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 雲一つない空は、白く強い日差しが差し込み、薄い青色をしていた。文句のつけようのない快晴だ。これ
ならば、本日このグランツ魔法学校に入学する少年少女達も、すっきりとした新しい気持ちで入学式に臨む
事ができるだろう。
 そんなことを思って、魔法学校の教師の一員であるフィルオーラは少しばかりおかしくなった。
 快晴だろうが雨だろうが、入学式は行われるのだ。天候によって左右されることなどない。だから新入生
達の新しい環境に挑む気持ちが、天候によって変わるなんてことは同じくらいにないはず。なのにやはり晴
れたほうが良い、と思うのはどういうわけか。人の心とは未だに良く分からない。心に影響を与える魔法を
研究する魔法使いも大勢いるというのに。
 ふふっと笑いながらフィルオーラは、もうすぐ新入生達で埋め尽くされるであろう講堂へと続く中庭の小
道を歩く。日差しは強いが、まだ少し肌寒い。今年は春が遅かった。中庭の樹々はようやく花の蕾を付けた
ばかりだ。
 天気は良いけれども、ちょっと寂しいわね。常緑樹の古びた緑しかない中庭を眺めながら、そんなことを
思う。魔法で花を咲かせてみようか、とも思ったが、フィルオーラ一人で判断して良いことではなかったか
ら、やめた。魔法使いだから、といって、好き勝手に魔法を使って良いというわけではないのだ。まして教
師である以上、学生達の規範となることが強く求められる。学校の共有物に勝手に手を加えるなど、しては
ならない。
 フィルオーラは、新入生達を迎えるために机と椅子がびっしりと並んでいるであろう講堂へと眼を向ける。
講堂の扉は今は閉ざされているが、これから少年少女達で埋め尽くされる。その中の一体何人が、魔法使い
として大成するだろうか。そしてその中の何人が。
 一つ、深呼吸する。
 一体、何人が、道を踏み外すだろうか。
 フィルオーラは知っている。偉大な魔法使い達の何人かは、間違いなく凶悪な犯罪者であったことを。そ
してその中には、フィルオーラの知り合いも、かつてこの学校で共に学んだ友人も含まれていることを。彼
らは今、アルメイヤの監獄島に収監されている。世界が反転でもしない限り、彼らが再び日差しの下を歩く
ことはないだろう。
 何故、彼らは道を踏み外したのか。フィルオーラには、分かるようで分からない。問いかけたくても、叶
わない。アルメイヤ監獄島の囚人は、看守と罪人以外には面会できないのだ。
 フィルオーラは、ふるりと身を震わせた。肌寒い、というだけではない。魔法使いならば心の何処かで感
じている倫理の壁の脆さが、妙に恐ろしかったからだ。たった今まで気持ちが良いと思っていた快晴さえ、
白々しく思えてくる。
 その時、顔に影が落ち、肩を誰かが叩いた。はっとして顔を上げると、不愛想な表情を作っている男がこ
ちらを見下ろしていた。 
「何をぼさっとしている。教員であるお前は、そろそろ行動に行かないといけないんじゃないのか。」
 重苦しそうな鎧を身に纏った男の姿は、どう見ても魔法学校に属する者の姿ではない。それもそのはず、
この男はミクトランナイ共和国の守護を任されている騎士団の一員として、ここメルディンの拠点長を任さ
れている騎士なのだ。騎士団の務めとして、魔法学校の警備も行っている。新しい、そして未熟な魔法使い
達がわんさかやってくる今日は、いつにも増して混乱が起こりやすい。だから拠点長自らも、こうして警備
をしているのだろう。
「なんだ、ハインリヒか………。」
「なんだとはなんだ。」
 フィルオーラの言葉に少し顔を顰めた彼はフィルオーラの幼馴染でもある。二人の生まれ故郷はもっと南
のほうで、フィルオーラは魔法使いとしてメルディンに、ハインリヒは騎士になるために首都ランバアード
に行き、別々の人生を歩んでいたはずなのだが、どういう因果かこの地で再会した。
 昔と変わらない、ハインリヒの癖のない茶色の髪が風に揺れるのを眺めながら、別に、とフィルオーラは
呟く。
「どんな子達が入学するのかなあって思ってただけよ。」
「あと数時間もしないうちに分かるだろう。」
 もう少しすれば、講堂の中は新入生でいっぱいになる。
「あんな大勢を一度に見せられても、誰が誰だか分かるわけないでしょ。」
「髪の色くらいは分かるだろう。」
 蒼い髪があったなら、それは天賦の才の持ち主だ。しかし。
「髪の色で全てが決まったりはしないわ。才能があっても、それを使いこなせるとは限らないもの。逆に髪
がありふれた色でも名を残している魔術師はいるわ。」
 髪の色如きですべてを決められては叶わない。己の赤毛を思いながら、フィルオーラは言った。ハインリ
ヒはと言えば、そうか、と答えただけだった。
「俺としては問題を起こさなければ、なんだっていい。」
 何かあった時に駆り出された上に、魔法使い連中から上から目線で物を言われるのはこりごりだ。
 そっぽを向いて告げたハインリヒの横顔には、微かな苛立ちが浮かんでいる。それを見つめながら、彼の
言うことも一理ある、とフィルオーラは心の中で呟く。
 魔法学校の中は魔法使い達の自治が認められているが、治外法権があるわけではない。問題が起これば当
然のことながら治安を維持している騎士団に報告する義務があるし、調査には騎士団も関わってくる。そう
法律で定められているのだ。しかし、自治があるということをどういうわけだか治外法権があると履き違え、
事件調査に乗り出した騎士団を、酷い時は排斥しようとする動きもある。その根底に、魔法使いの中に特権
意識があるせいだ。



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 五百年前、人間の守護精霊たる炎のフレミアが大罪を犯し、精霊王の手により永遠の牢獄に閉じ込められ
て以降、人間達は魔法を使えなくなった。
 それ以前は全ての人間がフレミアの恩恵により魔法を使えたという。
 しかしフレミアは、守護精霊の身でありながら魔族虐殺に加担したことでその地位を剥奪され、その結果、
人間達は魔法を失った。魔法を失った人間世界は混乱の極みであったという。
 そこに僅かな恩恵を齎したのは、フレミア不在時にも何故か魔法の力を持って生まれた魔術師セラスだ。
 セラスは、魔族虐殺を行った神族を魔王と共に誅した後、人間達にごく僅かな魔法の力を齎した。それは
かつてフレミアに齎されたものに比べれば、あまりにも微々たるものだったが、それでも人間達にとっては
救いの糸だった。
 その時、セラスは全ての人間に広く薄く魔力を齎したのではなく、少数の人間に魔力を分け与えた。これ
が現代の魔法使い達の祖である。魔力を分け与えられた祖先は、各地に散らばり、そこで自分達の血を広げ、
失われた魔法の力を時間をかけて再び人間達に取り戻そうとしており、今はその道半ばにある。
 故に、魔法が使えない者と、魔法が使える者とが、人間には混在しているのだ。
 そして魔法が使える者の中には、自分達は祖先の力を取り戻した存在であると、驕り高ぶる者がいる。こ
うした者達が、魔法使いとそうでない者達の間に亀裂を生み出すのだ。魔法学校は、その縮図のように見え
ることがある。
 ごめん、と溜め息交じりに言えば、お前に謝られてもな、とハインリヒはフィルオーラに目線を戻した。
その顔からは苛立ちは消え、いつもの不愛想な表情に戻っている。
「とにかく、問題を起こさないようにくれぐれも言い聞かせておいてくれ。駆けずり回るのは、俺達だ。」
 そう言い置いて、ハインリヒは背を向ける。上背のあるその姿が消えるのを見送り、フィルオーラは自分
も持ち場に向かおうとして、すぐ脇に顔があるのを見てぎょっとした。
「おやおや随分と仲がよろしいことで。」
 にやにやと笑いながら近づく金髪の顔に、フィルオーラは面倒くさそうに息を吐く。
「やめてよ、アルフェス。」
「そんな、むきにならなくても。」
「むきになってるんじゃなくて、面倒くさがってるの。」
 にやにや笑いを止めないこの金髪の女は、フィルオーラの同僚だ。そして隙あらばフィルオーラとハイン
リヒの仲を茶化してくる。幼馴染というだけの関係なのに。
「いい歳して、そういうことを茶化すなんて、恥ずかしいと思わないの?」
「思わないわ。だっていい歳してるからこその恋愛だもの。」
「…………。」
 何を返しても無駄だということは既に分かっている。フィルオーラは幾度目とも知れない溜め息を吐き、
アルフェスを無視して講堂へと向かおうとする。それに追いすがるアルフェス。
「だいたい、なんだかんだ言って満更でもないんでしょう?嫌ならあんなふうに話すわけもないでしょうし。」
 好きと嫌いの二種類だけで会話をするしないを決められても困る。面倒なので口にはしないが。
「ただ、ねぇ。そんなふうに余裕でいられるわけでもないと思うけど。私、見ちゃったのよねぇ。」
 思わせぶりな言葉に、やれやれ、とフィルオーラは肩を竦める。大方、ハインリヒが女性といるところで
も見たのだろう。そもそもハインリヒの部下達は、騎士としては珍しいことに女性が多い。部隊長の何人か
も女性だ。そうなると、当然彼女達と共にいることもあるわけで。アルフェスは、そういう現場を見ただけ
だろう。
 そして、魔法使い達の中にはアルフェスのような、人間関係に対してこんなふうに幼い感覚のままの者が
多い。それは特に、塔や学校の中で籠り切りになる学者肌――こんなことを言うと普通に暮らしている学者
に怒られるかもしれないが――に良く見られる。
 アルフェスは子供の頃にこの魔法学校にやってきて、そのまま此処で研究を続け講師となった。彼女は魔
法学校とその周辺でしか、人間関係を築いてきたことがないのだ。その結果、人間関係に対して妙に幼い反
応を見せる。もっと詳しく言うならば、本の中で演じられた人間関係だけしか想定できないのだ。
 男女がいればそれは恋愛関係に発展するものなのだろう、と。そして幼く茶化してみせるのだ。
「気になる子はいたの?」
 講堂に足を踏み入れながら、フィルオーラは無理やり話題を変える。おそらく野次馬アルフェスのことだ。
新入生をもう見てきているだろう。
 すると案の定、ふふ、と思わせぶりに笑った。
「何人かいたわ。そうねぇ、髪の蒼い子が二人ほど。一人は大したことなさそうだったけど。もう一人の男
の子は見どころ有り、かな?」
 何せ、と彼女が続けた先の言葉にフィルオーラは一瞬立ち止まった。
「あのレイガルドに良く似ているんだもの。」