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 電撃の基礎講座は、新入生達で盛況だった。それはそうだろう。何せ火炎と同じくらい、電撃は魔法使い
が使う魔法らしい魔法だ。我流で魔法を使ってきた者もいるだろうが、しかし電撃は簡単には使いこなせな
い。それを学ぶ機会があるのだから、魔法というものに憧れを持ちこの学校に入学してきた者が、この講座
に殺到するのは当然のことだ。
 そんなわけで、講義室が新入生でいっぱいになるのは毎年のことだった。おかげで、フィルオーラは大体
の新入生と顔を合わせることになるのだ。
 フィルオーラは、講義室の最後席に一人座るエルアシュトを見つける。そして最前席に陣取ったアンリエ
ールを見やる。こちらを食いつくように見るアンリエールと、どこか瞑想しているような静けさを湛えたエ
ルアシュト。同じ精霊に愛された証を持っているのに、こうも違うのかと思い、苦笑する。
「さて、電撃とはこのように、光と炎の両方によって生み出すことができ、このような生み出し方が初歩中
の初歩となります。かの偉大なる魔術師セラスは、そのどちらに頼ることもなく天を覆うほどの稲妻を呼び
出すことができましたが、それは上級クラスに行ってからの話。皆さんにはまず、炎と光による電撃魔法を
学んでもらいます。」
 フィルオーラは電撃魔法の初歩的な成り立ちを説明し、ぱたりと教科書を閉じる。
「とりあえず、今日の授業はこれでおしまいです。次回からは、教科書は持ってこなくてもかまいません。」
 フィルオーラの宣言に、一瞬生徒達がざわついた。アンリエールも目を丸くしている。その様子を小さく
微笑みながら見回し、
「私、座学ってあんまり好きじゃないのよ。」
 と、ざっくらばんに告げた。
「電撃魔法というのは、日常生活ではまず使われることがない魔法。使われる時は相手を打ち倒す時がほと
んど。つまり、緊急性の高い魔法なの。だから魔法を使う時に、理論だとかそういうことを考えている暇な
んてない。つまり、実践を重視します。」
 この講義は、習うよりも慣れろ、が基本だ。
「試験も実技のみ。だから教科書は講義に持ってくる必要はないわ。もちろん、魔法の歴史だと理論だとか
そういうのに興味がある人は、教科書を読んでみてもらって構わないわ。上級クラスや他の魔法の講義の役
には立つし。ただ、私としてはそれよりも、オディール先生の魔法倫理学の講義を受けてもらいたいわね。」
 相手を攻撃することにほぼほぼ特化したこの魔法を扱うにあたって、できることならば魔法倫理学も学ん
でいてもらいたい。むろん、この講義でも多少は語るつもりだが。
 けれど、とフィルオーラは新入生達を見回す。魔法倫理学の講義を受けていようが受けていまいが、ハトゥ
ーザやイグレイスのような存在は、どうしたって現れるのだ。
「じゃあ、今日の講義はこれで終わりです。次回はさっそく実技に入ります。」
 バラバラと立ち上がる生徒達の一番最後列に、フィルオーラは生徒達のざわめきにかき消されないように
声をかける。
「エルアシュト、あなたは少し残ってちょうだい。」
 その瞬間、立ち上がって鞄を肩にかけようとしたエルアシュトの動きが止まり、アンリエールの眼も大き
く見開かれた。そしてアンリエールが慌てたように口を開く。
「フィ、フィルオーラ先生!わ、私も先生に質問があります。」
 何がどう「私も」なのか、とフィルオーラは苦笑し、アンリエールを宥める。
「ええ、質問は後で聞くわ。ただ、先にエルアシュトと話をしておかないといけないことがあるの。」
 アンリエールの眼に、はっきりと嫉妬の色が浮かんだ。彼女は、自分と同じく精霊に愛された存在である
エルアシュトに、並々ならぬ競争心を抱いているのだ。
「もう一つの講義のことですか?」
 アンリエールの眼差しになど欠片の興味も抱いていない態のエルアシュトに、フィルオーラは首を横に振
る。
「いいえ。騎士団からの依頼よ。」
「……騎士団?」
 生徒達がざわつきながらも講義室から出ていくのを横目に、エルアシュトは自分の青みがかった白い髪を
引っ張った。アンリエールは立ち去らずに、エルアシュトのその様子を睨みつけている。
「……護衛の話でもあったんですか?」
「察しが良いわね。」
 エルアシュトと、その後ろのほうで膨れっ面のアンリエールを見比べながら、フィルオーラはもう一度、
苦笑をこぼした。
「といっても、四六時中見張るっていうわけじゃないの。あなたがどの講義を受けるのか、時間割が知りた
いそうよ。」
 気は進まないかもしれないけれども治安を守る彼らのためにも教えてあげてくれないかしら。
 フィルオーラの言葉にエルアシュトは少しだけ顔を顰めていたが、すぐに良いですよ、と答えた。きっと、
自分の容姿が何を齎すか、理解しているのだろう。
「今から言えばいいですか?」
「ええ、お願い。」
 フィルオーラは紙を取り出し、エルアシュトの告げていく講義名を記載していく。それをアンリエールが
横目で盗み見ている。彼女もまた、エルアシュトがどんな講義を受けているのか気になるのだ。
 エルアシュトが今学期受けるつもりの講義をすべて書き出し、フィルオーラはありがとう、と彼に言った。
いいえ、とエルアシュトは答え、
「もう、帰っても?」
「ええ、大丈夫よ。」
 フィルオーラに一礼して、青白い月のような姿が背を向け、去っていく。その姿が講義室から出て行った
瞬間に、
「あのう……」
 と、アンリエールがおずおずと声を上げた。
「ええ、質問ね?何かしら。」
フィルオーラは彼女に向き直り、彼女の「質問」とやらについて問いかける。すると、アンリエールはこう
告げた。
「……私も、月による精神魔法の講義を受けたいんですけど。」





「こっちだ。」
 酒場の奥のほうで、ハインリヒが手をひらりと振った。
 ここは、グランツ魔法学校から少し離れた宿泊街にある、宿に併設されてある酒場だ。安くて美味いと評
判で、騎士達もよく使っているらしい。フィルオーラは専ら学校内の食堂を使用しているので、ここに来る
ことはまずないのだが、エルアシュトの時間割が分かったことを学校内を巡回していた騎士に伝えたら、夕
方頃、らこの酒場で待っているとハインリヒから伝言があったのだ。どうやら何か忙しくしているらしく、
学校にまで足を運べないらしい。今こうして呼び出された時間も、あとに時間もすれば日付が変わるような
時間だ。
「忙しいの?」
 ハインリヒのいるテーブルの前に座ると、ハインリヒは既に頼んでいた料理から顔を上げ、少しな、と答
えた。それでも仕事は一応は終わっているらしく、いつも着こんでいる鎧は外している。
「お前も何か頼むか?」
「学校で食べてきたから、お茶だけで結構よ。」
 近づいてきたウェイターにも紅茶を頼み、ハインリヒにエルアシュトの時間割を書いた紙を渡す。ハイン
リヒは料理を口に運ぶ手を止め、それを手に取ってちらりと目を通した。
「随分と勉強熱心だな。それとも、今年の一年生は全員こんなに授業を入れるものなのか?」
「その子が特別なのよ。普通の一年生ならまず手を出さない魔法の授業にも手を出してるから。」
 フィルオーラが受け持つ月による精神魔法も、新入生が手を出すことのない授業の一つだ。こんなにも授
業を受けるのは、エルアシュトともう一人、アンリエールくらいなものだ。
 ハインリヒは、休みの日以外はぎっちりと詰まった時間割を、しばらくは無言で見ていた。おそらく、ど
うやって警護をするか考えているのだろう。やがて、考えがまとまったのか、それとも今考えてもまとまら
ないと判断したのか、時間割を書いた紙を畳むと、
「助かった。これは貰っていっても良いか?」
「ええ。そのために持ってきたんだもの。」
 フィルオーラの言葉に一つ頷くと、紙を懐にしまう。そして、料理を食べるのに再び取り掛かった。
「しかし、あれだな?」
「何?」
 ウェイターがフィルオーラの紅茶を持ってきた時、料理に専念しようとしていたハインリヒが口を開いた。
「エルアシュト、か。ハトリウス帝国の妖精の森あたりの出身か?」
「いいえ。ビシア南部の出身だと、提出された書類には書いてあったけど。」
「そうなのか?俺はてっきり、風の精霊エアシュトを信仰している地方の出身だと思ったんだが。」
 何せ名前が似すぎている。
 そう言ったハインリヒに、そういうものじゃないと思うけど、とフィルオーラは答える。
「信仰していたら、逆に似すぎている名前なんて付けないものじゃない?恐れ多くて。それにエアシュトは
色々な種族に信仰されてるから、守護している種族のいる地方以外にも信者はいるでしょう?」
「まあな。しかしビシア出身となると、それはそれで大変だっただろうに。あそこはマウティアとも教皇国
とも近い。あの姿では危険なこともあっただろうな。」
 数年前、ビシアの拠点騎士を務めていたハインリヒは、危険なことの具体的な内容をよく知っているだろ
うし、実際に危険な目にあった者達のことも見てきたに違いなかった。故に、その声はしみじみとしていた。
「今はどうか知らんが、俺がいた頃は、あの辺りはマウティアの間諜やら教皇国の特殊兵やらが、至る所に
いたからな。連中は人身売買もやっていたから、被害者の中には白子がいたこともあったしな。」
 ハインリヒから、昔の話を聞くのは初めてかもしれない。昔何処に派遣されていたのかは聞いたことがあ
るが、その時に何があったのかをハインリヒが話すことは、これまでに一度もなかった。何か、話をしたく
なるようなことがあったのか。今日も随分と遅くまで働いていたようだし、疲れているのかもしれない。
 フィルオーラがハインリヒの愚痴を聞く覚悟を決めた時、ハインリヒはふと口を閉ざし、そういえば、と
話を切り替えた。ハインリヒ自身も自分が愚痴っぽくなっていることに気が付いたのだ。
「新しい騎士が入った。」
「そうなの。」
 ハインリヒの昔の話を聞けなかったことに、なんとも言えない気持ちを味わいながら、フィルオーラも気
楽そうに答える。
「ああ。そのうちお前達も会うだろう。魔法学校の警備をさせることになるだろうからな。」
「あら?新人に?」
「腕は立つ。そこは俺が保証する。俺としては、奴らにある程度の忍耐はつけさせたい。」
「魔法学校はうってつけの場所ってこと?ひどい言いようだわ。」
「事実だろう?それと、たぶんだが、エルアシュトの警護になるだろう。」
 新人騎士達はまだ若く、それなら新入生達にも威圧感を与えることはないだろう、という配慮だそうだ。
ふうん、とフィルオーラは頷く。
 その後二人は、差しさわりのないことを適当に語り合って、酒場を出た後は別々の方向に立ち去った。