「何してやがるんだ、てめぇは。」

 低く、しかし魅力的な声は、けれども今はこちらを威嚇する響きを孕んでいる。普通の人間ならば
身を竦めてしまいそうなものだが、ウィルは生憎とそのような感性は持っていなかった。

「何、とは?」

 エリアスの声に、ちら、とそちらを見て問う。
 大通りから裏通りに外れて行く細い路地裏で、行く手を塞ぐように立っているエリアス。大通りか
ら差し込む光受け止めて、その銀髪は宝冠のように煌めいている。薄暗いはずの路地裏が、それだけ
で一気に明るくなるようだ。
 常であれば見惚れたことだろう。しかし、今はそれどころではない。

「私は、オーリスに頼まれて此処にいるだけだ。」
「へぇ?警察がマークしている子供に、オーリスが何を気にしてるっていうんだ?」

 オーリスとは部隊にいる天才少年のことである。彼が知り合いだと言っている――知り合いという
ことにしている――銀髪の少年を、ウィルは見張っているのだ。
 銀髪の子供ばかりを狙った連続誘拐事件に、次はその少年が巻き込まれるかもしれない、というこ
とで。
 しかし同じことは当然ながら警察も思いつく。だから、エリアスが此処にいて、ウィルと鉢合わせ
したのだ。

「オーリスは、あの少年の知り合いだ。」

 そういうことになっている。
 しかし、エリアスは肩を竦め、

「嘘を吐くな。」

 切り捨てた。

「オーリスの知り合いってのは、もう行方不明になっているだろう。奴の同級生が行方不明になって
ることくらい、こっちも知っている。お前はそれを言い訳にして、一体ここで何をやってるんだ。」

 そうだろう、それくらいの情報は、警察は既に持っているだろう。そして銀髪の子供という共通点
にも警察は気づいている。だから、銀髪の少年の住処であるこの場所で張っているのだ。
 裏通りに通じる、闇がそこかしこに蟠る路地は、子供が住まうにはあまり相応しいばしょではない
けれども、警察とオーリスが見つけた、おそらく次に狙われる可能性がある子供は、こんな場所に暮
らしている。
 父親は麻薬の売人で、母親は娼婦だとオーリスは言っていた。そして最近、父親の姿が見えない、
と。母親のほうは、相変わらず薬を打ちながら、身体を売っている。
 半ば放置された子供。きっと、他の子供よりも狙いやすい。
 
「お前が、誘拐事件に関わっているとは思わねぇけどよ。」

 エリアスの声に溜め息が混じった。

「だが、こんなところにいたら、疑われても文句は言えねぇぜ。」
「……私は。」

 警察が当てにならない、などと言ってはいけないことくらいは分かっているし、そもそもウィルは
そんなことは思っていない。ウィルが連続誘拐事件を気にしているのは、単にエリアスがその調査に
携わっているからだ。しかし、それこそ口にしたところで、エリアスの表情を歪ませるだけだろう。
 何か良い言葉はないだろうか、と口ごもっていると、そんなウィルの状況にエリアスはもう一度溜
め息を吐いた。
 
「とにかく、邪魔だからさっさと帰れ。お前には関係のない事なんだから。」 
 
 それとも冗談抜きで関わってやがるのか――。
 エリアスがそう言い切る前に、背後で動きがあった。路地裏の遥か向こうの扉が開き、ひょこひょ
こと子供が出てきたのだ。銀色と思われる髪はくすんでいて、エリアスの髪と比べるとあまりにも貧
相だ。しかし、それでも銀と言い切れるほどには光を弾いている。
 ウィルとエリアスのいる方向とは反対側へと歩き出す小さな影を、エリアスは視線だけで追いかけ、
その姿が路地を曲がる直前で追いかけ始めた。
 エリアスの後を、ウィルが追う。そんなウィルに、エリアスが小さく舌打ちをした。
 邪魔だから何処かに行け、と言いたいのだろう。だが、今ウィルの相手をしていれば、子供を見失
う恐れがある。
 そこに、つけこんだ。
 悪い事をしている、という自覚はある。腹の奥で、すまない、とウィルは呟いて、それでもエリア
スの後を追うことは止めようとは思わない。それは、やはりエリアスがこの事件に携わっているから
だろう。
 足早に歩くエリアスの髪の上を、一筋、光が零れ落ちる。銀の光が、あちこちに弾け飛ぶ。
 これが、ただの誘拐事件であればいい。アメリカ史上、幾度となく起きてきた、子供を狙った痛ま
しい事件の一つであったなら、良くはないが、しかしまだ何かが保たれる。
 けれども、そうではなければ。銀色の髪というキーワードに重きが置かれているのなら。ただの誘
拐ではないのなら。
 そしてその可能性は、多分に有り得る。
 なぜなら、

「エリアス。」 

 その背中を追いながら、ウィルは問いかける。エリアスからの反応はない。けれどもそのまま話し
かける。

「君は、どうして一人で行動しているんだ?」 

 刑事は二人一組で動く。それが普通だ。一人で動くことなど、それこそ偶々事件現場に行き合わせ
た時くらいではないか。

「エリアス。」

 もう一度名前を呼ぶ。答えはない。明確な答えがないのか、それとも答えられないのか。
 いずれにせよ、これはただならぬ事態なのだ。ただの、誘拐事件などでは、ない。そして、その渦
中にエリアスを放置しておくことはできない。

「足手まといにはならない。」
「そうかよ。」
 
 ようやく、返事があった。と同時に、エリアスの足が止まる。
 エリアスの視線の先を見れば、先程の少年が一台の黒い車に乗り込むところが見えた。はっとして
ウィルは走り出そうとするが、その肩をエリアスが掴んで止める。
 何故、と振り返ると、エリアスは硬い表情のまま、しかし車を止めるつもりはないらしく、足を動
かそうとはしない。
 そうこうしているうちに、車は子供を乗せたまま走り去っていく。
 遠ざかる車を見送ったエリアスは、踵を返して歩き出した。

「何故、」 

 その背中に向けて、ウィルは疑問をぶつける。何故、止めようとしなかったのか、と。

「止めても意味がない。」

 エリアスは低く答える。

「あの車だけを止めても、意味がない。それに、下手に手を出したらあの子供に危害を加えられるか
もしれねぇ。だから、泳がしておくのさ。ああ、安心しろ、行く先は分かってる。そのへんは、きち
んとしてるさ。」

 車か子供に発信機でも付けているのか、それとも何かで追尾しているのか。
 ならば、あの車が誘拐犯のものであるならば、いずれ子供達が連れ去られた場所へと行きつくだろ
う。
 けれども、解決に近づいているというのに、エリアスの表情はどこか浮かない。それは、彼が今、
一人で動いている事に関係しているのだろうか。

「エリアス、一つだけ教えてくれ。」
「…………。」
「警察は、本当に事件を解決するつもりがあるのか?」
「当たり前だ。少なくとも、現場は。」

 返答に、苦い色が混ざっていたのは間違いではないだろう。現場は、事件を解決しようとしている。
だが、上層部は。
 マスコミが騒いでいるから、捜査しているというポーズは取っているのだろう。だが、実際はほと
んど手を回していないのではないか。辛うじて、現場が上層部の眼を潜り抜けて、捜査をしている状
態だというのなら、上層部に気づかれる事を防ぐため、エリアスが一人で動いているというのにも頷
ける。
 唐突に、エリアスがウィルの腕を引いた。思わずよろめき、よろめいた先にエリアスの顔が近くに
あって、ウィルは一瞬息を呑んだ。
 エリアスの、長い銀の睫毛がゆっくりと瞬く。

「薄々感づいているだろう。なら、少しばかり顔を貸せ。」

 エリアスは本来ならば此処にいて捜査をしていてはいけない。だから、ウィルと一緒にこの辺りで
食事をしている、そういう事にしておくのだ。