唐突に鳴り響いた無線からの音に、エリアスは瞬きを一つする。その途端、たった今、瞳に灯った
ばかりの穏やかな淡い光が消え去り、代わりに百年間閉ざされた氷河の眼差しが戻って来た。
 エリアスは無造作な手つきで無線を懐から引きずり出すと、もはやウィルの事など興味がなくなっ
たと言わんばかりに、視線を逸らす。
 突然に突き放されたウィルは、無線に向かって話しかけるエリアスを、為す術なく見つめるよりほ
かない。
 ぼんやりと、無線に相槌を打ったり、何事か話すたびに揺れ動くエリアスの銀の髪を眺め、そして
立てかけられている写真とを見比べる。
 写真の中で恥ずかしそうに青年の肩口に顔を寄せている子供。これは間違いなくエリアスだろう。
はにかんだ笑みを浮かべる子供に、今のエリアスの面影を探してみるが、どうにもうまくいかない。
月日が立ち過ぎているから、仕方がないことなのかもしれない。
 やがて、話を終えたエリアスが、無線をしまってこちらのほうへやって来た。表情は、やや硬めだ。

「あの車の行き先が分かったぜ。」
「そうか。」

 そうだろうとは思っていた。それ以外に無線が鳴り響く理由があるならば、車を見失ったという悪
い報告だろうが、幸いにしてそちらのほうには行かなかったようだ。

「それで、車は何処へ?」

 その場所に、連れ去られた子供がいる。全員が見つからなかったとしても、何らかの痕跡は残って
いるはずだ。
 ウィルが今にもその場所に向かおうとする様子に、エリアスが冷ややかな眼差しを向ける。

「なんでお前にそんな事を教えなきゃならねぇんだ。」
「え?」
「え?じゃねぇよ。」

 エリアスはウィルの隣に立つと、呆れを多分に含んだ溜め息を吐く。

「お前、自分が部外者だってこと、まだわからねぇのか。」

 警察官ではないウィルが、誘拐犯についての情報をこれ以上知ることは、被害者にとってもウィル
にとっても危険なのだ。そのことは、エリアスは再三言ってきたつもりで、ウィルもそれは承知して
いるつもりだ。
 けれども実際に、いざ置き去りにされるとなると、承知していたことなど忘れたくなってくる。

「足手纏いにはならない。」
「そういう問題じゃねぇって、さっきから言ってるだろ。」
「君が――君達警察官が被害者を助けに行ったとして、それで本当に助けられるのか?」

 何、とエリアスの眼に険が宿った。自分が侮られたと思ったのだろう。

「警察の上層部がこれに加わっているんだろう?それなら、君達だけで行ったところで、揉み消され
はしないか?」

 被害者を助ける前に、上の権力によって踏みにじられたりはしないか。
 エリアスが、そんなものに屈するような人間ではないことは知っているが、エリアスが自分と同じ
志を持っていると思っている現場の警察官は、果たして本当にエリアスと同じ方向を向いているだろ
うか。踏みにじられたら、そのまま倒れてしまいはしないか。

「お前がいて、それで何になるっていうんだ。」
「部外者がいる前で、上層部が末端をないがしろにする様を見せられないだろう?これがただの部外
者だったら人質に取られてしまうかもしれないけれども、生憎と私はそう簡単に人質にはならない。」

 これでも地球連合軍の一部隊を率いている身だ。
 ゆっくりとエリアスに手を伸ばすと、しかしエリアスはその手を避けた。

「軍に戻りな、そこなら安全だ。何度も言うが、お前は警察官じゃない。そしてこの件には警察が関
わってる。お前は人質云々言ってるが、その前に逮捕されたら、終わりだ。俺は今から現場に行く。
お前は今すぐに軍に連絡を入れて、迎えに来てもらいな。ああ、そうだ、最初からそうすれば良かっ
た。」

 家に連れてこなくても、軍に置いておけば良かった。
 そう呟いて、彼は銀髪を揺らして玄関へと向かう。ウィルがなおも言い募ろうとするのを払いのけ、
ドアノブに手に掛けようとして、ぴたりと動きを止めた。ウィルが怪訝に思うほどに不自然に唐突な
停止だった。

「エリ――。」

 ウィルが彼の名を呼ぼうとするのと、エリアスが飛び退ったのは、同時だった。その一拍後に、地
響きと共に、たった今、エリアスが開けようとしていた扉が家の内側に吹き飛ばされた。ウィルとエ
リアスは左右に退いて、吹き飛んできた扉を避ける。
 その後に響き渡ったのは、機関銃が弾を吐き出し続ける轟音だった。シャッターを降ろした窓の向
こう側で火花が飛び散り、時にはシャッターごと窓ガラスを食い破って、家の中に鉛玉が侵入する。
 床に伏せたエリアスの口から、

「随分と派手なことで……。」

 と小さな呟きが漏れる。

「撒いたつもりだったんだが、連中は随分と鼻が良いらしい。それとも無線でも傍受したか……?」
「エリアス、とにかく、隙を見て此処から脱出しないと。」

 ウィルも同じように床に伏せながら、逃げ場がないかと視線を巡らせる。視界の隅に、あの写真が
ちらりと映り、この家がこんな有様になることはエリアスにとっては耐え難いのではないか、とエリ
アスの表情を窺ってみた。エリアスは苦々しい表情を浮かべていたが、それがこの家の有様について
なのか、それとも潜伏先を突き止められたことに対してなのか、判別はできなかった。
 ただし、いかなる感傷にも浸るつもりはないらしく、身を屈めたまま、しかし素早い動きでキッチ
ンの奥へと向かう。そしてウィルを手招きした。
 ウィルが同じようにキッチンの奥に行くと、床板の一部が取り外されており、取り外された場所に
はぽっかりと穴が空いている。

「一応、こういう避難経路もあるんだぜ。」

 まあ、向こうだってある程度は予想しているだろうけどな、とエリアスは付け加え、穴の中に入り
込む。その後に続ながら、

「この穴は、どこに繋がってるんだい?」

 と聞くと、エリアスは、どっかそのへん、と適当な返事をした。

「なんにせよ、移動するのは銃撃が収まってからさ。出口に先回りされてる可能性だってあるしな。」
「だが、銃撃が収まった後に襲撃者が黙って去るとも思えない。我々の死体を探すだろうし、その時
にこの穴を見つけられたら。」
「その時はそいつらを蹴散らせばいい。それくらいできるだろ、地球連合軍の隊長さんよ。」

 エリアスは嘲るような口調で言い放ち、外した床板を元の位置に戻した。
 辺りは、銃声と静寂だけに満たされた。