針間の、とある武家の家にアカネは今年の夏に嫁ぐのだという。アカネも武家の出であり、嫁ぐ相
手のことも良く知っていた。
「その武家には男児は産まれないのでは?」
 リツセの疑問に、アカネは養子です、と答えた。当主の、嫁いだ娘の子供が、主人となるべき人で
ある、と。
「家を離れた娘からは、男児が産まれるのか?それなら同じように跡継ぎを得られるだろう?」
 血の繋がりのない子供を養子にするのではなく、家から離れたとはいえ血の繋がりのある男児を家
系に入れればいい。
 だが、それでは意味がないのだとアカネは首を横に振る。
「義母からはなるべく男児を産むようにときつくいわれております。養子を重ねることは、本来は良
くないことだと。おそらく外聞が悪いということでしょう。それに私は男児を産むだけではなく、呪
いそのものを解きたいのです。」
 呪いが解けねば男児が産まれても二十歳になる前に死んでしまう。それだけではなく、
「養子としてあの家に入った以上、夫も二十歳を越えずに死んでしまうでしょう。この呪いは、どう
足掻いても当主に就くべき男児から命を奪っていくのです。」
 血筋には関係なく、当主となる男児は二十歳になる前に死ぬ。二十歳を超えた者を養子に迎え入れ
ても、その日のうちに突然死んでしまうのだ。
 義母は先代当主の娘であり、厳しい人柄であるという。実は現当主は既に亡く、義母が代わりを務
めているようなものだ。義母は己の孫を養子に迎え入れ、そして彼が死ぬ二十歳までの間に、次に繋
ぐ血を孕めと言うのだ。
「そうして家を守ってきたというのです。ですが、わたくしには耐えられそうにありません。夫が、
子供が、二十歳を越えずに死ぬなど。」
 伴侶となるべき者が、がみすみす死んでいくさまを眺めていくのは嫌だ。だから、呪いを解くため
に瀬津郷にやってきた。子宝成就といえば、アワシマ神だと言われたこともあるが、瀬津は偉大なる
福の神が坐す郷だ。ならば、呪いでさえも福に転じることができるのはないかと考えたのだ。
「原因が分からないのならば、ヒルコ大神にも解けないでしょう。」
 リツセの言葉に、ええ、とアカネはか細い声を出した。
「しかし、何か方法があるのでは?」
 急に割り込んできたのはザイジュだ。何故お前が話に参加するのだ、とリショウは眼で訴えるが、
ザイジュは気づかないのか退く気配を見せない。
「これまでに同じような呪いにかかった人の話などはないのですか?」
「よせ。」
 同じ呪いにかかった話があっても、それがアカネとまるっきり同じであるわけがない。それは、さ
っきリショウも言ったはずだ。
「ですが、試してみる価値はあるのでは?」
「いるかどうかも分からない、似たような呪いを探すことを?どうやって?」
 瀬津郷だけでも人の話を集めるのは骨が折れることだろう。それに、伝承ならばともかく、実際に
呪われた話など、大抵の者なら口を重くして語ろうとしないはずだ。そこからあるかどうかも分から
ない解呪の方法を知るとなれば、ますます難しいだろう。
 アカネが義母から何らかの手がかりを得られていたなら良いのだろうが、きっとそれは難しいだろ
う。アカネはまだ身内ではないから、話を聞く限り体面を重視する義母が呪いの詳細について話すと
は思えない。
「でも。」
「ザイジュ。」
 まだ言い募る部下を、リショウは低い声で押しとどめた。
「これ以上、俺に何か言いたいことでもあるのか?」
 他人の手前だ。そこまでのことは言わない。だが、ザイジュの口を黙らせる必要はあった。いや、
黙りたくないのなら黙らなくても良い。ただしその場合は、ザイジュは主君を変えたということにな
る。
 リショウから、アカネに。
 それだけではない。ザイジュはまだ知らぬだろうが、今、ザイジュとアカネが取り縋る娘はリショ
ウの血縁者だ。波の音に浚われてしまって真偽の程も分からぬほどに遠く分かたれた血筋だが、けれ
ども、リショウとリツセは互いが深い血の廻りの中を同じとしていることに気が付いている。ならば、
リショウとリツセはやはり同じ血を持ち、そしてリツセがリショウと血を同じくするならば、ザイジュ
はその足元に跪かねばならない。
 ザイジュはリツセのことについて、その顔の線から何かを感じ取っているだろう。だが、まだ理解
は出来ていない。しかし少なくともリショウの言葉に反しようとしているという指摘が伝わったのだ
ろう、ザイジュが口を閉ざした。それを合図に、リツセが再び口を開く。
「呪いについては申し訳ありませんが、これ以上私はお力添えすることができません。ただ、もしも
本当に呪いを解くおつもりならば、宮家を訪ねたほうがいいでしょう。御亭主となられる方の家の名
を告げれば、もしかしたら宮家も話を聞くかもしれない。」
「それで、本当に宮家の方に会えますか?」
 開かれたアカネの眼からは光が薄れている。その眼を逸らさずに、リツセは静かに告げた。ひっそ
りとした言葉にリショウははっとして、リツセの横顔を見た。だが、リツセの表情には気負うところ
はなく、静かなままだった。
「私の名を告げれば、或いは。」
 おい、とリショウは咎めるような声を上げる。
 はっきりと言っておけば、リショウはリツセの家系というものを良く知らない。知っていることと
いえば、家系図を遡れば一番最初に行きつくであろう人物が、恐らく同じであろうということだけだ。
 ただ、リツセの存在がこの瀬津郷においては異端であり、且つ重要であることは知れる。これまで
リツセと幾度となく語り合うことはあったが、その度にリツセが聖と俗の狭間にあるのだと感じ取る
ことができた。
 瀬津郷の神を祀る宮家から市井に降りた、その父の血を受け継ぐ娘。その血を利用しようと考える
輩がいることはリツセ本人からも語られたし、リショウもそういうことはあるだろうと頷く。
 リショウとて名ばかり形ばかりとはいえ、一族から分家して、その長として生きる身である。血筋
というものが、深ければ深いほど利用されやすくなることも知っている。
 だから、リツセがあっさりと己の血筋を頼るようなことをしたことが解せない。
 リショウが見る限り、リツセは宮家とそれほどまでに関係を持ちたがっているようには見えない。
宮家と必要以上に繋がりを持とうともしていない。もしも不用意にそちらを頼れば、欲望の坩堝に飲
み込まれかねないからだ。
 宮家であろうが武家であろうが、如何に頭ばかりが大きくなろうとも、己が欲求を満たしたいとい
う思いはそうそう失くせるものではない。
「宮家の方には、どのようにすればお会いできるのでしょうか?」
 リショウの内心など微塵も知らぬアカネもまた、己の中に巣食う不安という欲求に従い、別の誰か
の首を絞めるような真似をしている。それを叱咤してやりたかったが、リショウには口出しができな
い。リショウはこの場においては部外者なのだ。
 リツセとの血の繋がりは、確かにリツセとリショウの間には感じるが、それは他人にも感じられる
ほど深いものではない。口を挟めば周囲からは怪訝な眼で見られることだろう。
 縁者を危機から救おうとするのは、傍目から見れば間違った行為ではないが、リツセとリショウの
場合は他人からは縁者とは見られない。それは二人の間に横たわる血脈があまりにも細々としたもの
であるからで、口にして説明したところで一笑されて終わる可能性があるから、みだりに言いふらす
べきことではなかった。
 絶句したリショウを他所に、リツセは話を淡々と進めている。
「瀬津郷にいらしてから、大きな赤い鳥居が眼にはいりませんでしたか?遠目でも良く目立ったはず
です。あの鳥居の向こう側に神社があるのですが、そこで宮家の者達は暮らしています。」
 漁師町を抜けると一つするりと巨大な道が通っている。その巨大な通りの先に、宮家を有する社と
俗世を隔てる真っ赤な鳥居が聳えている。リショウも随分と目立つ鳥居だな、と思っていたのだが、
そこに宮家がいるのならば少しばかり派手なのは当然のことである気もしている。
 だが、華やかな鳥居の向こう側に埋没していく自分というのは想像したくもない。鳥居の前の大通
り一帯の門前町の賑やかさは、決して嫌いではない。だが、宮家の住まう神社の中には、長く留まれ
ぬような気がしている。
 リショウがこの国から出ていった者の末裔だから、そう感じるのかもしれないが。
「神社の中の誰かに、貴女が入る予定の武家の名と、私の名を告げれば、必ず何らかの答えをくれる
でしょう。」
「そう、なのですか?」
 失礼ですがお名前は、と問うアカネに、リツセは素っ気ないくらい簡単に己の名前を音にする。
「リツセ、と。」
 おい、とリショウはもう一度、声を上げた。それはリツセにしか届かぬほど小さな声だったから、
アカネが立ち上がる時の着物の衣擦れの音に掻き消されてしまった。だから、いいのかそれで、と続
けるつもりだった小声も、喉の奥で堰き止められる。
 結局言葉を探せないまま視線を泳がすリショウの目の前で、アカネはヒルコ大神が祀られている神
社へ向かおうとして、今にも身を翻しそうだ。
 もう、リショウの言葉でこの流れを止めることはできないだろう。
 お前が余計なことをいうから、と八つ当たり気味にザイジュを見れば、何故かザイジュも立ち上が
っている。主であるリショウを完全に忘れているようなその様に、お前何を考えているんだ、とリシ
ョウは今度こそ本気で舌打ちした。よもやその女に惚れたとかじゃあるまいな、と。
 元々ザイジュはお人好しな部分がある。誰かに何かを頼まれたなら、或いは道で右往左往している
者がいたなら、見過ごしていることなどできないだろう。ザイジュが揉め事に巻き込まれている時は
大概が、お人好しによる性分でいらぬことに首を突っ込んだからであり、その度にリショウは溜め息
を吐くのだ。
 今回も、大方アカネもザイジュのお人好しに引っかかった類だと思っていたのだが。
 アカネと共に立ち上がったザイジュの横顔を見上げ、リショウは苦々しく腹の中で呟いた。
 これが色恋沙汰に発展するとなると話はまるきり別だ。
 別に女に惚れることを禁じているわけではない。五氏族の一人としてリショウについてきた以上、
その血を後世に残すのはザイジュの重要な使命だ。そうやって『李翔』の名も受け継がれていくのだ。
 だから、リショウは自分に付き従う五氏族が、いつか妻を娶り子を成すことがあって当然だと考え
ている。それが今であっても、何らかまわない。自分がまだ妻を娶っていないのに、なんて心が委縮
したかのようなせせこましいことは言わない。
 が、アカネはそのうち人妻となる女だ。それに手を出すことだけは許さん。普通に考えても許され
るわけがない。
 けれども、リショウの渾身の舌打ちも、アカネの立てる友禅の衣擦れに掻き消されてしまったよう
だ。
 ザイジュはリショウを振り返ろうとしない。リツセとたまはリショウのほうを見ているというのに。
 そして、不意にリツセの視線もリショウから逸らされる。リツセはリショウの言葉が聞こえなかっ
たわけではない。ただ、二人の間に落ちかかる影に気が付いたようだ。たまが、きぃと、いつもより
も高く鳴く。
 リツセの視線を追いかけて、リショウも落ちかかる影のほうを見やれば、そこに迫っていたのは友
禅の背中だった。見事な友禅の模様が近づくたびに、香る白檀が強くなっていくような気がする。
 何、と眼を見開いて問うよりも早く、ザイジュの絶叫が聞こえた。
「アカネ殿!」
 倒れ掛かる友禅が、芳香を漂わせながら突っ込んでくる。広がる黒髪。
 全てがリツセの頭上に。
 咄嗟に、湯呑が倒れるほどの勢いで立ち上がり支えたのは、完全に条件反射によるものだった。
 倒れてきたものを支えることに対する反射ではない。身内を守ろうとする『李翔』の血が、アカネ
からリツセを守ったのだ。立ち上がる直前、リショウの膝の上からは、するりとたまが飛び降りてい
る。
 支えたアカネの身体は友禅を着込んでいる所為かずっしりと重く、それに包まれたアカネの顔はま
すます白く、いっそ白を通り越して土気色。そして、土気色の瞼はぴくりとも動かない。
 呼びかけても目覚めぬ女の様子に狼狽える男二人を制して、さっと、音もなくリツセが立ち上がる。
今度はリツセの膝の上に乗っていた三匹の水守が飛び降りた。
「リショウ、原庵先生のところに戻ろう。」
 私も行く。
 きっぱりと言い放つや、リツセはてきぱきと出かける準備を始める。
 リツセの動きに合わせて白の袷の袖が翻ったのを見て、リショウは無言で頷いた。