物々しく、社の扉が開かれる。
 湿った匂いと共に、仄かな紙の匂いが鼻腔を擽った。
 社の中に手を伸ばすリツセの肩越しに、リショウが中を覗きこめば、そこにはびっしりと大小様々
色とりどりの久寿玉が敷き詰められていた。
 久寿玉師は慶弔時の度に久寿玉を作り、その時に作る久寿玉は依頼主と久寿玉師の裁量によって、
それぞれ異なるが、今、社の中に敷き詰められている久寿玉は、全てが角張ったところも、籠目もな
い、丸いものだった。
 小さな片を幾つも――大きいものによっては百をも超える片を作ると言う――組み合わせて、球体
を作るのだ。
 完全な球に近いその久寿玉は、ヒルコ大神が瀬津に流れ着いたことを祝う御輿屋祭の時に、特別に
作られる。それが意味するところは、今や遠い昔のこと過ぎて、誰も知らないが。
 リツセが一か月前に社に奉納し、ヒルコ大神の加護を受けた久寿玉を一つ一つ丁寧に取り出してい
く。そして空いた場所に、ヒルコ大神自身に奉納する久寿玉を詰めていく。加護を受けた久寿玉のお
礼にこうして新しい久寿玉をお渡しするわけだが、それではいつか社の中が一杯になってしまうので 
はないかと思うのだが、不思議なことに社の中から久寿玉が溢れてしまうという事はないのだという。

「気に入った久寿玉は、ヒルコ様がご自分の手元に持っていかれるのだろう。」 

 紙だから風化してしまうだとか、悪戯好きの水守が何処かにやってしまうだとか色々とあるのだろ
うが、瀬津郷ではヒルコ大神が持っていった、そういう事になっている。
 加護を受けた久寿玉の代わりとなる久寿玉を入れて、社の中はいっぱいだ、と思われた中に、リツ
セはもう一つ別の久寿玉を詰める。黒の地に白を織り込んだそれは、葦原国においては死者葬送を意
味する鯨幕を思わせた。
 その久寿玉が、誰への弔意であるのかはすぐに察せられた。
 端野宮の自死は瀬津郷の住人に静かに受け入れられ、けれどもその死が人々の話題に上る事はなか
った。それは端野宮がどれだけ瀬津郷では疎まれてきたのかを示している。
 瀬津郷の人々の宮家に対する敬意は並々ならぬものがある。しかしその経緯が端野宮にまで行き届
かなかったのは、彼が妾腹であったからか、それとも彼自身に何か問題があったのか。
 葬式でさえ表立って行われなかったのは、端野宮が帝の不興を買いつつあったという事実もあって
だろうが、それ以上に彼の立場が元々思わしくなかったからではないのだろうか。今回の事件の後始
末に紛れるように営まれた葬式を、リショウは遠くから眺めていたが、それは遺体を火葬場に送るだ
けというあまりにも素っ気ないものだった。
 端野宮を送ったのは、彼の身の回りの世話をしていたごく僅かな者達だけで、その者達も宮家から
派遣された家人で、端野宮は仮初の主に過ぎない。彼らの主は宮である。粛々と端野宮を送るという
任務を終えると、彼らは何の感慨も見せずに端野宮の屋敷を片付ける為に背中を向けた。そしてその
夜のうちに、端野宮の屋敷は取り壊されたのだ。
 あっという間に端野宮がいた痕跡が消えていく様に、まるで端野宮という存在を消してしまおうか
と言わんばかりだ、とリショウは思った。
 顔も知らない端野宮に、今回の一件に深く関わっていたとはいえ、リショウは微かな哀れさを覚え
た。

「お前は、」

 リショウは、久寿玉を持ってきた籠に入れているリツセに問う。

「端野宮に会った事があるのか?」

 リツセは顔を上げ、リショウを見た。リツセの脚元ではすっかり元通りになったたまが、堂々と立
っている。

「いいや。」

 リツセは籠を片手に下げ、答える。たまがリツセの身体をよじ登り、リツセは空いた手でたまを抱
きかかえた。もふ、とたまはリツセの肩に顎を乗せる。

「私は宮家の者ではないから。如何に妾腹といえど、宮家に属する方々に気軽に会う事は出来ない。
でも、向こうは知っていたかもしれない。」

 妾腹ではなく、正当な宮の血筋でありながらも市井に降りたリツセの父の事は、端野宮も知ってい
ただろう。市井に降りながらも宮家の血を継ぐとして尊敬されていた親子について、興味を抱いたか
もしれない。興味を持ち、見に来たことがあるかもしれない。けれども、その時に、端野宮の中に浮
かんだのは一体なんだったのだろうか。きっと、彼の心を癒すものではなかっただろう。逆に、彼の
中を蝕む何かが広がっていったのだろう。
 リショウはリツセが社を閉ざすのを、無言で見つめた。リツセの肩越しに見える、社の中に敷き詰
められた久寿玉は、悉くがこれから行われる御輿屋祭の為のものだろう。端野宮の死は誰も見ないふ
りをして、この郷は祭りに興じるのだろう。
 ただ、ぽつりと、リツセが入れた黒白の久寿玉が、ヒルコ大神の眼に留まるだろうか。
 そういえば、とリショウはあの夜からずっと気になっている事があった。

「………お前、見たか?」

 リショウは、何を、とは言わずにリツセに訊いてみた。

「何を?」

 リツセが不思議そうに問い返す。たまも円らな眼でリショウを見つめる。四つの眼に見つめられて、
いや、とリショウはたじろいだ。

「……なんでもない。」

 それよりも、と無理やりに話を変える。

「別当殿が、今回の異人の件で、お前に謝りたいとか言っていたぞ。異人に攫われるような事態にな
ってしまって申し訳ない、と。あと、たまにも。」

 リツセもたまも無事だったから良いようなものの、もしも何かあったならば謝るでは済まされない。
 リショウはスイトが端野宮と異人を探っているだろうとは見当をつけていた。しかし、どうして異
人達に見張りをつけなかったのか、というところには文句がある。異人達に見張りをつけていたなら、
リツセが攫われるような事はなかったのではないか、と。
 すると、スイトはけろりとした顔で、

「見張るように指示はしたのだがな。この郷の住人は私の言う事はなかなか聞いてくれなくてな。し
かしリショウ殿を見張れと言う言葉には大人しく従ったな。」

 不思議不思議、と繰り返すスイトの顔には、瀬津郷に馴染めないとか言っていた時の気弱げな色は
何処にもなく、ひたすらに食えない澄ましがあるばかりだった。

「そんなわけで、お前から文句を言ってやれ。」

 あと、たまがスイトに飛び掛かればいい、というリショウの思惑がある。
 リツセはたまの両脇を抱え、たまの腹を見る。テオドロに斬られたたまの腹には、そこだけ鱗が薄
い部分があるだけだ。

「別に、文句を言うほどの事ではないなあ。」

 リツセはたまの腹から眼を離し、リショウの思惑を引き千切った。

「それに文句ならワタヒコ殿や、ずっと何も言われてこなかったナチハが言うだろう。それに私は、」

 どうやらヒルコ大神がずっと付いてくださっていたようだから。
 ぽそりと呟かれたリツセの言葉に、リショウは眼を見開く。先程、聞こうとして止めた問いかけ。
 テオドロを呑み込んだ、あの黒い海の盛り上がりの中で、リショウは確かに二つの煌めきを見たの
だが。得も言われぬほどに美しい、二つの煌めきを。
 あれは、まさか。
 けれどもリショウがそれを再び問う前に、リショウを円らな眼で眺めていたたまが、リツセの腕を
擦り抜けて、リショウの顔面に飛び掛かってきた。