馬の乗り手が必要と言われて駆けつけた港には、どういうわけだかリツセがいた。それと、当然の
ことながら、たまも一緒に。どういうことだと思っていると、リツセの隣に佇む女に気づく。
 歳の頃はリツセと同じくらい。そして、リショウは何処かで見た覚えがある。はて、と首を傾げて
いると、女のほうが口を開いた。
「連れてきてくれたようね。」
 女の声に、はい、と若者が答える。
「ナチハさんの言う通り、原庵先生のとこにいる若い衆を連れてきました。」
 威勢良い男の声に、ふと、リショウは思い出した。
 ナチハ。そうだ、本当に瀬津郷にやってきた一番最初の時、リショウはこの女の乗っている馬を奪
い取ったことがある。
 ようよう思い出せたリショウに、ナチハという名の女はその時のことなどどうでも良いのか、いき
なり本題に入る。
「そこの男から聞いていると思うが、昨晩の嵐の所為で、ある大陸の商人の船が流された。沖合は漁
師達が探しているが、河の上流までは探せていない。だが、河は長い。人の脚では時間がかかる。そ
こで馬に乗って探そうというわけだが、検非違使もこれ以上人手を割くわけにもいかない。」
「ああ、聞いてる。馬に乗れる奴がそうそういないってこともな。それで、馬に乗れる俺を担ぎ出そ
うっていうわけだ。」
「そういうことだ。」
 リツセもウオミも、女にしてはやたらぶっきらぼうな物言いだが、ナチハはそれに輪をかけている。
いや、ぶっきらぼうというよりも、軍人のそれなのだ。女であっても、役人であることに変わりはな
いという、彼女なりの意志の表れなのだろう。
「おい、ナチハさんに舐めた口を利くなよ。」
 若者が口を尖らせて、リショウの言葉に文句を言う。リショウが、ナチハの要請にケチをつけたよ
うに聞こえたのだろう。もともと悪さをして、罪を許される代わりに検非違使の手足となって動く彼
は、放免される時にナチハに色々と口を利いて貰ったのかもしれない。そう考えると、脛に傷を持つ
若者のの心裡は、随分と年相応で、可愛らしいものである。
 内心で小さく笑い、そういうわけじゃない、とリショウは言った。
「協力なら喜んでするぜ。ただ、俺が馬に乗れることを良く覚えていたな、と思っただけだ。」
 リショウとナチハが顔を合わせたのは、あの一度っきりであるにも拘わらず。事実、リショウのほ
うは、完全にナチハのことなど忘れていた。だが、馬を奪われたほうは忘れられなかったらしい。
「覚えているに決まっているだろう。それに、貴方はそれなりに有名だ。」
 有名。
 その言葉に、リショウは眉を顰める。どういうことか、とリショウがリツセを見ると、リツセは蹲
って、リショウの脚の隙間からのたのたと出てきた、のっぺりと白いものを撫でている。
「むにも来たのか。」
 むにを撫でるリツセを、たまが少し不服そうに見上げている。いや、水守達の機微はどうでも良い。
というか、ついてきていたのか、むに。と思っていたら、リショウの身体から、更に三つの白い影が
落ちる。しらたま、きんとき、まっちゃの三匹である。いつの間に。
 水守の尾行術にリショウが頭を抱えている間に、ナチハはさっさと一頭の馬を牽き出してきた。
 黒毛の、少し歳の食った馬である。年齢の所為か、眼つきは穏やかだ。馬は神経質な動物なのだが、
水守達が脚元をうろちょろしていても、特に驚いたりはしない。
「玄影という。これに乗って、向日川の上流まで調べてきてくれ。それと。」
 ナチハが言い終わるよりも先に、のっぺりとしていたむにが、首を持ち上げた。同時に、たまも首
を捻って後ろを振り返っている。その後、ざわりと広がる姦しい沈黙。
 リショウもそちらを見れば、見るからに異人であるという身形をした背の高い影が、こちら目掛け
て歩いている。
 瀬津郷の人々よりも一回りは高い、リショウと張るくらいの身長と、身体にぴったりと吸い付くよ
うな煌びやかな上下の衣服――シャツとズボンというのだったか。それだけでも目立つというのに、
極めつけはその髪の色だ。日差しを浴びてちかちかと輝くそれは、誰が表現しても金というよりほか
ないだろう。
 瀬津郷は貿易が盛んだが、しかし大陸からやって来る人々は、体型こそ瀬津郷の人々よりも大きく
ても、顔立ちは似ていた。だが、今やってきた異人は、明らかに顔立ちも肌の色も悉くが違っている。
 皆が、息を呑んでも仕方がない。
 ただ、リショウは故郷で、そういった容姿をした人々を見たことがあるので、さほど驚かなかった
が。
「貴方、私の船、探す人か?」
 リショウの前で立ち止まった異人は、片言の葦原国の言葉で問う。見つめる真っ青な眼に、
「お願いします。あの船、私の大切なもの。どうか、捜してください。」
「ああ、出来る限りのことはする。」
 再び頷いたリショウに、あー、と一つの声が割り込んだ。異人の背後に隠れていた、役人が、ずい、
と出てきたのだ。別当殿、とナチハが小さく――そして苦々しげに――呟いたのが聞こえた。
「リショウ殿といったか。ご協力かんしゃする。こちら方は流されてしまった船の所有者であるテオ
ドロ殿だ。」
 己の名を呼ばれた異人は、小さく会釈をする。
「テオドロ殿は西の果ての国からやって来られた方で、都への献上物も運ばれてきた。西の国からの
珍しい品もたくさんあることだろう。なんとしてでも、探し出してもらいたい。」
 それと、と若い別当は、リショウの前にぐっと顔を突き出す。
「船を見つけたらすぐに我々に知らせるように。くれぐれも、船の中に入ったり、積み荷に手をつけ
たりしないように。」
 良いな、と念を押す別当に、リショウは再度頷いた。
「分かった。船を見つけたらすぐにあんた達に知らせる。」
 リショウの返事の後、別当は何か疑っているのか、しばらくの間リショウをまじまじと見ていたが、
やがて失礼、と告げて去っていく。テオドロという異人もその後をついていく。
 二人の姿が消えた後、若者が、嫌な野郎だ、と呻いた。それをナチハが窘めたが、ナチハの表情も、
やはり嫌な奴、と言っている。どうやらあの別当殿は、瀬津郷の人々からは人気がないらしい。余所
者であるリショウに、その理由は分からないが、瀬津郷特有の何かが関係しているのかもしれない。
 一方で、瀬津郷の住人であるリツセは、別当にはさほどの感情も持っていないらしく、しらたま、
きんとき、まっちゃを両腕に抱え上げて、二人が去ったほうを無表情で眺めている。
「あんな髪の人は、初めて見たな。」
 呟くリツセは、どうやらテオドロの髪の毛のほうに気が向いていたようだ。
「大陸でも、西の端まで行くと、ああいう髪の奴もいる。髪の色が白に近くなって、肌も白くなって
いく。ああいう髪の毛だと、眼の色も青とか緑になるんだ。」
「西の果てにはああいう人が多い?」
「いや、黒髪も普通にいる。それに、茶色や赤い髪なら西の果てまで行かなくても大陸には普通にい
るし、眼が青いのもいる。髪の色が薄いのは、西の果てに行かないとほとんどいないが。」
 ふうん、とリツセは頷いて、ふと思い出したようにリショウを見る。
「リショウ、船を探し終わった後、家に寄ってきてほしいんだけど。」
 唐突な申し出に、リショウは眼を瞬かせる。リショウ自身、リツセの家に寄るつもりではあったが、
もしや昨夜の嵐の後始末が、意外と面倒なことになっているのだろうか。
「かまわないけど、何かあったのか?」
「いや……羊羹が余っていてね。貴方にも分けておくべきものだから、たまが食べてしまわないうち
に分けておきたい。」
 なんだ、それは。
 たまが羊羹を一人占めすることは理解できるが、その羊羹がリショウも食べる権利があるというの
が、分からない。リショウは羊羹を戦利品として手に入れた記憶はないのだが。
 しかし、黙っていると、たまがリツセを見上げてきぃきぃ騒ぎ始めた。なんとなくだが、こいつ分
かってないみたいだから分けてやる必要なんかない、と言っているような気がする。
「わかった。どうせ昨日の後始末もあるだろうから、行くつもりだったんだ。時間がかかるかもしれ
ないけど、帰りに寄っていく。」
 リツセが頷き、たまが、きぃ、と抗議の声を上げたのを見届けて、リショウは馬に跨る。
「きんとき達は、私が預かっておくから。」
 リツセが腕の中に納まった三匹の水守を見せる。それに頷き返し――そしていつの間にか背後によ
じ登っていたむにに気が付いて、ぎょっとしてから――しかしむにを振り落すわけにもいかず、リシ
ョウは背中に巨大水守を張り付けたまま、馬を走らせた。