藤の花も咲き揃い、くまん蜂が忙しなく働く五月の頃。
 ヒルコ大神が坐す瀬津郷の人々は、春先にかけて旬であったイカナゴ漁が一段落を迎えたこともあ
って、少しばかり落ち着きを見せていた。
 瀬津では新春といえばイカナゴであって、毎年二月頃から桜の散る四月いっぱいまで、漁師という
漁師は総出でイカナゴ漁に出るのだ。獲れたイカナゴはくぎ煮にされるのが一般的で、春の風物詩と
して瀬津のあちこちの食卓で見られる。
 だが、イカナゴ漁が一段落ついたとはいえ、そう長々と落ち着いている暇はない。何せ、五月と言
えば神楽奉納がある。
 神楽奉納とは、言葉通り神社に神楽を奉納する行事である。ヒルコ大神がお祀りされている宮に、
それぞれの町の組合が神楽を奉納するのだ。お祭りと言うわけではないが、神楽を見る為に、遠方か
ら訪れる人も多いし、神楽の為に新しい衣装も作らなくてはならない。なので、職人や商人達はむし
ろ忙しい。
 それに、ヒルコ神社の神楽奉納に合わせて、この時期はアワシマのお祭りも行われる。
 アワシマはヒルコ大神の妹神である。そしてヒルコ大神と同じく、不具であるが故に親神に捨てら
れ、海に流された。ただ、ヒルコ大神と違うのは、ヒルコ大神が葦船で瀬津に見事辿り着いたのとは
異なり、アワシマは途中で海に沈んでしまった点だ。
 神としての役割も持たず、女神としての畏怖も与えられぬアワシマは、故に荒魂として海の底で呪
詛を吐く。
 特に自分と同じ女と幼子に。
 アワシマの呪いは強く、人々には子が産まれぬようになった。
 これを憐れんだのがヒルコ大神である。ヒルコ大神は子が産まれぬ人々も、それほどまでの荒魂と
なった妹も憐れんだ。偉大なる福の神は、己が治めるが故に荒だたぬ海に、一つ渦を立ててそこから
妹のいる海底へと向い、その御霊を慰めた。
 その時にヒルコ大神は人々に作らせた久寿玉を持っていった。妹神を慰める為の久寿玉はアワシマ
の御心を確かに慰め、ヒルコ大神の力添えもあり、アワシマは女子供の息災を護る女神としての役割
を与えられたのだ。また、この頃からヒルコ大神がいつでも妹に逢えるために、海に渦を作るように
なったという。
 渦が大きくなるこの時期は、アワシマ神が寂しがっているのだと言われている。寂しがって、兄が
訪れる渦を大きくして、兄を呼んでいるのだという。ヒルコ大神も妹の呼びかけに応じて、渦を通っ
て海底へと向かう。
 神々が海に沈む時、陸では人間達がアワシマの御霊を慰める為にお祭りし、久寿玉を始め、女子供
が喜びそうな供物が捧げる。
 この供物を捧げる行為が、いつしかアワシマの御霊を鎮めるところから摩り替わって、女子供の息
災を祈り、安産多産を願うものへと転じていった。安産、多産のお願い事は、ヒルコ大神ではなくア
ワシマ神にするのが瀬津郷では常だ。
 アワシマの祭りの時期に合わせて瀬津の郷にはアワシマの加護を得ようとする人々がやって来るし、
加護を得るためにお供え物を奉納しようとする者も多い。
 特に、安産や多産も司るアワシマへの供物は、跡継ぎを求める商家や武家などから良く集まる。そ
して供物として一度奉納した後、神の加護を得て再び手元に戻ってくる久寿玉の依頼が、この時期は
格段に増えるのだ。だから、久寿玉師も暇ではない。
 この前、原庵が頼んでいた久寿玉を取りに行った時、リショウは己と血脈を同じとする久寿玉師に、
そんな事を言われた。お産に関係する医師の原庵も、アワシマ神の加護を求めて、リツセに久寿玉を
依頼していたのだ。
 リツセが原庵の為に作った久寿玉は、籠のような久寿玉の中にもう一つ久寿玉があるというものだ。
子持ち玉と呼ばれるこの久寿玉は、アワシマ神に捧げるものとして一般的であるらしい。瀬津の郷に
は久寿玉を飾る家は多いが、子供や妊婦がいる家は、この子持ち玉を良く飾る。
 だが、この子持ち玉は作るのに非常に手間がかかるらしい。
 いや、リショウの眼から見ても、子持ち玉は普通の久寿玉よりも使う紙の数が多い上、大きい久寿
玉とその中に入る小さな久寿玉の二つを作らねばならないのだから、大変だろうと思う。
 しかし、それだけではなく、この久寿玉はアワシマ神に一度捧げなくてはならないのだ。
普通の久寿玉も、ヒルコ大神に一度奉納した後、それを下賜されるという形で取り戻すという手間が
かかる。しかも下賜される時、ヒルコ大神の機嫌を損ねぬよう、同じ形の久寿玉をお納めしなくては
ならない。
 これが、アワシマ神の加護を込めた久寿玉となると、ヒルコ大神とアワシマ神両方に奉納せねばな
らない上、手元に戻す時に代わりの品としてお渡しする久寿玉も、ヒルコ大神とアワシマ神両方の分
が必要となってくる。つまり、合計三つの久寿玉を作らねばならないのだ。
 なんて面倒な、とリショウははっきりとそう言った。リショウがこの郷に来て数カ月経つ。その間、
瀬津郷が如何に神と呼ばれる存在を身近にしているか見てきた。だが、流石にこれは面倒だろう。
 そう言えば、自分より少し若い久寿玉師は首を竦めて、稼ぎ時だからね、とだけ言った。
 なるほど、食い扶持を稼ぐのは大切だ。しかしリショウは瀬津に来てから、この遠い縁者が暇であ
った時を見た事がない。何かしら、その時々の行事に関する久寿玉を作っているのだ。
 というか、行事が多すぎだろう、この郷。
「まあ、真面目に働く分、息抜きが必要なんだろうねぇ。」
 にこにことした好々爺といった顔立ちの原庵は、頷きつつそう言った。
 リショウと同じく大陸からやって来た原庵は、瀬津に住み始めてもう三十年近くになるという。
 三十年前とといえば、大陸では当時、大陸の東側一帯を統治していた祇国に滅亡の足跡が忍び寄っ
ていた頃合いだ。きな臭い内政の争いと、跋扈し始めた北の異民族。じりじりと祇国は泥の中に足を 突っ込み、傾いていった。
 原庵は祇国の沈みゆく音にいち早く気が付いて、逃げ出してきたのかもしれない。
 沈みゆく国から人々が逃げ出そうとするのは、いつの時代でも同じなのだ。
「私は瀬津以外の郷にも行ったことがあるが、この国の人々は本当に真面目に働く。だから、自然と
息抜きも多くなったんだろうねぇ。」
 医師として瀬津に住むまで葦原国を点々としてきたのだから、この国の人々についてはリショウよ
りもよほど知っているだろうが。
 家に住み着く三匹の水守達を膝に乗せている原庵を見て、リショウはただの祭り好きの間違いじゃ
 ないのか、と思った。この国には、どうも大陸から渡ってきたと思われる行事がたくさんあるのだ
 が、いずれも妙な具合に伝わっている。或いは妙な方向に発達している。
そして大体において、酒と御馳走がついてくる。騒ぎたいだけじゃないのか、それは。
「確かにこの国の人間は真面目だ。」
 今にも、お前と違って、という言葉が続けられそうなくらい冷然とした声は、いちいちそちらを見
るまでもない。リショウの忠実な部下であって、しかしそれ以上にお目付け役であるグエンが、黙々
と帳面に筆を走らせている。読みも書きも達者なこの部下は、リショウよりもずっとしっかりしてい
る。だから、リショウのお目付けなんてものを任されたのだろうが。
 リショウは、それがグエンの本意ではないことも、知っている。グエンが仕えたかった相手は、リ
ショウではない。
 しかし、グエンがリショウに付き従うことを放棄するほど無責任な男ではないことも、リショウは
また知っていた。
 グエンはどがつく真面目だ。
  堅物だ。
  そういう意味ではこの国は性に合っているのかもしれない。だがそれ以上にこの国は祭り好きだ
と思うのだが。リショウはグエンは祭り好きではなかったと記憶している。花の頃には本を読み漁り、
月の頃には碁盤を睨めつける。そんな朴念仁だ。
 グエンがリショウのことなどすっぱりと切り捨てられるような人間であったなら、皆がもう少し幸
せになれたのではないか、とリショウは少しだけ思っている。
 そんな付き人を持つリショウは、どちらかと言えばちゃらんぽらんである。怠け者ではないが、お
調子者の傾いがある。
 原庵のところで住み込みで働くようになってから、薬の管理だとか調合とかも手伝ってはいるが、
薬を仕入れに店に行ったりと、外に出てふらふらしているほうが好きだ。そういうところが、グエン
にとって頭痛の種にしかならないということも、リショウは重々承知している。
 原庵はリショウの性を理解しているのか、最近は外に行く仕事を任せるようになった。原庵のとこ
ろでは、自分の診療所に患者を集めて症状を診るだけではなく、薬を患者の家や薬を求めている者の
家に持ち回る薬売りのようなこともしている。
 昔は原庵が薬売りも行っていたのだが、診療所が忙しいのと原庵も歳だということで、リショウが
来てからはリショウに任せっきりになっている。
 この日も、リショウは薬の入った箱を背負い、そろそろ薬がなくなりそうな家を最後に回った日付
から試算し、そちらに行こうと立ち上がった。診療所にいても薬や帳面と睨めっこをするだけだし、
何よりグエンの視線が喧しい。だったら、外に出たほうがよっぽどか良い。
 立ち上がる間際、ぴょんぴょんと白い小さな水守が三匹跳ね、薬箱の上にちょんちょんと乗っかる。
 やれやれと思ったが追い落とすのもどうかと思うので、リショウはそのままにして原庵とグエンに
手を振った。
「じゃ、行ってくる。」