもおかしくねぇんだよ!てめぇのおっさんみたいに小汚くね
  ぇからな!』

  そう、半ば意味不明な事を叫んで――尻が列聖されるとは初耳だ――ディオは再び地面に倒れ込
 み、おいおいと泣き始めた。その身体を突いても、おいおいと泣くだけで反応しない。
  それを見下ろし、私は、ふむと頷く。
  そして、もう一度ディオの項を突いてみる。が、やはり、おいおいと泣くだけで反応はない。偶
 に『ごしゅじーん』という鳴き声が聞こえてくるだけだ。
  どうやら、主人達の交尾の行方はともかくとして、奴の毛繕いに対する過剰な反応は治ったよう
 だ。それもこれも一晩中毛繕いし続けたおかげかもしれないし、或いは、おいおいと泣くディオを
 見ていると何らかのショック療法があったのかもしれないとも思う。
  念のために、項以外にも鬣を引っ張ってみたり、脇腹を甘噛みしてみるが、やはり反応はない。
 どうやら、本当に治ったらしい。

    その後も、何度か突いてみたけれど、ディオからは何の反応もなく。
  そして、眼が覚めたマッドは、さめざめと泣くディオになど見向きもせず、自分を抱き込んでい
 た私の主に掴みかかり――やはり交尾はまだだった事と、それでも幸せそうだった主に一抹の疑い
 を覚えた――そのまま決闘に雪崩れ込んだ。
  こうして全ては繰り返すのか、と、私は歴史の流れに微かな諦めを覚え、未だに復活しないディ
 オの横で草を頬張る事にした。





 『……そんな事あったか?』
 『あった。』

  コリコリと私の首を甘噛みするディオは、すっとぼけたような事を言う。よもやあの時の毛繕い
 の事を忘れたというつもりか、だとしたらどれだけお目出度い頭をしているのか。あれだけ一頭で
 大騒ぎしていた癖に。

 『そんな事言ってもな。あんたの主人が変態なのは毎度の事だしな。今更いちいちヒゲの変態ぶり
  を覚えてられるかっての。』
 『………毛繕い如きで、ひぃひぃ言っていたお前も十分に変態だ。』
 『んだと!』

  一気にいきり立つディオに、私はやれやれと思いながら、その項に口を近付ける。

 『落ち着け。』

  そして、ディオが先程まで私にしていたように、コリコリと甘噛みをする。ディオは此処の毛繕
 いが一番好きだ。以前は触れられただけで涙眼になっていたのに。現金なものだ。
  すると、いきり立っていたディオも大人しくなり、渋々と私に毛繕いのお返しをし始める。むろ
 ん、以前のように肉を噛む事はない。コリコリと上手に毛繕いをするディオに、上手くなったもの
 だと思う。

 『それよりも、主人は遅いな……。』

  朽ちかけた小屋の中に籠ったっきり戻って来ない二人を気にして呟くと、ディオが見る間に不機
 嫌になった。けっと吐き捨て、親の仇でも見るような眼付きで、今にも崩れそうな小屋を睨みつけ
 る。

 『くそ……ご主人が一緒じゃなけりゃ、小屋ごと吹き飛ばしてやるのに。』
 『まあ、今それをすれば、間違いなくお前はお前の主人に馬刺しにされるな。』

  久しぶりの逢瀬だ。きっと、主人達はたっぷりと時間を掛けて交尾をしているのだろう。それを
 邪魔するなど、それこそ馬に蹴られてしまっても良い行為だ。
  私は、しばらくは主人が戻ってこないだろうと早々に諦めを着け、ディオの毛繕いをする事にし
 た。ディオもまた、流石に自分の主人ごと小屋を破壊する事は出来ず、唸りながらも私の毛繕いを
 再開した。


  今ではディオはちゃんと毛繕いが出来るし、主人達もちゃんと番になっている。
 
 『なってねぇ!』

  ディオが、往生際悪く、吠えた。