それを、よりにもよって、呪いをかけた随身の子孫にさせようという狡猾さ。もしかしたら、随身
の血を引く者を使うことによって、今は亡き随身の怨霊の矛先を緩めようとでもかんがえたのか。
「本家筋は相変わらず男児が産まれない、産まれてもすぐに死んでしまうといった状態だったが。そ
れでも、他家に男児を出しさえすれば、その男児は本家に戻らない限りは呪いから逃れることができ
た。」
 己の血筋を、完全ではないにしても守ることができた。
 一人の女の血筋と引き換えに。
 結局のところ、サエキヒコの家系は、随身などただ自分達のために存在する物にしか見えていない
のではないか。止まらぬ呪いに対して他に打つ手がなかったにしても、自分達が殺した随身の血筋を、
呪いを封じ込める箱のように取り扱うなど。もしも随身を一人の人間と見做していれば、そんな人で
なしなことはしないのではないか。
 そして、サエキヒコもまた同様に考えている人間ではないのか。リショウは腹の底が冷えたような
気分になって、問うた。
「あんたは、アカネ殿をどうしたかったんだ?」
 必死になって呪いを解きたいと言い募ったアカネの裏側に何があったのか、リショウは未だ知るこ
とができない。そこにはもしかしたら、サエキヒコの血筋に絡めとられた随身の血の叫びが混じって
いたのかもしれない。生まれた時から、死ぬ子供を延々と産むだけの役目から逃れたい、と。
 だが一方で、アカネはこうも言っていたのだ。夫や子供が二十の年を迎えずに死にゆくことには耐
えられない、と。それが丸ごと嘘だということはないだろう。彼女の心の中には、確かにサエキヒコ
を想う気持ちがあったはずだ。
 リツセのことも絡んで、厄介者だと多少感じていたアカネのことを、リショウは今になってようや
く哀れに思えてきた。
 リショウの問いかけに、サエキヒコは微かに眼を逸らす。数回、眼を瞬かせてから、サエキヒコは
自嘲の消えぬ口元のまま、答えた。
「私は最初、アカネは私に嫁ぐことを嫌がるだろうと思っていた。」
 リショウは黙って続きを待つ。遠くで聞こえる雨音に、サエキヒコの声が重なる。
「アカネはカゴメについては何も知らない。何も知らないけれども、だが、おかしいと思わないはず
がない。」
 実らぬ実を成らすために、武家に嫁ぐことに、いつかは誰かが反発する。それはサエキヒコ達が、
常に考えてきたことでもある。防ぐ手立てはカゴメ以外にはなく、カゴメになるのは随身の血を引く
者でなくてはならない。他の女では、誰一人としてカゴメにはならず、呪いが蔓延するばかりであっ
た。やはり随身も己が血を引く者は可愛いのかもしれない。
 武家の血筋は、とどのつまり、随身の血に呪われ、護られているようなものだった。
 だから、アカネがサエキヒコに嫁ぐことを嫌がれば、その時はアカネを無理やり座敷牢に入れてで
も、サエキヒコに沿わせねばならなかった。アカネを手放すなど、端から選択には入れていない。
「じゃあ何か?あんたがアカネ殿を追いかけたのは、やっぱり自分の家のためだっていうのか?」
 アカネが一人瀬津郷に向かったのは、少なからずともサエキヒコのためであったというのに。
「けれどもアカネは、」
 サエキヒコはリショウの言葉など聞こえていないかのように、ふっと笑った。
「アカネは、まるで当然のように私との結婚を承諾した。今まで見たことがないくらいに、朗らかな
笑顔で。」
 嬉しいわ。
 そう、言ったのだという。
「私は心底安堵した。けれども同時に、不安にもなった。」
 二人の行く先には、もはや子供達の死臭しかなく、そしてサエキヒコも近い将来、死臭の只中に放
り込まれる。穏やかな生活など、望むべくもない。
「私は、アカネのことが好きだった。だから、アカネの婚礼は嬉しかった。けれどもアカネには幸せ
にもなってほしかった。」
 ぽろりと、ようやくにしてサエキヒコの本心が零れ落ちた。そしてその本心を知っていたからこそ、
アカネは瀬津郷にやってきた。呪いを解きたいと言ったアカネは、同時に、国から離れれば呪いを遠
ざけることもできるのではないかと考えたのだ。故に、ザイジュを拾うという、噂になりかねない迂
闊な行動をとることで、サエキヒコを己の元へと呼び寄せたのだ。
 だが、それももう遅い。
「アカネは、カゴメとなってしまった。」
 サエキヒコの言葉に、どういうことだ、と訊く。サエキヒコの顔からは、先程の自嘲の笑みも消え、
再び能面のような顔に戻っている。ただ、声だけが彼の心境を表したかのように、苦い。
「あの、腹の子。」
 振り絞るような声で言う。
「あれは、誰の子供でもない。ただ、呪いを受けるためだけにカゴメが孕む、形代だ。」
 本来ならば、武家との婚礼を迎えた随身の女が、孕むのだという。言葉通り、それは誰の子供でも
ない。誰の種も必要としない。ただ、呪いを受けて死ぬだけの子供だ。
 けれどもアカネは、まだ婚礼を上げていない。にも拘らず、子を孕んでしまった。それはサエキヒ
コと、しっかりと心が通じ合っていた証しだろうか。故にアカネは婚礼前に、既に武家の嫁と見做さ
れたのか。だとしたら皮肉な結果だ。
「ああやって孕んだ子供は、間違いなく流れる。そのためだけに産まれてくる子供だ。」
「あんたらは、それで良いのか。」
 どうしようもない悍ましさに、リショウは声を荒げた。誰の子でもないにしても、死ぬためだけの
子供を産むなど、リショウにとっては、信じられぬほどに遠く人間離れした考えとしか思えなかった。
そんなことを考える者がいることが、不思議で仕方がない。
「一体誰だ。呪いから身を守るためとはいえ、そんなことを考えた奴は。」
「知らぬ。ただ、いつのまにか、そういうことになっていた。」
 そんな馬鹿な話があるか。
 意味もなく、死ぬためだけの子供が産まれる呪いが定まるなど、そんなことがあるものか。リショ
ウがそう言おうとした時、その先を塞いだのはリツセだった。足元に水守を侍らせた久寿玉師は、サ
エキヒコを見つめる。
「それで、貴方はこれからどうするおつもりですか?」
 雨の音を扉の向こう側に背負って、リツセは雨だれと同じ調子で声と息を吐く。
「アカネ殿を連れて針間郷に変えるのか、それとも瀬津郷に留まるのか。アカネ殿は瀬津郷に留まり
たいと思っているかもしれません。それで、呪いから離れられるかは分かりませんが。」
「……………。」
 サエキヒコからの返答はなかった。そうそう容易く、武家がその家から離れられるはずがない。ま
してこれから跡継ぎとなるのなら、猶更。リツセもそれは分かっている。分かっていて、聞いている
のだ。想いが報われなかった、アカネのために。
「いずれにせよ、アカネ殿はしばらく動けないでしょう。今から生まれてくる子供が、死ぬためだけ
の子供であっても、お産であることに変わりはない。産後すぐに動くのはあまり宜しくないでしょう。」
 針間郷に帰った後のアカネの処遇は、あまり良いものではないだろうことは、想像に容易い。それ
を先延ばしにしたところで事態が良くなるとは思えないが、だがリツセの言っていることは正論でも
ある。産後――まして死産の後に、女がすぐに旅に出るなど、良いわけがない。
 だから、まずは身体を養生させて――その間にゆっくりと考えれば良いのだ。これからどうするの
か。針間郷に帰ったとして、その時サエキヒコがどのようにアカネを庇うのか。庇う為の口実をつく
る為にはどうすれば良いのか。
 するりとリツセが背を向けた。
「リショウ、私はアカネ殿のところに戻る。おそらく、今夜中には、終わるだろう。」
 何が、と問うのは愚問だった。死ぬための子供のお産が、今夜終わるのだ。
 さっと木の扉が開かれる。途端に、遠ざかっていた雨音が、一気に鼓膜を叩き始めた。この雨の向
こう側に、アカネはいる。
 鈍く昏い色をした頭上で、何かが閃いた。一拍の後、地響きを伴う唸りのような雷鳴が、辺りに轟
いた。その中に、リツセが躊躇なく足を踏み出す。たまも一緒になって外に出る。
「待て、リツセ。俺も行く。」
 雨音に負けぬようにリショウは怒鳴ると、今にも驟雨の中に消えそうなリツセを追いかける。扉か
ら出る直前、一度立ち止まって、彫像のように動かぬサエキヒコを肩越しに振り返り、
「どうするのか、決めるのはあんただからな。」
 このまま此処でじっとしているのか、それとも逃げるのか、アカネの元に走るのか。
 好きにしろ。
 リショウはそう言い置いて、戸をぴしゃりと閉め、雨の中立ち止まって待っているリツセの元に走
った。