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 レイガルドというのは、かつてグランツ魔法学校に所属していた天才魔術師だ。
 否。
 天才、というのは間違っている。あれは、天才などという言葉の枠では測りきれない存在だった。
 フィルオーラが学生だった当時、天才といえば三人いたのだ。
 今はアルメイヤ監獄島に収監されているハトゥーザ、ハトリウス帝国の宮廷魔術師となったミエラ、そし
て在学中に禁書を破りそのまま行方知れずとなったイグレイス。この三人は、互いに切磋琢磨し合う、紛れ
もない天才だった。ハトゥーザとイグレイスは禁を犯し、片方は行方知れずだが。
 しかしレイガルドは、その三人とは確実に一線を画していた。天才でもなんでもない、ただの魔術師でし
かないフィルオーラにもそれは分かった。
 レイガルドは、泉だ。
 精霊に愛された、青い髪を持つ、限りない泉だ。
 その身からは魔力が常に滴り落ちている。その歩の進む先では草木が生まれ萎れ、視線が映す先には彼の
思い描いた幻が揺らぐ。指先一つで風が吹き荒れ、その声一つで命を自在に操る。
 彼は、魔法そのものだった。
 ハトゥーザはなんとかしてレイガルドに追いつこうとして、何度も身体を壊しかけ、ミエラとイグレイス
に窘められていた。ハトゥーザは学校を卒業してからも、レイガルドの影を追いかけていたのだろう。その
結果、アルメイヤ監獄島に収監されるようなことをしでかしてしまったのだ。
 レイガルドの消息は、分からない。
 在籍中に禁書を破り行方知れずとなったイグレイスとは、その意味合いは違う。レイガルドはひたすらに
模範的な魔術師だった。誰とも関わろうとせぬまま、ひっそりと卒業し、その身を隠した。それは己の身の
うちにある魔力のために、そうしたのかもしれない。
 そんなレイガルドによく似たという生徒。
 入学式の講堂では、フィルオーラはその姿を見つけることは出来なかった。フィルオーラがその生徒を見
たのは、入学式の翌日、生徒達が履修届を出した時のことだった。
 グランツ魔法学校には、クラスだとかそういうものはない。個々が受けたい授業を受ける事ができる。も
ちろん上級の魔法について学ぶには、下級の魔法の授業を履修していることが必須条件だが。
 フィルオーラは、電撃の基礎講座と、月による精神魔法全般を教えることになっている。どちらも取り扱
いが難しい魔法だが、電撃のほうは受ける生徒も多い。だが、月のほうはなかなか取っ付きにくいところが
あるので、入学してから年数が経った生徒がよく受けるのだが。
 その生徒は、ひっそりと月の受講届を出してきたのだ。
 受講届を差し出したその手を見て、はっとした。おそろしいほど白いその手から視線を外し、生徒の顔を
見る。手と同じように病的に白い顔と、そこにある二つの赤い瞳。そして髪も白。
 白子だ。
 否。それだけではない。
 髪は、薄っすらと青味がかっている。精霊の加護がある。
 受講届の名前の欄を見る。エルアシュト、と書かれている。
「あなた、一年生ね?」
「はい。」
 いけませんか。そう、声変わりしかけた声で、エルアシュトは問うた。問いかけにフィルオーラは、いい
え、と首を横に振る。
「一年生でこの講義を受ける子は珍しかったのよ。」
「そうですか。」
 頷く少年は、フィルオーラの不躾な眼差しにも特に表情を変えなかった。もしかしたら、慣れているのか
もしれない。白子は今でこそ差別が撤廃されつつあるが、かつては生贄として捕らえられ、神に捧げられる
ことが多かった。この少年が、それを知らないとは思わない――差別は撤廃されつつある、のであって、未
だに存在しているのだから。
「これは受理しておきます。授業の時間は時間割で確認して。他の授業と被らないように気を付けて。」
「はい。」
 エルアシュトはもう一度頷き、くるりと背を向けてフィルオーラの前から立ち去っていく。その後ろ姿の
何処かにレイガルドを見出そうとしたが、諦めた。そもそもレイガルドがどのような立ち姿であったのか、
よく覚えていないのだ。
 だが、確かに、レイガルドに近い、何かこちらの有無を言わせぬ気迫がある。
 遠ざかっていくエルアシュトの後姿に、フィルオーラは一瞬何か声を掛けようかと躊躇った。白子として
気を付けるように、あるいはレイガルドという名前を知らないか、と。
 だが、結局声は出せぬまま、蒼褪めた背中が廊下の角を曲がるのを見送るだけとなった。




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 髪の青い新入生は、もう一人いた。アンリエールという少女だった。くるくると良く表情を変える子供で、
こちらは電撃の基礎講座の受講届を持ってきた。
「私、この学年の主席になってみせます!」
 聞かれてもいないのにそう宣言した少女に、フィルオーラは苦笑し、受講届に印を押したのだ。こういう
生徒は学年に必ず何人かはいる。そのほとんどが何処かで挫折し、そのまま学校を去るか、平凡な魔法使い
に埋もれるか、それとも奮起して食らいつくか、あるいは道を踏み外すか。それら全てをフィルオーラはこ
の学校で見てきた。
 アンリエールはそれらのうち果たしてどれになるだろうか。おそらく、彼女が青い髪というだけではどう
しようもないということに気づくのは、そう遠くない未来だろう。そしてその時、彼女を叩きのめすのは。
 エルアシュトの赤い眼差しを思い出す。
 きっと、あの赤い瞳が、それとは知らずに少女の踏み躙ってしまうだろう。レイガルドがハトゥーザをそ
うしたように。
「どうだった?」
 受講届を出す生徒達の波が途切れた時を見計らって、アルフェスがうきうきとした足取りでやってきた。
上級講座を受け持つ彼女は、新入生と関わることはほとんどない。しかし野次馬根性だけは人一倍あるので、
こうしてフィルオーラのところにやってきて、情報を聞き出そうとしているのだ。
 そんな同僚に苦笑しつつ、そうね、と答える。
「まあまあ例年通りって感じね。電撃の基礎講座は相変わらず人気だし、月の精神魔法は三年生以降の受講
が多いわ。」
「そういうことは聞いてないわ。」
 知っている。
 アルフェスの言葉に、フィルオーラは心の中だけで答える。アルフェスの魂胆を知っているからこそ、適
当に躱しているのだ。
「レイガルドに似てる子がいるっていったでしょう?」
「青い髪の子なら何人かいたけれど、レイガルドに似ている子はいなかったわ。」
 嘘は言っていない。レイガルドと似た気迫を湛えたエルアシュトは、しかし見た目はレイガルドには似て
いない。
「嘘よ。白子の生徒が此処から出て行くのを見たのよ。」
 その台詞に、フィルオーラは溜め息を吐いた。そこまで見ていたなら、勿体ぶった言い方をしなくても良
いだろうに。
「確かに白化症の生徒なら来たわ。ねえ、アルフェス。あんまり外では白子なんて言葉は使わないほうが良
いわ。言葉狩りは好きじゃないけれど、だからといって大声で口にする言葉でもないもの。」
 それと、と付け加える。
「あの子、確かに髪は青味がかっていたけれど、レイガルドほどじゃなかったわ。むしろ別の女の子のほう
が髪の色はレイガルドに近いんじゃないかしら。」
「対して似てなかったって事?」
「ええ。」
 これで話は終わり、とフィルオーラはアルフェスに背を向ける。アルフェスは納得できないのかしばらく
そこにいたが、やがて諦めたのか立ち去った。
 アルフェスが立ち去って、しばらくしてやってきたのはハインリヒだ。まるでアルフェスが消えるのを待
っていたかのようなタイミングに、フィルオーラは思わず言った。
「見てたの?」
「何をだ?」
 きょとんとしたハインリヒに、なんでもないわ、と呟く。
「それで?入学式も終わったのに、今日もなんで学校に来たの?」
「白子が入学しただろう。」
 さっきまで、その話をアルフェスともしていたし、それより前に当の本人が此処に来ていた。
「その言い方は、」
「分かっている。人前では白子なんて言わん。分かりやすさを優先させただけだ。」
 ハインリヒはひらひらと手を振って、フィルオーラの咎めを躱す。
「その件で、バルザー学長に呼ばれていただけだ。問題がないように学校側も万全を尽くすが、何かあった
時はよろしく頼む、と。」
 何か具体的な話があったわけではないの。ただ、問題があった時のための、最初の顔合わせだ。
「まあ、どこで教皇国やらマウティアの連中やらがいるとも分からんからな。気には留めておかないといけ
ないだろうよ。」
「そうね。」
 ハインリヒの挙げたその二国は、未だに種族差別も深く根付いており、生贄に人を使うこともある国家だ。
そして白子はその姿形から、生贄として常に狙われ続けてきた。エルアシュトだけを特別扱いするわけでは
ないが、しかし治安を守る者としては気にかけなくてはならないだろう。
「その子、私の講義を受けるわ。なんなら、私からその子に時間割を聞いておくけど。」
「ああ、そうしてくれると助かる。だが、素直に教えてくれるといいんだが。」
 白子にとって、その扱いは果たしてありがたいものなのか否か。どう足掻いても生贄であるという事実を
突きつけるだけではないのか。故に反発されないか。ハインリヒの懸念はそこだろう。しかし。
「特別扱いされているみたいなものだものね。守られるのだとしても、良い気はしないでしょう。でも、そ
の子以外の身も守るためにも必要なことだわ。」
 なんとかして聞いておくから、とフィルオーラが言うと、ハインリヒはまだ少し眉間に皺を寄せていたが、
そうだな、と頷いた。