金平糖を水守達に与えながら、リショウはひとまず診療所に戻る。
別当が襲われたと聞いて肝を冷やしている瀬津郷では行き交う人々の足取りもやや少ないが、それ
でも診療所は盛況だ。病も怪我も、人の心持など待ってはくれないのだ。原庵も忙しなくその対応に
追われている。これだけ見れば、いつもの診療所の風景なのだが。
リショウは原庵の足元を見る。
いつもは軒先で丸まっているむにが、のっそりと首を擡げて周囲を窺っている。眠そうな瞳は今は
ぱっちりと開かれ、何かに警戒しているようだ。そういえばたった今までリショウの身体にしがみつ
いて金平糖をせがんでいた水守達も、何かに警戒するようにきょろきょろしている。
「ただいま。」
原庵に一言そう言って、リショウは薬箱を置いた。そして診療所の奥を見る。そこに敷かれた布団
の上。やせ細った少女が眼を閉じて眠っている。蒼褪めている、と言って良いほどに白い頬は、酷く
硬そうで少女が辿ってきた道のりの険しさを物語っているが、けれどもそこにイザヤから聞いた狗神
とやらの気配があるかと聞かれれば、リショウには分からない。
リショウは少女を一瞥し、自分達が間借りしている長屋に向かう。そして己の部下を呼ぶ。
「ガクリョウ、いるか。」
「此処に。」
するりと音もなく近づいてきた武人に、来い、と眼だけで命じる。ガクリョウと共に鍛錬でもして
いたのであろう、ザイジュとヨドウにも同じように命じる。
彼らを集めたのは、グエンが書物を集めている部屋だ。
リショウが、開けるぞ、の一言だけを放って入り込んできたのを見て、グエンは肩眉を上げたが何
も言わずに場所を開ける。グエンに明け渡された場所に座り込み、そして下座に並んだ部下にも座れ、
と言った。部下全員が座ったのを見計らって、リショウはガクリョウに聞いた。
「ガクリョウ、あの子供を拾った時の事を、もう一度、詳しく話せ。」
主に命じられて、ガクリョウは今一度、露草の生い茂る畦道で拾った少女の事を話し始める。
小石を踏み足を血だらけにして畦道で呆然と座っていたこと。長い間何も食べていなかったせいか、
ガクリョウの手持ちの食料は胃袋が受け付けなかった事。その少女を背負って急いで瀬津郷にやって
来た事。
「子供を拾ってから、此処に来るまでにどれだけかかった?」
「三日ほど。」
「三日…………。」
呟いたリショウに、グエンが眼を細めて、
「あの子供が、今回の事件に関係があると言うつもりか?」
「ああ。」
きっぱりと頷く。事件が起きたのはあの子供が郷にやって来てからだ。それはガクリョウも同じ事
だが、ガクリョウが事件を起こせば真っ先に自分達が気づく。
「し、しかし、あんな子供があんな凄惨な事件を起こせるでしょうか?」
ザイジュが狼狽えたようにリショウの考えに反論する。
「まだあの子供は立つことも覚束ないのですよ?それで、人の足を斬り落としたり、野犬を殺したり
できるはずがない。それに、それこそ診療所の誰かが気づくでしょう。出て行ったところを見てなく
とも、血の跡や凶器がすぐに見つかるはず。」
「あの子供自身がやった、とは俺は思っていない。」
リショウに言われて、ザイジュは口を噤む。そう、リショウは関係があると思っているだけで、あ
の子供自体が事件を起こしたとは思っていない。
別当スイトを襲撃した件と、先程イザヤから聞いた件。この二つが絡み合っている気がする。
「………狗神、というらしい。」
唐突にリショウが零した言葉に、部下は一様に訝し気にする。
「あの子供が、話したこと。集落から逃げ出す際に行われていた、犬を首から上だけ出して地面に埋
めていた妙な儀式のことだ。あれは、狗神という呪いらしい。」
「呪い……ですか。」
妙な表情をするガクリョウに、リショウは微かに笑う。確かに、呪いなんてものはそうそう信じら
れるものではないが。
しかし、この瀬津郷では十分に形になるのだ。
「しかし、ガクリョウはあの子供と三日間ともにいて何もなかったのだ。あの子供に何かあると判じ
るには尚早では?」
グエンの言葉は尤もだった。リショウもそれが気にかかっていた。何故、瀬津郷にやって着た瞬間
に、呪いか何かしらが発動したのか。
瀬津郷には確かに呪いを形作る何かがある。が、それだけで少女の中に蠢いていた何かが暴れ出す
とは思えない。瀬津郷に呪うべき何かがいたのか、それとも。
瀬津郷で、呪いが吹き上げる何かが起きたのか。
リショウは少し眼を閉じて考え、グエン、と部下の名を呼ぶ。
「少し、狗神について調べてくれ。あと、あの子供からもう少し詳しく、集落で起きた内容について」
聞き出せ。俺は、リツセに話を聞きに行く。」
狗神の本地である粟国は、リツセの母親の故郷だ。
リツセは見繕った幾つかの紙を並べながら、さて、と首を傾げる。選んだ紙は一つ、二つは豪奢な
柄の描かれた色合いも派手なものだが、それ以外は落ち着いた色合いのものばかりだ。ただし、派手
でこそないが、細かい飾り絵が描かれている。
これらを組み合わせて久寿玉を組み上げていくわけだが、どのような久寿玉にするのかも悩みどこ
ろだ。数枚とはいえ、かなり豪華な紙を使用する。ならば形状はごくごく単純なものが良いだろうが、
しかし頼んできたイザヤがリツセの考える通りの人物ならば、誰でも造り上げる事が出来る久寿玉を
差し出すのは気が引ける。当の本人が気にしなくとも、だ。
見た目は単純で、しかし組み上げは難しい久寿玉。さて、どのようなものにするべきか。
リツセが首を傾げて考えている足元で、たまはふんふんと紙の匂いを嗅いでいる。その眼が酷く鬱
陶しそうなのは、この依頼がイザヤのものであるからであり、たまがそういう態度だからこそイザヤ
の正体はやはりそうなのかな、とリツセは思っているわけである。
とはいえ、流石に商売であると判断しているのか、たまは紙に悪戯までしようとはしない。ふんふ
んと鼻息を押し付けている程度ですませている。
一人と一匹が紙と睨み合っていると、ガラッと店の扉が開く音がした。立ち上がり、はいはいと声
を上げながら店へと出る。
凶刃が閃いた瀬津郷で、その凶刃はどうやら物の怪に近しいものが関わっていると知れた昨夜から、
久寿玉を求める人が後を絶たない。しかし、これはどうやら違ったようで。
颯爽とたまが飛びかかり、顔面にべっちゃりと張り付く。
「いらっしゃい。」
たまを引き剥がしたリショウに、リツセは声を掛けた。