私がいた場所は、山の奥のほうにある小屋です。そこで、おじいちゃんと二人で暮らしていました。
山のどのあたりなのかは、分かりません。どの山なのかも、よくわかりません。
 ただ、小屋から少し離れた場所に、灰色の鳥居がありました。おじいちゃんは、この鳥居を見て、
この鳥居からこっち側には神様がいるんだと言ってました。だから、何かあったら小屋の中に帰って
きたら大丈夫だって、言ってました。
 鳥居のこちら側には、私とおじいちゃんの他に、アジロとヨシという二人の男の子と、ヒサという
女の子と、それぞれのおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいます。
 アジロとヨシはたぶん兄弟で、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に、私が住んでるのと同じよう
な小屋に住んでいます。ヒサは少し大きめの家に、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでいま
す。
 おじいちゃんとおばあちゃん以外の大人は、見た事がありません。
 誰も、私達が住んでいる場所にはやってこなかったし、私達も、鳥居の外に行かないように、言わ
れていました。
 食べるものは、小屋の裏側にある小さな畑で野菜とかを作っていました。それを、おばあちゃん達
が育ててました。
 あと、アジロとヨシのおじいちゃんが、偶に、鹿とか兎とかを獲ってきて、そういう時は皆で御馳
走でした。私のおじいちゃんとヒサのおじいちゃんは、お酒を造っていて、お酒は何か特別な時に飲
んでいました。特別な時っていうのがどういう時なのか、私にはわかりません。
 アジロとヨシは、兄弟みたいだったけど、見た目は全然違いました。アジロはとっても身体が大き
くて、力もすごく強いんです。けれども、のろまで、私達が何を言ってもいつもにこにこしていたけ
ど、もしかしたら全然言っていることが分かってないんじゃないかなって思います。
 ヨシは身体が小さかったけど、ものすごく速いんです。手も、足も。一緒に遊んでる時に何か見つ
けたら、真っ先に駆け寄って、気が付いたらヨシの手の中にあるんです。一緒にご飯を食べる時なん
かも、ヨシは気が付いたらご飯を手に持ってて、あっという間に食べちゃうんです。
 ヒサは、特別なんだって、おじいちゃん達は言ってました。特別だからか、ヒサは私やアジロやヨ
シよりも、ずっと綺麗な着物を着てました。白に赤や桃色の花が描かれた着物。私も同じ女の子なん
だから、ああいう着物を着たいって言ったら、おじいちゃんにすごく怒られました。ヒサは、いずれ
神様のお傍に行くから、綺麗な恰好をしてないといけないんだって。
 どうして私は神様のお傍にいけないんだ、私も神様のお傍にいって綺麗な着物が着たいって言った
ら、滅多な事を言うなって言われました。
 アジロとヨシとは良く遊んだけれど、ヒサとはあんまり遊びませんでした。ヒサだけ綺麗な着物を
着ているから、私がヒサの事を好きじゃなかったっていうせいもあるけれど、ヒサと、ヒサのおじい
ちゃんとおばあちゃんも、ヒサが外に出る事をあんまり良く思ってなかったみたい。
 ヒサは、ほとんどの時間を、家の中で過ごしてた。何をしてたのかは、知らない。おじいちゃんは、
神様のお傍に行っても困らないように色々と勉強してるんだって言ってました。
 そうだ、ヒサは、アジロとヨシのおじいちゃんが獲ってきた鹿とか兎とかは、絶対に食べようとし
なかった。御馳走の時にヒサが出てくることは滅多になかったけど、出てきてもお肉は食べなかった。
お酒を少し飲んで、野菜を少し食べて、それで後はすぐにいなくなっちゃう。だから、ヒサは、身体
は小さかったな。でも、痩せてはいなかったと思います。
 でもヒサは別に、お肉が嫌いっていうわけじゃなかったと思うんです。御馳走の時に、お肉を食べ
てる私やアジロやヨシのことを、じぃっと見てたから。あれは、羨ましかったんじゃないのかな。一
度、ヒサがお肉に手を伸ばして、ヒサのおばあちゃんがものすごい勢いで、ヒサの手を叩いた事があ
りました。
 どうして、ヒサが、お肉を食べちゃいけないのか、それもやっぱり神様のお傍に行くことが関係し
てるみたいです。おじいちゃんが、そう言ってました。
 それで、私達は、そうやって鳥居の中で暮らしてました。アジロとヨシと、私はずっと遊んでたん
ですけど、ある時から、おじいちゃんが夜にこっそりと、私に読み書きを教えてくれるようになりま
した。
 今まで、おじいちゃん達が私達に、勉強を教えようとしてくれたことはなかったんで、びっくりし
ました。少なくとも、アジロとヨシは、字は書けませんでした。ヨシは足したり引いたりする計算く
らいはできたけど、掛けたり割ったりは出来なかったと思います。
 ヒサは、分かりません。でも、神様のお傍に行く準備として、教えてもらってたのかもしれません。
 おじいちゃんは、これはみんなには黙っておけって言いました。勉強を教えるのは、本当はやっちゃ
いけないことだって。でも、やっておいたほうが良いから、アジロにもヨシにも、他のおじいちゃん
達にも黙っていられたら、教えてやるって。
 私は、みんなには黙ってるから、教えてほしいって言いました。それで、おじいちゃんは、読み書
き計算を教えてくれるようになりました。私は、このことは誰にも言わなかったし、誰かの前で字を
書く事も、計算をする事もしませんでした。
 それで、私が掛け算と割り算を覚えてちょっとくらいした時に、アジロのおじいちゃんとおばあち
ゃんが、にこにこしながら、今日は御馳走だって言ったんです。大きな鹿でも獲れたのかなって、思
いました。
 でも、それだけじゃなくって、ヒサのおじいちゃんとおばあちゃんまで、にこにこしてたんで、あ
あ特別な日なんだなって分かりました。
 ヒサのおじいちゃんとおばあちゃんがにこにこしてると、その日は特別な日なんです。特別な日だ
から嬉しいんだろうって、思ってました。
 でも、私のおじいちゃんだけはなんだか難しい顔をしてました。どうしたのかと聞くと、ちょっと
だけ笑って、裏の畑が鹿か何かに踏み荒らされてて、どうやって直そうかと考えてるんだって、その
時は言ってたんです。
 それから、私はアジロとヨシと一緒に、ヒサの家の、御馳走の時にみんなが集まる部屋に行きまし
た。みんなが集まる時は、家の大きな、ヒサの家に集まるんです。
 そしたら、最初にお酒が出されました。子供にお酒が出される事は、今までも時々ありました。で
もそのお酒は今までのとちょっと匂いが違ってて。それを飲んだら、いつもよりも顔が熱くなって、
頭もぼーっとなって、たぶん、眠ってたんだと思います。
 気が付いたら、私と、アジロとヨシは、冷たい草むらの上にいました。三人とも、一本の木の幹に
縄で体を縛られて、地べたに座っていました。おじいちゃん達は、何処にもいません。辺りは真っ暗
だったけど、ちょっと離れたところに小さなお皿が置いてありました。お皿の上にはお肉が一切れ乗
ってました。
 それを見て、私達はお腹が空いた事を思い出しました。なんとかして縄から出ようとして、大声で
おじいちゃん達を呼んだりもしました。でも、誰も助けにきてくれませんでした。
 三人で騒いでいる時、お皿の向こう側に、何かが動いている事に気づきました。なんだろうと見て
みると、犬の首でした。
 犬が、首だけ地面の上に出されて、それ以外は全部地面の下に埋められてたんです。
 犬はお皿の上のお肉を、じぃっと見て、口から舌を出して涎を垂らして、喘いでいました。目をギ
ラギラさせて。いつから犬がそういうことになっていたのかは分かりません。でも、すごくお腹が空
いてたんだと思います。
 それを見て、私とヨシは悲鳴を上げて、アジロは泣き出しました。どうにかして縄から逃げようと
身体を動かしたんですけど、無理でした。
 そしたら、犬の周りの地面が、ぼこっぼこって膨れ上がったんです。犬が、どうにかして地面から
出ようとして地面の中を掘ってたんです。それがとても怖くて。でも、そのうちにもっと別の何かが
犬の後ろにいる事に気が付いたんです。
 ヒサでした。
 ヒサが、ぼんやりと、地面の中でもがく犬と、木に縛り付けられて泣き叫ぶ私達を、眺めていまし
た。ちょっと、笑っているみたいでした。綺麗な、花の模様の着物を着てました。
 助けてって、私は叫んだんです。そしたら、ヒサが犬の横を通って、お皿の所まで来ました。でも
そこで立ち止まって、私達のところまでは来てくれませんでした。
 ヒサは、お皿の上のお肉を摘み上げて私のほうに放り投げました。お肉は、ヨシの額にぶつかって、
地面に落ちました。ヒサは、それを見てからまた犬の後ろのほうに行きました。ヒサが、お肉を投げ
た時、ふわりと着物の袖が膨れ上がって、お酒と同じ妙な匂いがしました。
 そして、とうとう、犬が地面から出てきました。
 お腹を空かせていた犬は、だらだらと涎を垂らして、よろよろとしていました。でも、はっきりと
私達を見ました。お肉が、こちらにあるのだから、余計に。
 私は、犬が私達を食べてしまうんだと思いました。私達は、犬に食べられるために、此処に縛られ
ているんだって。犬の後ろでは、ヒサが、いつもお肉を食べてる私達を見てる時と同じ眼で、羨まし
そうに、じぃっと犬と見ていました。
 犬は、真っ先にヨシに飛びかかりました。お肉が当たったのはヨシだったから。ヨシの悲鳴が耳元
で聞こえたけれど、すぐに止まってしまいました。犬は、ヨシの首に噛みついて、ヨシは声が出せな
くなっていました。
 ヨシが噛まれたことで、アジロが叫びました。泣きながら、身体を動かして、木がものすごく揺れ
ました。犬は気にせずにヨシに噛みついていたけれど、アジロはすごく力が強いんです。ヨシが噛ま
れて、たぶん、助けなくちゃって思ったんだと思います。アジロが無茶苦茶に動いて、縄が切れたん
です。
 アジロは、ヨシから犬を引き剥がそうと、犬に飛びかかりました。
 私は、どうしたら良いのか分からなくて、目の前に転がっていた、ヨシにぶつけられたお肉を掴ん
で、逃げ出しました。そしたら、ヒサが追いかけてきて、それで、おじいちゃんなら助けてくれると
思って、とにかく、家を探しました。
 あちこちを走り回っていたら、鳥居の前に着きました。鳥居の前には、おじいちゃん達がいました。
でも、ヒサのおじいちゃんとおばあちゃんは私を捕まえると、後から追いかけてきたヒサの前に私を
投げ出しました。
 ヒサは笑いながら、私を見下ろしてました。
 ヒサの顔は、犬みたいでした。
 ああ、私は、ヒサに食われてしまうんだ、と思ったんです。そしたら、ぎゃって声がしました。お
じいちゃんが、ヒサのおじいちゃんとおばあちゃんを、鍬で殴ってたんです。アジロとヨシのおじい
ちゃんとおばあちゃんも殴った後、ヒサも殴りつけました。

「サキ、逃げぇ!」

 おじいちゃんが、私に向かってそう叫びました。おじいちゃんは、ヒサとアジロ達のおじいちゃん、
おばあちゃんが掴みかかってくるのを鍬で防ごうとしていました。
 私はおじいちゃんに駆け寄ろうとしたけど、おじいちゃんがもう一度、逃げろ、と叫びました。

「鳥居の向こう側に行け、そっちに行けば、助かる!」

 おじいちゃんは鳥居の中じゃなくて、外に行け、と言いました。鳥居のこちら側には神様がいて守っ
てくれるっていつも言ってたのに、その時は鳥居の外に行けって。
 私は、おじいちゃんに言われた通りにするしかありませんでした。ヒサが追いかけてくるのが分かっ
たので、とにかく逃げて、山を下りました。山の外までヒサは追いかけてこなかったけど、ヒサのお
じいちゃん達が来るかもしれないから、とにかく山から離れました。
 細い道を見つけて、その道をずっと歩いて、気が付いたら、露草が両側一面に生えてる畦道に辿り
着きました。
 お腹が空いて、食べたくなかったけど、あのお肉を食べました。
 それからまた歩いていたら、露草に覆われたお地蔵さんの前に出ました。その時には、足は傷だら
けで、血が流れていました。
 それを、あの男の人に見つけられて、あの男の人におんぶされて、此処に連れてこられたんです。