貼り合わせた板の隙間から、ぽつぽつと月明かりが落ちてくる小屋の中で、蝋燭の炎がふるりと揺
れた。
 頭を下げた男達の動きに合わせて、ふるりふるりと炎は揺れる。

「すまんが、頼む。」

 こちらも木の板を継ぎ接ぎして隙間だらけの箱の上に、皺だらけの書物を広げている男の前で、村
長と老人は頭を下げていた。

「あんたには儂らの風習なんぞ分からんかもしれんが、雨が降らんからには何とかせんといかん。だ
が、どこかから水を分けてもらおうにも、この辺り一帯が日照り続きじゃ。そうなると、後はもう、
神さんに頼むしかない。」

 古くから、この郷を含め、葦原国には雨乞いというものがある。何処かに坐す神々に、言葉通り雨
を乞い、願うのだ。
 この郷にも神はおり、その神にも祈りは捧げたが、一向に願いは叶わない。小さな郷にある小さな
社には、郷を離れれば誰も知らぬ神が祀られているのみだ。きっと、雨を降らせるほどの力はないの
だろう。
 ならば、もっと力の強い神に、祈りを捧げなくてはならない。

「瀬津郷というところに、ありとあらゆる願いを聞き入れる神さんがおるそうでな。そしてそこは水
の豊かな郷だという。かつてにもこの郷を日照りが襲ったことがあるそうだが、その時にそちらの神
さんに雨を乞うたら、雨が降ってきたという。」

 この郷だけではない。他の郷からも、瀬津郷の神に雨を乞えば、雨が降ったという話が聞こえてく
る。

「それに、これは先生の為でもあるんだ。」

 村長と、老人はこの事について、若衆が帰った後も話し続けたのだ。
 この、異国からやって来た男に、雨乞いをさせる事について。




「お爺、あんまりにも酷いだろう。」

 若衆達が異国の男への鬱憤を積もらせた状態で帰って行く様子を見送りつつ、村長は雨乞いを提案
した老人に詰め寄った。

「学者先生は確かに異国のもんだが、色々な事を知っていて、儂らも助けてもらっとるだろう。それ
なのに、上手くいくかどうかも分からん。もしも上手くいかなけりゃ、若い連中は調子に乗って、先
生に何をするか分からんぞ。」
「だからこそ、」
 
 老人は静かに答える。

「だからこそ、行かせるのさ。」

 別に、学者先生が若者連中にどうかされるのを待っているわけではない。むしろ、それを防ぐ為。

「若い連中だって、学者先生の事が嫌いなわけじゃないだろう。異国に憧れている奴らも多い。だが、
それでもやっぱり、この郷は異国の人を受け入れるには小さすぎるのさ。」

 小さな村だ。異国でなくとも、郷の外からやって来たというだけでも目立つ。外からやって来た人
の話は、娯楽の少ない村では数少ない楽しみの一つで、彼らが齎す技術が村を潤す事もある。
 だが、それでも、一度なにか異質な出来事があれば、その原因として真っ先に疑われるのも、外か
らやって来た人だ。
 日照りが続かなければ、あの若者達だって、学者先生の事をとやかく言う事はなかっただろう。あ
ったとしても陰口程度で、集会の最中に罵るような事はしなかったに違いない。

「儂はこの村にいて長いが、他所からやって来た人が居着いた事なんて滅多にねぇんだ。精々、キン
ジのところの嫁さんか、宮さんの世話人くらいさ。それ以外は、皆、何かしらの問題事をおっ被せら
れて、どっかに行っちまった。」

 何か事が起こる度に、あの異国人の所為ではないかと疑われる。事が治まった後もそれは続き、猜
疑の眼と人々の態度は変わっていく。そんなわけがない、と笑い飛ばしてくれる者がいても、問題が
その人自身に降りかかれば、態度は一転する。

「あの学者先生も、きっと同じ目に会うだろう。この村にいる限り、何度も何度も。」

 それどころか、気が逸った若衆達がその身に危害を及ぼすかもしれない。
 ならば、その前に、何処か遠くに逃がしてしまえば良い。それは、態の良い厄介払いのようにも聞
こえるが、延々猜疑に悩まされる事もないだろう。その果てに、自死を選ぶことも。




「お受けいたしましょう。」

 形ばかりの文机に向かっていた異国の男は、背筋を伸ばして村長と老人に答えた。

「放浪するこの身を受け入れてくださったこの郷には、何も持たぬ私には返せぬ恩があります。その
恩をお返しする機会を頂けるのでしたら、喜んで、お引き受けいたします。」

 異国の男の言葉に、有り難い、と村長は呟く。

「瀬津郷に行くまでの路銀は、もちろん儂らが出す。いやいや、受け取ってくれ。」

 これくらいしかしてやれないのだ。
 もし、雨乞いが上手くいけば、この男の身は安泰だ。この郷で、この男の事を悪く言う者はいなく
なる。
 だが、もしも上手くいかなかった場合は。
 
「その時は、瀬津郷で、そのまま生きれば良い。」

 旅立つ時、男を雨乞いの旅へと推した老人は、そう言った。
 瀬津郷には異国からの人々が船で渡ってくる港があり、だから、異国人がいても気にする者はいな
いのだと。こんな小さな村よりも、ずっと生きやすい。
 そう言って手渡された路銀は、ずっしりと重かった。
 粗末な庵を畳んで旅立つ男は、赤毛の頭に笠をかぶり、老人と村長、そして女子供の見送りを背に
歩き出す。
 見送りの姿が見えなくなった辺りで、何人かの若者達とすれ違ったが、その際に小さく、二度と戻
ってくるな、と投げつけられた。
 それが、この村の奥底に横たわる本音だろう。
 今まで、甘えすぎていたのだ、と異国の男は思う。村人よりも少しばかり学があったから、先生と
慕われていたけれども、小さな村が排他的であるのは何処も同じだ。それは、あの村が悪いわけでは
ない。
 むしろ、あの村は良くしてくれた。
 何者とも分からない、自分達とは全く違う眼と髪の色をした者をしばらくの間、住まわせてくれた
のだ。食事やら何やらと、気にもかけてくれた。だから、ああして見送りにも来てくれた。
 雨乞いが成功すれば、帰ってきても良い、とも言ってくれた。
 だが、雨乞いというのは本当に成功するものなのだろうか。
 男は多少なりとも学がある。神を信じぬわけではないが、しかし雨乞いというものが気休めにしか
ならぬ、とも思う。
 さりとて、瀬津郷に行かないという選択肢はなかった。多く持たされた路銀には、何処にでも行け、
という意味も込められているように思われたが、何処かに行く宛もない。行く宛がない以上、村人達
の目的を果たすしかないだろう。
 男は、空を見上げて方角を確かめる。空には、一片の雨雲も見当たらなかった。