最近、主の元気がない。
  傍目から見れば、無表情無口な主はおそらく普段と全く変わりがないように見える事だろう。し
 かし、長年連れ添った私には、主が今、非常に落ち込んでいる事が分かる。いつもよりも葉巻の本
 数も増えたし、酒の量もやや増えている。これは、落ち込んで、且つ苛立っているのだ。
  その原因は、やはり一連の求愛行動が不発に終わった所為だろう。




  Point of shoulder





  主は、賞金稼ぎであるマッド・ドッグに求愛行動を行っている。人間の求愛行動は動物のそれと
 違い、あまり直接的でない上、生憎と主は求愛行動が苦手な為か、更に分かりにくいものとなって
 いる。
  決闘の際に殺さず生かしておいて、再び追いかけさせるなど、確かにその他の賞金稼ぎにはした
 事がないものだ。が、それを求愛行動と結びつけろというのは、非常に無理があると思う。むろん、
 私はただの馬なので、主のする事に口出しはしないが。
  ただ、最近では主もそれだけでは無理だと悟ったのか、酒で釣るようになった。これは求愛行動
 の常套手段である。それにアルコールを施したのならば、交尾にも入りやすいだろう。言っておく
 が私は馬だ。泥酔状態の無抵抗な相手と交尾に及んだからと言って、それを詰るなど野暮な事はし
 ない。馬に人間と同じ倫理を持てと言うのは無理な話だ。

  しかし、残念ながら主は人間だった。しかも元保安官だった時の血が騒ぐのか、アルコールを摂
 取してぐんにゃりとした賞金稼ぎをそのまま襲い、交尾に及ぶと言う事はしなかった。ぐんにゃり
 としたマッドを眺めて、薄っすらと笑みを湛えて、それで夜を明かすのだ。
  そんな主を見ていると、果たして主は本当に求愛行動を取っているつもりなのだろうかと疑いを
 持つ。もしくは、交尾に及ぶつもりがあるのか、と。
  別に、主がそれで良いと言うのならそれで良いのだが、しかし私の背中の上で明らかに悄然とし
 ている主は、求愛行動が失敗に終わった時の雄のそれだ。
  主が何を以て、求愛行動が不発と思ったのかは分からないが――ぐんにゃりとしたマッドに交尾
 を迫らなかったのは他ならぬ主だ――それには、ここ一週間ほどマッドが姿を見せていない所為も
 あるのかもしれない。

     マッドがいない時の主は、伴侶を失ったばかりの鷲の姿にも見えなくない。むっつりと押し黙っ
 て荒野を行く主は、明らかに不機嫌だった。
  そしてその不機嫌が不安にすり替わるには、そう長い時間は掛からない。行き当たりばったりに
 私を走らせていたのが、はっきりとした意図を持って私を駆けさせた。どうやら、マッドを捜しに
 行くつもりらしい。
  こうしてマッドを捜しに行くのは一体何度目か。捜しに行くくらいなら、さっさと交尾に及んで
 番になってしまえば良いのに。
  果たしてマッドは気づているのだろうか。主とマッドが出会う時の半分くらいが、主が待ち構え
 ているのだという事に。……きっと気付いていないのだろう。気付いていたら、もっと何らかの反
 応があっても良いはずだ。意外にあの男は鈍いのだ。

  とにもかくにも、主が賞金稼ぎを探し始めて約二時間後――何故そんなに早く見つけられるのか
 それは私にも分からない――主は、目的の賞金稼ぎを見つけた。途端に、背中にある主の気配が一
 気に上向きになったのが分かる。
  が、すぐに再び落ち込んだ。 
  主が近付いていると言うのに、マッドが微塵も主のほうを振り返らないからだ。いつもならば、
 すぐに主に気付いて、まるで尻尾を振る犬のように勢いよく駆けて来るというのに、今日はそれが
 ない。
  そんなマッドの様子を見て、私もなるほど主の求愛行動は完全に失敗したようだ、と思った。そ
 れどころか、むしろ嫌われたのではないか。或いは別の雄か雌と番になったか。
  私がそんな事を思っている間にも、背中にいる主の気配は、岩のように重くなっていく。それで
 もじりじりとマッドに近付くのは、事の次第をマッドに問い質す為か。何故気付かないのかと問い
 詰められてもマッドも困るだろうが。

  しかし近付くにつれ、おや、と思った。マッドは荒野の土に脚を降ろしており、いつも彼を乗せ
 ているはずのディオが傍らで落ち込んでいる。その姿は、私が背に乗せている主と同じくらい落ち
 込んでいるように見えた。その、落ち込んでいるディオをマッドが宥めているようだった。
  その事に主も気が付いたのか、重苦しかった気配を少しばかり軽くしてマッドに近付く。
  そして、私の蹄が立てる土埃がマッドのいるとことに届くような距離になって、ようやくマッド
 がこちらを振り返った。その瞬間、背中に乗っている主が微妙に喜んだ。尤も主は無表情を変えな
 かったので、主の喜びはマッドには伝わらなかったようだが。

  悄然としているディオと、それを宥めるマッドの傍に十分に近付いたところで、主は私の背から
 降りた。薄っすらとそわそわしながら、マッドにじりじりと近付く。そんな主に胡散臭いものを感
 じたのか、マッドは何だか迷惑そうな顔をした。それが主を幾許か傷つけたようだ。

 「何しに来たんだ、おっさん。」

  確かに、今回のこれは明らかに主がマッドに逢いに来たという構図だ。マッドにしてみれば賞金
 首が自分に近づくなど、奇妙以外の何物でもないに違いない。が、幸か不幸か、我が主がその奇妙
 さに気付く事はなかったようだ。

 「……その馬が、どうかしたのか?」

  当たり障りのない会話から入っていこうと努力する主。
  しかし当たり障りのない会話というのは、賞金首と賞金稼ぎがするものではない気がするのは私
 だけか。
  その事に気付いたのか、主は取ってつけたように付け足す。

 「また、人間になる兆候でもあったのか?」
 「んなわけねぇだろ。」

  ディオが変な馬である事を出汁にする主。幸いな事に、マッドはそれに喰いついた。

 「なんか最近、調子が悪いんだよ。医者に見せても悪いとこはねぇって言うし。」

  主に会話の出汁にされたディオは、確かに普段と比べれば悄然としていたが、それでも自分を出
 汁にした主を睨みつける。それから私を見て、更に眼光鋭く睨みつけてきた。何だというのだ一体。
  しかし私とディオの睨み合いに気付かぬ主人二人は、会話を続けている。

 「餌も残すし。まあダイエットを考えてたからちょうど良かったんだけど。」
 「……夏バテじゃないのか。」
 「なんでこの時期にそんなもんになるんだよ。」
 「それなら変な物でも食べたか。」
 「それは俺も最初に考えた。でも下痢とかはしてねぇしな……。」

  マッドと会話する事ができて心なしか嬉しそうな主を横目に、私はディオに話しかける。

 『………それで、お前は何をしたんだ。』
 『何かしたのはてめぇだろうが!』

  低く嘶くディオ。その言葉に私は顔を顰める。

 『私は何もしていない。』
 『どの面下げてほざいてんだ!俺の純潔を奪った癖に!』
 『お前の何が純潔だ。それに私はお前の何かを奪った記憶はない。むしろお前に飼葉を奪われた事
  はあるが。』

  マッドにダイエットを宣告された時に、餌が少ないと言って私の飼葉桶に顔を突っ込んでいたの
 は何処の誰だ。

 『何処の馬に振られたのかは知らないが、私に当たるな。そんな事をする暇があったら毛繕いのス
  キルを磨け。』
 『喧しいわ!てめぇの毛繕いが俺にどれだけ傷を負わせたと思って……!』
 『お前のように肉を噛んだりして傷をつけるほど、私は毛繕いが下手ではない。』
 『そうじゃねぇ!俺に心の傷を負わせただろうが!』
 『……心の傷。』

  そんなものから一番程遠い生物に言われても、ぴんとこないのだが。

    『俺の肌を散々弄びやがって!おかげで俺は一週間他の馬に触られるだけで変な声が出たんだぞ!』
 『……毛繕い如きに卑猥な言い方をするのは止せ。それに、その程度で腰を抜かして、これからの
  馬の生活をお前はどうするつもりだ。』
 『うるせぇ!俺にはご主人がいるから良いんだ!』
 『そういうわけにもいくまい。』

  私の主と違って、ディオの主であるマッドは社交的だ。人と触れ合う回数も多ければ、それは即
 ち、その人間達の馬と接する回数も増えるという事だ。そんな時に飼い馬であるディオが非社交的
 ではマッドが困るだろう。
  そう、理を説いてやれば奴は鼻息を荒くして怒り始めた。

 『なんでてめぇにそんな事を言われなきゃならねぇんだ!』
 『私は真理を説いただけだ。』

    ふぬおおおお、と変な嘶きを上げているディオに、マッドがちらりと視線を向けて、

 「なんか治ったみてぇだ。」

  と呟いた。

 「じゃあ、こいつも問題なくなったみてぇだし、今度は俺らの問題を解決しようぜ?」
 「………。」

  かちゃり、と音を立てて銃を掲げたマッドを見て、主が非常に複雑そうな顔をした。主としては
 もう少し、マッドとの会話を楽しみたかったのだろう。それならば、今回の決闘に勝った後、さっ
 さと交尾に及べば良いのだが。
  そう思っている横で、ディオが『頑張ってご主人!』と叫んでいる。こいつは、自分の主を応援
 するよりも先に、毛繕いの腕を上げたほうが良い。あれは、一朝一夕で上手くなるようなものでは
 ない。
  主の決闘を固唾を飲んで見守るディオに、そんな事をしている場合じゃないだろうと、つんつん
 とその項を突いてやる。途端に、ぴぎゃあ、とディオが変な声を上げた。試しにもう一度、今度は
 肩口を突いてやってみても、やはり同じような変な声が上がる。

 『……なんだ、その、変な声は。』
 『てめぇが突くからだろうが!』
 『……お前は、まさか他の馬が触ってもそんな声を上げていたのか?』
 「誰の所為だ誰の!』

  お前の毛繕いの所為で敏感肌になったと、わけのわからない事を叫ぶディオに、私はどうやらこ
 の馬が毛繕いをちゃんと出来るまで、相当長い時間がかかりそうだ、と思った。

    そして、一発の銃声が響き、主が蹲るマッドに嬉しそうに近付いていった。