緩やかに波打つ黒い髪と黒い眼。少しばかり彫りの深い浅黒い顔立ち。そして、瀬津郷の――葦原
国の民にしては高い背丈。
 異国の血が混ざっているのではないか、と彼女を初めて見た者は思うのだが、ナチハは生まれも育
ちも瀬津郷である。
 決して醜くはない、むしろ美しい部類に属するのだが、その葦原国人離れした容姿は、幼い頃はか
らかいの対象となっていた。よく、貰われ子だ、拾い子だと言われたものである。酷い時は、どこか
の山賊の娘だろうとまで言われた。
 尤も、ナチハは言われてそのまま泣き出すような娘ではなく、言われたら無言で砂を投げつけてや
り返すような娘であった――その負けん気の強さが山賊の娘と言われる由縁かもしれない。
 そして、その気の強さと恵まれた体格のおかげかどうかはともかく、ナチハは女だてらに検非違使
になり、若衆を指図するまでになったのだ。流石にこの頃にもなれば、ナチハの事をやれ貰い子だ、
捨て子だという連中はいなくなっていたが、その堂々とした立ち振る舞いには、並みの男がたじろぐ
迫力がある。
 むしろ、男達よりも、女達のほうがナチハが検非違使になった事について、受け入れるのが早かっ
た。
 男達が、女が検非違使なんて、と顔を顰めている間に、気風の良い繁華街の姐さんや、逞しい物売
りのおかみさん、そしてナチハの友人達は、ああそうかいおめでとう、と言ってくれたものだ。それ
は男の検非違使よりも、女のほうが言いやすい事もある、という事であったのかもしれないが。
 といっても、勿論、女の中にはナチハを馬鹿にするような連中もいる。ナチハが腰に剣を帯びて、
馬を乗り回すのを、良いところのお嬢さん方は眉を顰め、馬鹿にするのだ。あんなんじゃ嫁の貰い手
なんてないよ、と。
 それはそれでけっこう、とナチハは思う。
 まだまだ白無垢に憧れのあった子供の頃ならばともかく、現実が見えてきたこの頃になると、嫁に
行くなんて事はもう考えなくなった。
 そもそも、良いところのお嬢さんならば、馬を乗り回していようとも色んな縁談が舞い込んでくる
だろうが、日々の飯にも困りかねないこちらにしてみれば、嫁だなんだと言っている暇などない。と
にかく、女らしくなかろうとも、食っていかねばならないのだ。
 ナチハは、自分に限らずそうやって生きている女達を知っている。
 ナチハの友人達は、流石にそこまで食うに困っていないが、ぼろぼろの姿で炭鉱で獲れた石でいっ
ぱいになった籠を背負う炭鉱女や、籠に野菜やら酒やらをいれて棒で担ぐ棒手振り女などは、完全に
日銭仕事だ。着飾る事を知らず、そして余程の事がない限り、その境遇から抜け出す事などできはし
ないだろう。
 それを考えると、ナチハなどは随分と良い境遇である。父も母も手に職を持ち、豪勢ではないが日
々に問題ない暮らしをしている。そして自分は検非違使になって、若衆を使うまでなっている。十分
ではないか。
 父と母は、娘が嫁に行かないなんて事になるとは思わなかったかもしれないが。
 例えば、ウオミのような漁師女であったなら、前例があるから嫁に行ける行けないが分かっただろ
う。漁師女であれば、同じ漁師の男に望まれるだろう。気風の良さと逞しさが、漁師の嫁には求めら
れる。漁師にしてみれば、女らしくないというところが、長所になるのだ。
 だが、検非違使の女は今までにはない。嫁に行けるか行けないか、で言えば、行けない可能性のほ
うが高いだろう。誰が、刃物を帯びて、犯罪者を追いかける女を喜ぶものか。検非違使でももっと女
らしければ良いのかもしれないが、そもそもそうでないから検非違使になったのだ。女らしい検非違
使など、ナチハの頭にはまるで思いつかない。
 そんなわけで、ナチハは己の婚姻というものについては、父と母には悪いが、自分には縁遠いもの
だと思っている。おそらく、同性代の誰からも、遠い位置にいるだろう。
 思って、ふと、そういえばリツセはどうなるのだろう、と気づく。
 縁起物である久寿玉を創る久寿玉師であるリツセは、女らしいだとかそういう意味あいとはまた別
のところで、婚姻というものが難しいのではないだろうか。女らしさ、でいえばリツセについては良
く分からない。男勝りというわけではないが、女性的である、ともまるで違う。仮にリツセが男であ
ったとしても、リツセは欠片たりとも立場が変わる事はないだろう。
 リツセの婚姻というものが想像がつかないのは、リツセの血筋が少しややこしい所為だ。瀬津郷に
おいて最も権威のある宮家の血が、リツセの中には流れている。それも直系――リツセの父親は、市
井に下りなければ、現宮家の当主となるべき人だ。
 やんごとない血筋が、リツセから婚姻というものから遠ざけている。市井にいるのだから市井にい
る誰かと共になれば良いのだろうが、宮家の血筋に臆せぬ男がいるかと言われれば頷く事はできない。
だからといって、やんごとない血筋の男がやって来るかと問われれば、それもまた難しいような気も
する。
 要するに、ナチハとは全く別の意味で、リツセもまた婚姻からは遠いように思う――これも、ナチ
ハの勝手な考えだが。
 リツセのことを考えたおかげで、少し、厄介な事を思い出した。
 別にリツセの所為ではない。むしろ、この場合はリツセもまた被害者だ。
 二ヵ月ほど前におきた、異人による水守の誘拐事件。瀬津郷に坐すヒルコ大神の化身たる水守を、
異人達が勝手に捕えて売り捌こうとしていた事件だ。リツセはこれに大きく関わり、異人の船底に監
禁されるという災難にあった。
 この事件のおかげで、これまで以上に瀬津郷への外部からの出入りは厳しくなったのだ。
 むろん、正当な手続きを踏めば、誰でも入れることに変わりはないのだが、手荷物、積荷は全て中
を改められ確認されるし、瀬津郷に滞在する際、どこの宿に泊まるのかも細かく告げる必要になった。

「今から、水を請いにやってくる者が増えるっていうのに。」

 郷にやって来る者達の身元や荷物を厳しく調べるという判断を下した別当スイトの判断に、宿場か 
らはこんな声が零れ出る。
 瀬津郷は水の郷だ。
 北の山から流れ出る向日川を傍におき、更に郷の至る所から湧き水が溢れ、水路が張り巡らされて
いる。
 これは、かのヒルコ大神が、己を神輿に乗せた人々が、喉の渇きに苦しまぬようにと慈悲を垂れた
から、瀬津郷は溜め池など作らずとも水不足に悩まされるがないのだという。
 親に棄てられ人に拾われたヒルコ大神は、その生い立ち故に、必ず人の側に立つ。故に、瀬津郷の
者でなくとも、その慈悲を請う者には往々にして慈悲を垂れるのだ。
 だから、ヒルコ大神を参拝しに瀬津郷にやって来る者は多い。年始には一年の幸と富を求めて、春
には豊作を願って、そして夏には水を求めて。
 瀬津郷は水に困った事はないが、他所の郷はそうはゆかぬらしく、毎年、日差しの強い八月になる
と、あちこちから雨乞い、水乞いの者達がやって来る。
 そうした者達も、郷に出入りする時は厳しく調べられるのだ。
 だが、仕方のない事だ。
 此処毎日、旅人達の取り調べで忙しいナチハであったが、その経緯を知っているだけに別当のやり
方に文句は言えない。宿場の主人やおかみさんだって、その辺りは分かっているだろうから、やはり
強くは文句は言えないのだ。
 実際、あの誘拐事件のあった直後、瀬津郷に現れる水守の姿はめっきりと減ったのだ。
 誘拐されそうになった水守達は、全て救い出したが、水守達の中に人々への不信感が根付いたのだ
ろうか。これまで瀬津郷のあちこちでころころとしていた水守達は、人前に姿を見せなくなった。変
わらずに郷の中を闊歩する水守もいるにはいたが、その数は少なかった。
 最近、ようやくまた姿を見せるようになったが。

「そういえば、一昨日から、たまがいないな。」

 そう言ったのは、医師の原庵のところに厄介になっている大陸から来た男、リショウである。原庵
の代わりに薬売りをしているリショウは、リツセの所にも顔を出す。その時に、リツセの家に住み着
く水守がいない事に気が付いたらしい。

「リツセは、いつもの事だからって気にしてなかったけどな。まあ、腹の傷も治ってるし、平気だろ
うとは思うが。」

 たまは行方不明事件の時、異人に腹を斬られ、怪我をした。怪我自体は大した事はなかったが、水
守が傷つけられたのだ。その時の瀬津郷全体の動揺は、言葉では語り尽くせない。
 その、傷つけられた水守が、よくある事とはいえ、いなくなったというのは、少し気になるところ
だ。
 できれば捜しに行きたいが、しかしナチハにも仕事がある。
 仕事が終わったら、リツセのところに顔を出してみよう。そう思いながら、瀬津郷の入口へと足を
早めた。