リツセの家は、思っていたほど嵐の影響を受けていなかった。何処かが壊れているというような様
子もなさそうだ。ただ、やはりあちこちから物が飛んできたらしく、玄関前に木の枝やら布やらが堆
く積み上げられている。今も、リツセが庭や裏手から掻き集めてきた塵を、玄関先の塵の山に集めて
いるところだった。その足元で、三匹の水守達も枝を拾っては咥え、運んでいる。
塵を運んでいた一匹の水守がリショウに気が付き、跳ねるようにこちらにやって来た。すると、残
りの二匹も駆け寄ってきて、リショウの身体の上によじ登り始める。なお、どれがきんときで、どれ
がしらたまで、どれがまっちゃなのか、やはりリショウには分からない。
「船は見つかったの?」
水守を身体に張り付けたリショウに、リツセも塵を集める手を止めて尋ねる。リショウは頷き、塀
の上に引っかかっていた布きれを取ると、それを塵山を落とす。
「山の手前に引っかかってた。酔っ払いの言ってた通り、川を遡っていったみたいだな。」
どうやって川を遡ったのかは謎だが、と付け足すと、リツセは少し首を傾げる。
「それで、船はどうしたの?」
「船の持ち主達がどうにかして下流に戻そうとしてる。手を出すなって言って、漁師達の木を損ねて
たけど。」
上手く下流に戻せればいいが、船底に傷が付きそうな気はする。
そう、とリツセは頷き、ふと辺りを見回した。
「それで、むには?」
リショウに張り付いて馬に乗った巨大水守の姿を、きょろきょろと探す。
「あいつなら船が見つかったあたりで馬から飛び降りて、何処かに行っちまったぜ。」
リショウを都合の良い脚にしたわけだ、あの水守。
だが、リショウも気になることがある。小さい水守三匹はリツセを手伝っているというのに、肝心
のリツセの家に住み着いているたまの姿が見えない。ちび共に塵拾いを任せて、奴は一体何をしてい
るのか。
すると、リツセがちらりと縁側に視線を向けた。ぽかぽかと日差しが当たるその場所に、白い物体
がのっぺりと倒れている。よくよく見なくてもそれは水守であると分かるのだが、珍しいことに仰向
けになっている。
手足の短い水守は、通常うつ伏せになっていることがほとんどである。というか仰向けになれるほ
ど手足は長くない。が、縁側に転がっている水守は仰向けになっている。どうやってその態勢になっ
たのかは分からないが。
「……何やってんだ、あいつ。」
仰向けに転がるたまを見て、リショウが呟くと、リツセが羊羹を、と呟いた。
「羊羹を貰ったと言っただろう?」
「ああ。」
「四本も貰ったんだけど、それぞれ味が違う。だから、貴方に分けるために半分ずつに切っていたん
だけど、ちょっと眼を離した隙に、切り落とした半分を食べてしまっていて。」
「……ああ。」
「それでお腹がいっぱいになったのは良いんだけれど、お腹が膨らんでしまってね。」
「おう………。」
「手足がそんなに長くないだろう?うつ伏せになった時、お腹がつかえて動けなくなったんだ。だか
ら、ああして仰向けになって、お腹が元に戻るのを待っている。」
「馬鹿じゃないのか、あいつ。」
本心がするりと抜け出たリショウに対し、縁側で転がっている食い意地の張った水守が、きぃ、と
鳴く。馬鹿と言われたことに抗議の声を上げたのだ。だが、食べ過ぎで動けなくなるなど馬鹿以外に
何と言えようか。
縁側で転がるたまを見下ろすと、確かに腹がぷっくりと膨らんでいる。
「そんなに食うお前が悪いんだろうが。」
むにむにと膨らんだ腹を揉むと、げぷ、とたまが鳴く。
「やめてあげて。吐いたらどうする。」
リツセの制止に、確かに吐かれたら事だ、と思い止める。だが、たまのぽってりとした腹はいただ
けない。脇腹を掴むと、びよん、と伸びる。
「おい、こいつ太りすぎだろ。」
お前が甘やかすから、とリショウが苦言を呈すると、
「それは皮。」
と返事が返ってきた。いわく、そろそろ脱皮の時期だから、と。そういえば、むにも今朝脱皮をし
ていた。
「たぶん、そろそろしらたま達も脱皮するよ。」
リツセは、おそらくしらたまと思われる水守を、リショウの肩から降ろす。リツセの手の中に納ま
ったしらたまは、器用にその手の中で身体を反転させてリショウを見上げると、唐突に口をぱかりと
開いた。
開かれた口の中は、真っ白だった。というか、真っ白いものが詰め込まれている。
眼を瞬かせていると、口は大きく裂け、真っ白いものがにょきっと出てきた。丸っこい形をした真っ
白いものには、黒くて円らな眼がついている。それはそのまましらたまの口の中から這い出してきて、
リショウの胸元に飛び付いた。リツセの手の中には、ぺらぺらの皮が残されている。
どうやら、水守の脱皮が、眼前で行われていたらしい。
というか、
「口から這い出してくるのかよ!」
「そうだよ。」
しれ、とした表情で答えるリツセ。瀬津郷の住人にとって、水守の脱皮が口から這い出てくるもの
であるのは当然であるが、それを初めて目の当たりにしたリショウにとっては恐怖体験である。これ
が一人きりの時に見たのではなくて良かった。
リショウが水守の脱皮に騒いでいる声は、向かいにも届いたらしい。小間物屋からぱたぱたと駆け
てくる軽い足音がする。
「リツセ!帰ってきたら声を掛けてねって言ったのに!」
頬を膨らませたような声と共に、玄関先に顔を出したのはチョウノだ。口を尖らせたチョウノは、
顔を覗かせて、リツセ以外にも人影――要するにリショウの姿を見た瞬間に、絶句する。
そして、
「なんでいるの?」
少女の軽やかな声が一転して、一段低いものになる。顔も、口を尖らすなんて可愛いものではなく、
眼が据わったものに変貌している。
リショウも、この少女からの覚えが良くないことは気が付いている。だが、こんなふうに扱われる
ことは不本意である。
「リツセに呼ばれたからだ。」
むっとして言い返せば、チョウノの視線は勢いよくリツセを向く。リツセはしらたまの脱ぎ捨てた
皮を畳んでいるところだった。
「リツセ、片付けが大変なら呼んでって言ったのに!こんなのを呼ぶ必要なんてないのに!」
「リショウは羊羹を渡す為に呼んだんだ。片づけを手伝わせる為じゃない。」
「羊羹なんて、たまにあげれば良いのよ!」
きぃ、と仰向けに転がったたまが、同意するように鳴く。こんなの呼ばわりされたリショウは、し
かもたまよりも下の存在に見られているらしい――ヒルコ大神の化身である水守より下位の存在に見
られる事は仕方ないことなのかもしれないが。
声を上げるチョウノに、リツセは溜め息を吐く。
「この羊羹は本来はリショウが貰うべきものなんだ。たまがそれを食べてしまったのは、本当はいけ
ないことだ。それにたまが食べるのなら、きんとき達にも食べる権利はある。」
自分達の名前が出てきて、三匹の水守達は一斉にリツセを見る。その眼は、羊羹を食べられること
への期待で満ち溢れている。
「ちょっと待ってて。包んできてあげる。」
「帰る時で良いぜ。原庵先生には片付けを手伝うって言ってきてるんだし。」
「ちょっといなくて良いって言ってるじゃない!」
「俺はリツセと話してるんだ。それにリツセの家の片付けなんだから、なんでお前が口を出すんだ。」
「なんであんたなんかに、お前呼ばわりされないといけないのよ!」
「お前だって、あんた呼ばわりしてるだろうが。」
リツセのことをそっちのけで言い争いを始めているうちに、リツセは羊羹を包むためにさっさと家
の中に入っていく。縁側で、たまがきぃきぃと抗議の声を上げているが、動けないのでリツセを止め
るには至らない。
その間も玄関先で言い争うリショウとチョウノの元に、ふらりと背の高い影が近づいてきた。同時
に、静かなさざめき合う声も。
気配が変わったことに気が付いたリショウは、まだ尚も言い募るチョウノを放って、異なる気配の
ほうを向く。嵐が去った後の、妙にすっきりとした職人街の道を、きらきらと輝く金髪が背筋を伸ば
して歩いているのが見えた。
異人が職人街に来ることは、別に珍しいことではない。かくいうリショウも大陸からやってきた異
人だ。
だが、リショウは体格こそ葦原国の人々よりも恵まれているが、顔立ちや髪や目の色は葦原国と似
通っている。
一方、近づくすらりとした人影は、葦原国の人々と完全に型が違うのだ。金の髪と青い眼。抜ける
ように白い肌。大陸の西よりも更に西からやって来た異人。川を遡った船の持ち主。
名は、テオドロと言ったか。
珍しい姿を偶々見かけた職人達は、目を丸くしている。先程までけたたましく囀っていたチョウノ
も、ぽかんとした表情で近づく異人を見つめている。
人々の物珍しげな眼など興味もないのか、美しい異人は躊躇いなくリショウの前にやって来る。そ
の手には、日差しを浴びてきらきらと輝くものが納められている。深い青色をしたそれは、硝子の器
のようだった。リショウは郷里で何度か見たことがあるが、葦原国では珍しい代物だ。
「リショウ、さん。」
片言の言葉。
耳慣れぬ音が不快だったのか、水守達はリショウの身体から飛び降りると、たまが転がる縁側に逃
げていく。そして、たまの身体に隠れながらこちらを窺っている。
その様子を、テオドロは青い眼で追いかける。
「こちらに、いると、聞いた、ので、来ました。」
「俺に何か用があるのか?」
「船、見つけて頂いたので、お礼を。」
そう言って差し出されたのは、手の中にある瑠璃杯だ。けれども、リショウはそれを首を横に振っ
て固辞する。
「俺は馬に乗って走っただけだ。お礼なら、別当殿に言うのが筋だ。」
「別当殿、には、既にお礼しました。あとは貴方だけ。」
「それなら、あんたらが邪険にした漁師達に。俺は受け取らないぜ。」
差し出された白い手を包み込むようにして、しかしはっきりと押し返す。驚いたようなテオドロの
表情からリショウは眼を逸らし、羊羹を包み終えたのか出てきたリツセのほうに視線を移す。
「もう良いか?俺はこれからこの家の片付けを手伝うんでね。」
言い切って、リツセの元に向かう。リツセは突然現れたテオドロの姿に、一瞬戸惑ったようだが、
すぐに普段の表情に戻る。そのリツセの手の中に包まれた羊羹を取り上げ、リショウは、三匹の水守
の前にそれを置く。テオドロを警戒していた水守達の意識は、一気に羊羹に向かった。
置き去りにされたテオドロは、リショウが相手にしないと気づくと、とぼとぼと背を向けてもと来
た道を戻っていく。
その様子を見て、テオドロの姿形にぽかんとしていたチョウノが慌てたように言う。
「ねえ、貰ってあげれば良かったのに。あの人、ちょっとかわいそう。」
「何か、貰わない理由でも?」
チョウノの言葉とリツセの問いかけに、リショウは肩を竦めた。
「おい、あいつはお前らが嫌いな別当殿が大事にしてる異人だぞ。俺としちゃ、別当殿が異人を大切
にするのは、当然の計らいだとは思ってるが。」
葦原国は海に囲まれているから、他国からの脅威というものをあまり感じないのかもしれないが、
けれども他国の商人をないがしろにすることで、国どうしの諍いに発展するということは、ない話で
はないのだ。他国から攻められにくい島国だから、ということでその辺りの危機感が薄れているのだ
ろうが、異国の商人に対してある程度の温情を図るのは、国家の摩擦を考えれば当然の処置だ。
別当が、失せた異国の船を探そうと人々を駆り出すのは、特別な処置であるとはリショウには思え
ない。
そう言うとチョウノは口を尖らせ、リツセは静かに頷いた。
「じゃあ、異人への温情に理解を示す貴方が、異人のお礼を拒否したのは?あれは失礼には当たらな
いか?」
「俺はこの国の人間じゃないからな。俺があいつらに礼を失しても、異人どうしの喧嘩にしかならな
いさ。」
それに、とリショウは点になりかけているテオドロの後姿を見て、呟く。
「異人どうしで慣れ合うってのは、あんまり好きじゃないんでね。俺よりも、漁師達にきちんと礼を
したほうが良いって言ったのが、本心さ。」