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 あれから、またしばらくの間、夢と現の間を彷徨っていた。薬の中に眠りを誘発する何かがあったのかも
しれない。時折、人の気配が枕辺にやってきたが、それはきっと蒼い髪の男だろう。息さえも殺して近づく
様は、普通ならば何か企んでいるかもと警戒するべきところなのだが、精霊に愛された者がわざわざそんな
手間暇かけてこちらを陥れるとも思えない。ダークエルフに何か危害を加えるつもりならば、それこそ精霊
にでも頼めばよいのだ。
 蒼い髪とはそういうものだ。
 精霊の加護を一身に受け、全てを凌駕する魔力をその身から滴らせている。そういう存在だ。
 人間は、精霊達から遠ざかっていたと思っていたのだが。うつらうつらしながら考える。五百年前の魔族
侵攻に加担した咎で、人間の守護精霊たるフレミアは精霊王の怒りを買い、幽閉されて久しい。それ以降の
人間達の混迷ぶりは聞いた事があり、未だにその影を引きずっているところがある。けれども、それも一区
切りついたというのだろうか。だから、あの男に精霊の加護が降り注いでいるのか。
 しかし、そんな事を考えたところで分かるはずもない。
 精霊の思惑など、一介のダークエルフの考えの及ぶところにあるはずもない。
 分かるのは、結局のところあの人間に、己の何もかもを委ねるしかないということだけだ。
 夢の中でさえ投げやりな思いに溢れたまま、それを掻き消す為にもより深い眠りを求めてシーツに顔を埋
めた。




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 物音で目が覚めた。咄嗟に腕の中に抱いていた剣を握りしめ眼を開けば、こちらを覗き込む金色の眼とぶ
つかった。
 目を覚ましたダークエルフが醸し出す激しい警戒感に気づいていないはずもないだろうに、蒼い髪の男は
ふっと笑みを浮かべる。まるで何の含みもない表情に、むしろこちらがバツが悪くなってしまった。
「何の用ですか。」
 眼を逸らしながら精一杯冷たく問えば、繊細な掌が宥めるように腕を叩いた。優しく添えられた掌はゆっ
くりと腕を滑り、剣を握りしめている手の甲に重なる。そして、ぎょっとしているダークエルフを無視して、
指を一本一本剣からはがしていく。
「何を……!」
 するのだ、と声を荒げようとすると、開かされた手の上に白い陶器の小鉢が置かれた。中には薄っすらと
黄色みがかった何かが入っており、甘酸っぱい香りが漂っている。
「これは?」
 問いかけると返事はなく、代わりに微かな笑みがあるばかりだった。
 仕方なく、改めて小鉢の中を見て、指で突いてみる。ぷるりとした感触はどうやら果物のようで、半月に
切られた形から桃らしいと推測する。男をもう一度見てみるが、やはり微笑んだままで何も言うつもりはな
いらしい。
 もう一度小鉢に目を落とし、中の桃を指で摘まんでみる。食べ物を渡されたという事は食べろということ
なのだろう。確かに、如何に半不死のダークエルフと言えど、何も食べずに生き続けるというのは難しい。
つるりとした桃の断面をしばらくの間睨み付けていたが、この男が毒を入れる意味もないと思い直し、摘ま
んだ桃をそのまま口の中に放り込んだ。途端に、仄かな酒の味と共に甘みが口と鼻孔に広がる。酒に漬け込
まれていたのか、と咀嚼しながら思っていると、近くにあった気配が安堵の色に変わったのが分かった。
 ちらりと男を見れば、男は口を引き結び息一つ吐き出さないようにしている。何をしているのか、と思っ
たが、この男が吐く息一つでこちらの感情を一気に塗り替えた所業を思い出した。
 それを、避けようとしているのか。
 肩まで零れ落ちる長さの蒼い髪。それは溢れ出る魔力の証だが、まさか、吐く息一つにも魔力は籠るのか。
「あなたは、」
 桃を飲み込み、男の金色の眼を覗き込む。
「あなたは、何者ですか?何故、私を助けたのですか?」
 問いかけに対して、金色の眼が酷く困ったように揺れ動いた。しかしそれは、痛いところを探られたとい
うよりも、どう説明すべきか悩んでいるといった態だった。口元に手をやり、少し考えた男は、やがて口か
ら手を離し、その指で宙に何かを描く。指の動きを追いかけてその意味を探るよりも先に、描いたその部分
が煌いて、するりと頭の中に入ってきた。
 レイガルド。
 何かの名前、いや、何かではなく。
「それが、あなたの名前ですか?」
 蒼い髪がゆっくりと頷く。その間にも彼の『言葉』が頭の中に描かれていく。この場所で薬草を集め、薬
を作り、それで生計を立てていること。雨の日にしか芽を出さない薬草を探していた時に倒れていたダーク
エルフを見つけたこと。助けた事に他意はないこと。
 音には出さず、ただ頭の中にだけ『言葉』が響く。彼は口を引き結んだまま、息さえ殺している。
 そのままで彼は告げる。病が癒えるまで此処にいても良いこと。家の中の物は、売り物の薬以外は好きに
使って良いこと。
 そうして首を傾げ、ダークエルフの灰銀の髪を撫でつけて問うた。
『お前の名前は?』
 頭の中で響いた問いかけには、あの吐息のような強制力はなかった。ダークエルフは少しの逡巡の後、名
乗った。
「キルバーン。」
 ダークエルフの名乗りに、男は了解したと言うように一つ頷いた。その間、やはり、一言も唇が動く事は
なかった。