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主は求愛相手であるマッドと、今宵も酒盛りを始めている。主としてはそれが求愛行動なのだろ
うが、当のマッドにはあまり効果がないようだ。しかしそれでも、マッドが大人しくしているのを
見れば、別にマッドも主の事を嫌っているわけではないようだ。
馬の眼から見れば、別にそろそろ交尾に及んでも問題ないような気がするのが。
『んなわけあるか!』
馬と人間を同じにするな!とディオがけたたましく嘶いた。
Flank
嘶くディオにマッドがちらりと視線を向けた。そしてぼそりと、元気にはなったみてぇだな、と
呟く。
「一応、心配はしてたんだ。いっつもは泥が跳ねようが、狼が向かってこようが動じない奴だから。」
ぼそぼそと私の主に向かって告げるマッドの言葉を込み身に挟んで、ディオは感動したように眼
を潤ませた。
『そんな、ご主人に心配して貰ってただなんて!』
感涙した様子のディオに呆れて、私は呟く。
『その前に、お前は自分の主を心配させた事を反省するべきじゃないのか。』
主に心配をかけさせるなど、愛馬として如何なものか。
そう言えば、ディオは一気に不機嫌になって、鼻息を荒くする。
『ふん、んな事てめぇに言われなくたって分かってるよ!でもな、それとこれとは別。馬が主人に
心配して貰った事に感激して何が悪い!』
『感激するのは結構だが、それなら毛繕いの度に、変な声を上げて敏感肌になるのは止せ。』
『やかましいわ!俺をそんな身体にしたてめぇが何ほざいてんだ!』
『だから、その卑猥な表現は止せ。』
けたたましく嘶くディオを窘めていると、もはや我々を出汁にする事を確定した私の主が、呟い
た。
「あの馬は……ちゃんと、馬としてやっていけているのか?」
「あん?」
「……一度人間になった事があるんだ。他の馬達とやっていけるのかと言っている。」
「今んとこ、そんなに問題にはなってねぇような気もするけどな。」
何処がだ。
マッドの言葉に、私は心の中で呟く。毛繕いの度に変な悲鳴を上げ、貞操を奪われたと叫ぶ馬の、
何処に問題がないのか。
「しかし、私の馬といて、調子が戻ったという事は、やはり他の馬との関係に何か問題があるんじ
ゃないのか?」
「ああ?じゃ、なんでてめぇの馬と一緒なら平気なんだよ。」
「……人間だった事を知っているから、じゃないのか。」
「馬ってそこまで分かるもんなのかよ。」
確かに頭は良いけどよ、と言ってマッドがちらりとこちらに視線を向ける。その視線を受けて、
ディオは嬉しそうに尻尾を振る。お前は犬か。
「でも、確かに他の馬に触られるのは嫌いみてぇだな。あんまり関わり合いになりたくなさそうっ
ていうか。」
やはりそうか。
マッドの言葉を聞いて私は頷いた。やはり、ディオは他の馬ときちんとコミュニケーションが取
れていないのだ。ディオは構わないと言っているが、それは賞金稼ぎの馬である以上、してはなら
ない甘えだ。マッドが他の賞金稼ぎ達と狩りをする時、他の賞金稼ぎの馬とコミュニケーションを
取るのは、馬であるディオの役目だ。そのコミュニケーション一つで、主の命の危険が増減する事
が分からないではあるまいに。
『だから、ちがーう!俺が元気がなかったのは、てめぇに弄られて敏感肌になった所為だ!』
『仮にそうであったとしても、毛繕いが出来ないままではいられまい。』
主の命がかかっているのに、そんな我儘を言っている場合ではないだろう。
『うるせぇ!毛繕いしなくたって、俺の巧みな話術でコミュニケーションなんぞなんとでもなるん
だよ!それに今、ご主人を危険な眼に合わせてんのはてめぇの主人だろうが!』
叫ぶディオが何を言っているのかと思い、首を捻って主人達を見やれば、先程まで馬の話で盛り
上がっていた主人達は、程よくアルコールが回り始めたらしい。特にアルコールの回りが早いのは
マッドで、何だかふらふらとしている。そのマッドににじり寄るのは、私の主だ。
ふむ、交尾にでも及ぶつもりか。
しかし、黙っていないのがマッドの愛馬であるディオだ。ふおおおお、と叫んで主とマッドの間
に割り込もうとする。
『あのヒゲ!なに身の程知らずにも俺のご主人に触ろうとしてんだ!てめぇに何か、ご主人の寝顔
でさえ勿体ねぇってのに!』
蹴り飛ばしてくれるわ!と、むしろお前のほうが馬に蹴り飛ばされたほうが良いんじゃないかと
思うような、無粋な言葉を吐きつつ蹄を進めるディオ。そのディオが私の主に撃ち殺されぬうちに、
私は奴を引き止める。
『止めんか。』
奴を引き止めるのと、奴を冷静にさせる事の二つの意味合いを込めて、私は奴の鬣を軽く引っ張
る。途端にディオの背中がぴんっと伸びて硬直し、次の瞬間ぷるぷると震え始めた。それと同時に、
うみゃあ、という奇天烈な声が上がる。
そうだった。
こいつは鬣を引っ張るのも駄目だった。
『な、な、何すんだ、馬鹿野郎!』
『落ち着け。』
勢い良く振り返ったディオの項に、鼻先を埋める。すると、
『ふぎゃあ!』
これまた突拍子もない声が上がる。その声は何とかならんのか。そう思いながらぐりぐりと鼻先
を押し付けると、ディオの身体がぴくぴくと震え始めた。
『う、い、嫌だ!止めろ!』
『この程度でそんな事を言っていて、どうする。』
『うるせっ……ああっ!』
軽く甘噛みしてやると、ディオはふにゃふにゃとその場に崩れ落ちた。それを眼で追いかけて、
ふと視線を主にやれば、主はマッドの身体を自分のほうへと導いているところだった。赤い顔で、
ぽーっとしているマッドは、自分の愛馬の事などどうでも良いようだ。
『ご、ご主人……!この変態達から逃げて……!』
ふにゃふにゃになりながら叫ぶディオの声も、マッドには聞こえていない。というか変態とは何
事か。毛繕い如きでそんなふうになっているお前のほうが、変態だ。
そう思っているうちに、マッドは主の脚の間に挟み込まれるようにして抱き竦められる。もちろ
んこの間、マッドの抵抗はない。
ほう、主は遂に交尾に及ぶのか。
『ふぬぅ!ご主人に手を出すなー!』
ふにゃふにゃの癖に、なんとかしてマッドと私の主の間を引き裂こうとするディオ。そのディオ
に、もう一度、今度は腹への甘噛みを喰らわせると、ディオは、いやぁ!と叫んでその場に倒れた。
ふむ、これは使えるかもしれない。
マッドの尻や腰を触っている主は、今宵思いを遂げる気のようだ。むろん、主の愛馬である私は、
それを歓迎こそすれ止めるつもりは甚だない。むしろ、邪魔をする者がいれば速効で叩き落とすつ
もりだ。
そして、その邪魔者は、今現在においてディオ以外にはいない。そしてディオは毛繕いによって
ふにゃふにゃにする事が出来る。つまり、ディオが何かをしようとすれば、毛繕いをしてやれば良
いのだ。主が交尾に及んでいる、一晩中。
それにもしかしたら、一晩中毛繕いをする事で、ディオも毛繕いに慣れるかもしれない。
これを一石二鳥と言うのではないだろうか。
『ごしゅじ……あぅ!』
『邪魔をするな。』
こりこりと肩口を食んでやる。
『うっ!や、やめろ……!』
『お前が邪魔をしなければ止めるが。』
『な……てめぇは俺にご主人を売れってのか!』
『ならば好きなだけ抵抗するんだな。』
『はぅっ!ああっ!』
一際声が大きく上がった部分を見て、此処が一番酷いのか、と私は頷く。そこで、そこを重点的
に毛繕いしてやる事にした。
『ひぃいい!んぁっ!ああぁっ!』
『酷いな、これは………。』
『んふぅっ……!いやぁ……やめ……っ!』
『これではまともな馬の生活など出来まい。』
呆れながら、奴の脚の付け根をこりこりと噛んでいると、耐え切れなくなったようにディオは地
面に倒れ込む。ひくひくと毛並みを震わせているのはディオが限界である事を示しているが、しか
しこの程度の事で限界だと言って貰っては困る。
『ひっ、ああっ!う、ぁ……!」
くいくいと鬣を引っ張ると、びくん、と身体が震えた。
『あ、ああんっ……。』
『重症だな………。』
『だ、駄目ぇ!や、やぁ、もうっ!』
顎を噛めば、堪らないというふうに身を捩る。脇腹を食めば、過剰なほど震えて変な鳴き声を上
げる。私が馬としてはごく一般的な毛繕いをすれば、その度に、変な声を上げるこいつは、果たし
て本当に毛繕いがまともに出来るようになるんだろうか。
ふっとそんな不安が横切るのと同時に、私はもう一つ気になっている事があった。物陰になって
姿を窺い見る事が出来ない主人達が、やけに静かなのだ。私には出歯亀の趣味はないから、主人達
の交尾など見るつもりなはいのだが、しかしそれにしても静かすぎる。ディオ以外の声が耳に届か
ないのだが。人間達の交尾とは、そんなに静かなものだっただろうか?
微かな不信と不安を抱えながら、私はディオへの毛繕いを続けた。
『いや、やぁあああっ!』
『お前は、もうちょっと静かに出来んのか。』
こうして夜は更けていく。
『…………。』
ディオが反応を返さなくなってから、ようやく私もささやかな安眠にありついた。主とマッドが
どうなっているのかは気にならなくもなかったが、それは夜が明ければ分かる事である。
あまりにも静かすぎた主人達を、些か不安に思いながらも、私は微かなまどろみに身を任せた。