不意に銃声が鳴りやんだ。けれどもエリアスは動かない。無言で闇を睨み付けている。と、頭上か
ら重機か何かが押し倒されるような重く甲高く響く轟音が鳴り響いた。それは、閉じられた扉の真上
から鳴り響いたように思える。
 その後も、何度も何度も扉を叩き壊そうとするように、重苦しい音が鳴り響く。

「………その程度でどうにかなるようなドアつけてねぇよ。」

 暗がりで、ぽそりとエリアスが呟く。襲撃を想定して作られたのだ。そうそう簡単には打ち破れな
い。しかし、上で襲撃者がそうとうな破壊行為をしているにも関わらず壊れないというのは、少々行
き過ぎではないだろうか。
 そう思って、人間の襲撃者で考えるからそうなのだ、とウィルは思い直す。宇宙からの侵略者にそ
のような生ぬるい考えの防壁など意味がない。奴らは、何もかもを根こそぎ破壊しつくしていく。そ
れこそ、地面ごと抉るかの如く。
 やがて、その音さえ止まり、後には暗がりに潜む二つの息遣いだけが辺りを満たした。エリアスは
ぴくりとも動かない。
 どれだけ時間が経っただろうか。上からは何の反応もない。エリアスは闇をただ睨み付けている。

「エリアス。」

 ウィルは出来るだけ声を殺して、暗がりでも十分すぎるほどに端正だと分かるエリアスの横顔に声
を掛ける。
 エリアスの氷河の色をした瞳はウィルを見ない。

「動くのは、いつ?」
「………もう少ししてからだ。」
「通路を行くのか?」」
「いや………。」

 この時、ようやくエリアスはウィルを見た。

「………どちらが、良いだろうな。この通路は刑事だった俺の兄貴が作ったもんだ。どこに通じてる
かは、誰にも言ってないと思うんだが……上にいた連中が、警察の上層部だった場合は、どうだろう
な。」
「………同僚には言っていた可能性がある、と?」
「ガキだった俺が一人で逃げた時のために。」

 微かに零れ落ちたエリアスの家族について。子供だった彼が一人で逃げる、とはどういう事だろう
か。彼の口からは兄の事しか零れ落ちていない。両親は、と聞くにはまだ躊躇いがあった。

「だから、通路の先では警察の誰かが待ち伏せしてる可能性がある。俺達がそっちに行ったと思って
こちら側が手薄になっているか、それとも俺もそう考えると思ってこちら側にまだ人間を残している
か。」
「………どちらにも人がいる可能性だってある。」
「そりゃそうだ。」
「それなら、どちらから出て行っても同じだ。……蹴散らせば良いんだろう?」

 エリアスがそう言ったのだ。
 ウィルの言葉に、エリアスの口が凶悪に笑った。

「ああ。」

 ひらりと音もなく立ち上がると彼は通路を行くのではなく、先程まで攻撃を受けていた扉を何の躊
躇いもなく開いた。それでも肩甲骨の辺りに僅かな緊張が見られたのは、流石に警戒しての事だろう。
けれども、その緊張はすぐに消え――いや、すぐに先程以上の緊張で強張った。

「エリアス?」

 敵がいたのか――ウィルもすぐにその隣に立つが、扉を出た先に広がっていたのは無残に壊された
室内だった。家に入ってきた当初の面影は何処にもなく、ただただ残骸が広がるばかりだ。
 ウィルはその光景に顔を顰め、エリアスもそれに怒っているのかと思ったのだが、横目で見たエリ
アスの顔は硬いものの怒りはない。では、何をそんなに警戒しているのか。

「………誰もいねぇな。」
「ああ………。」

 確かに、誰か一人くらいは残っていると思ったのだが。全員通路の向こうに行ったというのならそ
れはそれで楽ではあるが、しかし妙ではある。
 破壊された家の中を見回しながら、エリアスは玄関へと向かう。その際、足元に落ちていた壊れた
写真立てを拾い上げ、そこからするりと写真を抜き取った。

「家の外で待ち伏せしているということは?」
「………いや。」

 エリアスは、壊れた玄関の扉から外を見ながら首を横に振る。そして顎で外を指し示す。そこには
誰一人として佇んでいない森が広がるばかりだ。

「全員、通路の向こう側に行った……?」
「……だとしたら、そいつら相当の馬鹿だぞ。」

 しかし、現に誰もいない。何を企んでいるのかは知らないが。玄関を出ていくエリアスの背に、こ
の家はどうするのか、とウィルは問う。いや、どうするも何もないだろう。ここまで派手に壊されて
しまっては。同じことをエリアスも思ったのか、呆れたようにウィルを振り返り、

「…………!」

 何かに気づいたのか、勢いよく視線を元に戻した。手は、腰に帯びている銃に伸ばして。聞こえて
きたのは車のエンジン音だ。戻ってきたのか。
 身構えた二人の前に、黒塗りの古びたベンツが不安定そうに滑り込んできた。運転席の窓を限界ま
で下げて、そこから顔を出しているのは丸い顔の中年の男だ。

「エリアス!」

 顔全体を口にする勢いで、男はこちらに向かって叫んだ。その顔を見たエリアスは怪訝そうに眉を
顰める。

「バーンズ?どうして此処に?」
「誰だ?」

 ギュギュっとタイヤを泥に絡ませながら止まるベンツとそれを運転する男を見て、呟いたエリアス
に、知り合いかと尋ねると、エリアスは曖昧に頷いた。

「俺と同じ所轄の刑事だ。」

 訝し気なエリアスに、バーンズと呼ばれた刑事は早く来い、と手招きする。

「署の連中がお前と連絡が付かないって騒ぐから探してみれば案の定だ!上の奴らに嗅ぎつかれたな!」
「………どうしてここが分かった?」
「お前が行きそうなところを全部回ったんだ!そしたら武装した連中がこの区画の入口ぞろぞろと出
てくるから。全く、ドジを踏みやがって!」
「うるせぇな。」
「うるさくても黙って聞いてろ。俺はお前の兄貴と同期だったんだからな!お前に何かあったらどう」
詫びろっていうんだ!」

 口うるさいバーンズに、エリアスは辟易とした表情を浮かべた。バーンズの言葉から読み取れるに、
バーンズはエリアスの兄の知り合いで、その縁でエリアスの事も昔から知っているのだろう。

「まあいい、とにかく乗れ。早くここから離れるぞ。」
「ああ。」
「そっちの奴も、早く!」

 バーンズの言葉に、エリアスはちらりとウィルを見る、ウィルは頷いてベンツの後部座席に滑り込
み、エリアスはそれを見届けてから助手席に滑り込む。
 バタンと大きな音を立ててドアが閉まるや否や、ベンツは勢いよく滑り出した。

「………バーンズ。」
「なんだ?礼なら酒にしてくれよ。」
「………市街に向かってくれ。」
「あん?」
「上の連中も、そこで銃撃戦はしねぇだろ。」
「ああ………まあ、そうだろうな。だがな、このままガキを攫った連中の所に行った良くねぇか?」

 エリアスは運転席の男の横顔を覗き込む。

「………分かったのか?ガキを集めてる場所が?」
「ああ。連中がお前に夢中になってる間にな。」
「何処だ?」
「今から連れてってやるよ。」
「…………………。」

 エリアスの眼が不可思議に瞬き、一瞬だけウィルを見る。ウィルは微かに嘆息した。それを返答と
見做したのか、エリアスは何の躊躇いもなく銃をホルスターから抜き取ると、バーンズの頭に突き付
けた。

「……バーンズ、車を停めて、ガキの居場所だけ言え。」
「っ……エリアス?何の冗談だ?」
「冗談なんて言わねぇよ。都合よく現れやがって、疑ってくださいって言ってるようなもんだ。それ
とも、これも罠だってのか?」

 言うなり、エリアスはバーンズの腕を容赦なく撃った。ぎゃっという悲鳴を掻き消す勢いで、ベン
ツが一瞬加速し、更に蛇行する。が、直後にハンドルを片手で掴んだエリアスによって走行位置は元
の位置に戻る。ただし、速度は落ちない。バーンズがアクセルから足を離していないからだ。むしろ、
加速し続けている。
 そんなバーンズに、ウィルは背後から手を伸ばし、そのまま後部座席に引きずり込んだ。背後から
の奇襲に咄嗟には対応できなかったらしいバーンズは眼を白黒させたまま後部座席に倒れ込む。
 運転席にはエリアスが滑り込み、加速し続けていたベンツにブレーキをかけて停止させる。

「さて、と。」

 エリアスは車から降り、後部座席の扉を開くとバーンズを引き摺り下ろす。

「聞きたいことはたっぷりとある。ただし手短に、な。」