薄らう月明かりを見上げながら、サンダウンは未だに自分の中に様々な欲望が残っている感じて、
 苦々しげに一息を吐き捨てた。
  人間である以上、欲というものは一生付きまとうもののようだ。例え、自分のように人生を見放
 した存在であっても。 
  生命の根幹である食欲はいざ知らず、この先誰かと添い遂げる必要も、またそのつもりもないの
 に腹の底で熱みを増す性欲に、サンダウンは些かうんざりしていた。
  性欲だけならばまだ良い。
  町に行けば、金さえ払えば幾らでも、どんな人間でも――後々何を言われるかはともかくとして、
 相手にしてくれる女がいる。それを利用すれば、なんとでもなる。
  が、何故か妙にそれに付随してくる何だかんだと言った感情論が、非常に胃もたれを起こす。
  はっきりと言っておくが、荒野にいる娼婦は、サンダウンの好みではない。差別だとかそういう
 のではなく、ただ単純に好みではないのだ。
  派手で婀娜っぽい、蜘蛛と蝶を掛け合わせたような女達。
  自らを着飾り、男達に夢を見させる事に腐心する姿は、確かに健気かもしれないが、毒々しいま
 でに鮮やかな花は、サンダウンのように毒に酔えない男には、蜜を奪う以外にはなんら興味をそそ
 られるものではなかった。
  サンダウンが好むのは、物静かでサンダウンの気を煩わせないような女だった。サンダウン自身
 が賑やかしいのが好きではない所為もあるだろうが、ひっそりと静かに佇む、貞淑な昔ながらの女
 が好みだ。
  サンダウンにとって、女は守るものであって、夢を見るものではなかった。そういった考えが色
 濃く残る北部の町で暮らしたサンダウンが、娼婦に惹かれないのは当然と言えば当然でもあった。
 娼婦を破廉恥だのなんだの、そんな青臭い事は言わないが。
  ただ、彼女達に、面倒臭い愛だの恋だの、惚れた腫れたを絡めようとは思わなかった。逆に相手
 が絡めようとしたなら、それこそ全力で抵抗しただろう。
  もしかしたら、荒野の娼婦の中にも、サンダウンが好むような気質を持った女がいないとも限ら
 なかったが、しかし乾いた砂が香る荒野に、緑の森のしっとりとした空気が漂う事がないように、
 荒野の女が、北部の森の女と同じ気質を持っているとは、サンダウンには考えられなかった。
  だから、荒野に来て以降、サンダウンは誰かを愛そうと考えた事も、勿論恋に堕ちた事もない。

 「それを、今、俺に言ってどうしようってんだ。」

  サンダウンに二の腕の柔らかい所を噛まれているマッドは、酷くくだらなさそうだった。
  ベッドに寝転がっているマッドの上に覆いかぶさり、はむはむと二の腕を甘噛みしているサンダ
 ウンは、別に、とくぐもった声で答える。
  サンダウンの論で考えれば、マッドはサンダウンの好みではない。男女の差があっても、しかし
 肉体の中身に対する好みは、そこまで変わらないだろうと思う。
  マッドはお喋りだし、賑やかしい。騒ぐ時は信じられないくらい騒ぎ立てるし、鬱陶しいくらい
 サンダウンを追い掛けてくる。その上、自分の身体の線をどうすれば一番魅力的に見えるかが分か
 っているようで、それが最も効率が良いと判断した暁には誰彼かまわず肌を見せたりする。
  サンダウンが好む、貞淑さからは徹底的に掛け離れた所にいる存在だ。
  が、今、こうしてサンダウンが二の腕を食んでいるのは、紛れもなく、マッドだった。
  好都合だ、というのが、一番手っ取り早い回答だ。荒野では街を見つけるのも面倒で、となると、
 女を見つけるのも手間がかかる。それなら、その辺にいる誰とでも性欲処理すれば良いだけの話だ。
  ただ、サンダウンの場合、自分の唯一の優れた部分である銃の腕と、賞金首に成り下がっている
 という事実が邪魔をして、簡単に人が近寄らなくなっている。
  賞金首になった当初は、5000ドルの賞金に惹かれた賞金稼ぎやらならず者が、まだ、近寄ってき
 た。
  だが、サンダウンが容赦なく彼らを地面に叩き伏せれば、もはや敵わないと見込んだ賞金稼ぎ達
 は、もっと別の安心して撃ち取れる賞金首を捜しに行き、命は惜しいならず者達は尻尾を巻いて逃
 げ出した。
  また、そうした事実が尾ひれ背ひれを付けて泳ぎ回り、一般人でさえサンダウンには近寄らない
 ――サンダウンも一般人に近づこうとは思わないが。
  結果的に、誰とも関わる事の出来なくなったサンダウンが、性欲の処理相手として見做せるのは、
 唯一、未だにサンダウンを狙い続けている賞金稼ぎマッド・ドッグくらいのものだった。
  要するに、他に相手がいなかっただけなのだ。

 「でも、娼婦は相手にしてくれんだろうが。」
 「……町にわざわざ行くのが面倒だ。」

  もごもごと呟けば、何が言いたいのか分からねぇな、とマッドが嘆息するような声を出した。

 「俺があんた好みじゃねぇ事は分かったがな。でも、だからそれでもあんたは俺の二の腕を噛んで
  るわけだし、何もどうしようもねぇだろ。あんたがそれを止めない限りは。」

  マッドは、別に自分はどっちでも良いのだ、と言う。
  それはそうだ。賑やかしいマッドにしてみれば、荒野に埋もれる萎びた男がいなくとも、町に行
 けば幾らでも相手をしてくれる女も、男もいるのだ。サンダウンのように、好みではないが仕方な
 く相手を限定しなくてはならないというわけではない。
  マッドは、サンダウンがいつこの行為を止めても、なんら問題ない。
  サンダウンとは全く立場が異なるのだ。

 「……お前こそ。」
 「あん?」

  くぐもったサンダウンの声に、マッドは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにくだらなさそうな表情に
 戻る。

 「俺のはただの施しさ。俺だって別に、あんたみたいなおっさんが好みなわけじゃねぇ。俺の好み
  はあんただって知ってるだろうが。」

  気が強くてグラマーな女。
  サンダウンがあまり好まない女だ。

 「ま、別に俺とあんたは命を削り合う者同士なんだし、これで両想いだって言われてもな。あんた
  だって困るだろうが。」
 「………。」

  それはそうだ。
  きっと、そう遠くない将来、どちらかの弾道がどちらかの心臓を貫通する。それはいつかは分か
 らないが確定した未来だ。そんな相手に、両想いも何もない。
  ただ、サンダウンがいなくなってもマッドは困らないだろうが、マッドがいなくなったらサンダ
 ウンは、少しばかり面倒な事になる。マッド以外に、今のところ荒野のど真ん中で性欲処理に付き
 合ってくれそうな相手がいないからだ。捜したとしても、見つからない可能性が高い。

 「何、あんたが俺を殺らねぇのって、相手がいなくなるのが嫌だからか。」
 「…………。」
 「わー、大概気が付いてたけど、あんたも所詮はただの男なんだなー。あんたの好みのタイプの女
  なんて、正直なところ荒野じゃ絶滅危惧種だと思うぞ。そんな大人しい女、既に夫がいるか、誰
  かに食い潰されてるぜ。」

  逞しくないと荒野では生きていけない。
  絶対的な掟だ。

    「まあ、そんな夢ばっかり見て生きてたあんたも絶滅危惧種だと思うけどな。いや、俺で済ませて
  るあたり結構図太いか。あんたって、案外理想と現実の差を諦めてるんじゃね?」
 
     あんたが理想を追いかけてたって気持ち悪いだけだけど。
  どうでも良さそうなマッドの声は、少し眠そうだ。ふあ、と欠伸をしているのを見れば、適当に
 話を進めていっている可能性もある。マッドにはどうでも良い事だろうから、仕方ないのかもしれ
 ないが。

    「そうだ、仕方がない事だ。」
 「なんだよ、急に。」
 「私には、お前しか残されていないからな。」

  どんな形であれ、欲望をぶつけ合う相手は、サンダウンにはもう残されていない。西部にやって
 来た時に、好みの女は北部の森に埋もれていったし、保安官を辞めた時に人として築き上げた関係
 も全て失われた。
  サンダウンに残されているのは、賞金首になった後の事象しかない。そしてそれは片手で数えら
 れるほどの数しかない。
  そのごく少数の中に、マッドがいて、唯一の人間がマッドであったというだけの話。
  好みであるなしに関わらず、サンダウンに残された人間はマッドしかいないのだから、サンダウ
 ンは否応なしにマッドを選ぶしかない。
  出会わなければ良かったのかもしれないが、それは今更言っても、遅い。マッドはサンダウンの
 前に現れてしまったし、マッドはサンダウンを諦めもしなかった。サンダウンはそれに付け入るか
 撃ち落すかの二択しかなく、サンダウンは今は付け入る方を選んでいる。
  撃ち落すという選択肢も、マッドが未だに提示し続けているから、いざとなればそちらに逃げ込
 む事も出来る。
  最期に残された、けれども随分と拘束力の緩い選択肢だ。少なくとも、もう片方を選ばない限り
 は、マッドが生きている限りはいつでもサンダウンは選択肢に立ち返る事が出来る。
  だから、サンダウンは、まだ、マッドに付け入る事を選んでいる。
  仕方がない事だと言いながら。