ワタヒコを、遮れぬ光が差し込む小屋に置き去りにして、二人は漁師町の魚臭い道を歩く。リショ
ウは、先程のワタヒコの昔話についてうつうつと考えながら、リツセを呼んだ。少しばかりリショウ
の先を歩いていたリツセは、首を曲げてリショウを振り返る。同じように、水守達もリショウを振り
返った。日は随分と高く照っており、真っ白なリツセと水守の姿は、今更ながらやたら眩しい。その
眩しさのうち、三つはリショウの頭と両肩に乗っているのだが。
 その三匹の水守が眩しかったのか、リツセが目を細めて、なんだ、と問う。リツセの声は、波の打
ち寄せる調子と同じだった。
「どう思う?」
 もちろん、先程のワタヒコの話についてだ。
 ようよう見つけることができた、瀬津郷――正確に言えば淡ノ島に端を発した男児殺しの呪い。ワ
タヒコの話は、いちいち考えずともアカネの話のどこに被せれば良いのか、よく分かる。
「奉じられていた久寿玉を持ち帰った奥方が嫁いでた武家ってのは、アカネ殿が嫁ぐ武家って考えて
も良いよな。」
 ワタヒコの話によれば、針間の武家であった。アカネの住まいも針間であった。まさか同じような
事を仕出かして、同じような呪いにかかる武家が幾つもありはしまい。
 リツセは、まだ定かではない、と答えた。
「けれども、おそらくそうだろう。そしてアカネ殿も、淡ノ島が事の始まりだろうことは知っている。」
 だから、瀬津郷を訪れるとすぐに淡ノ島に行こうとした。
 瀬津郷の頂点に坐すのはヒルコ大神だが、それ以外にも無数の神が坐している。子宝成就の願いを
聞き届ける神も、アワシマ神以外にも大勢いるのだ。
 瀬津郷に来たという事実だけを抜き取れば、アカネの行動は頷けた。子宝成就の神が大勢いる瀬津
郷に願いを託したのだと。しかし、アカネは真っ直ぐに淡ノ島に向かった。それは、数ある瀬津郷の
子宝成就の神の中で、己の嫁ぎ先の呪いに纏わるのはアワシマ神であることに気づいていたからでは
ないのか。
「けれど、男児殺しの呪いの原因については、本当に知らないんだろう。呪いを解きたいのなら、原
因が分からないなんて言うことはないんだから。」
「お前は殺された随身が呪いの原因だと思ってるのか?」
 正直なところ、リショウにはどうもそれだけが原因であるような気はしない。呪いというものがな
いとは思わないが、しかしそれほどまでに簡単に呪いというのはかけられるものなのだろうか。
 すると、リツセが口元に微かな笑みを浮かべた。それは呪いを信じられないリショウを憐れむ笑み
ではなく、リショウの言葉に同意する苦笑だった。
「それだけでは、ないだろうね。もちろん、原因の一つではあるかもしれないけれど。」
リツセもまた、随身の呪いを心底信じているのではないのだ。その言葉に、リショウは少しだけ満足
する。
「なんにせよ、アカネ殿とはもう一度話をしないと。」
「ワタヒコ殿の話も聞かせないといけないしな。」
 原庵の診療所で悪阻で寝込んでいる女のことを考え、リショウの頭の中でふと何か固いものが過っ
た。
 アカネが瀬津郷にやって来た理由はともかくとして、何故彼女は一人でやってきたのか。しかも途
中、ザイジュという、嫁入り前の娘が引き連れるには、噂が立ちすぎる若者を拾って。
 そして、アカネの後ろ側に、逢った事もないアカネの婚礼相手の顔を見る。アカネを婚礼前に孕ま
せ、そして身重のアカネが一人瀬津郷へと行くことを良しとした男。
 妙なのだ。体面を重んじるであろう武家が、そんな一歩間違えれば醜聞を周囲に曝すような危ない
真似をするだろうか。婚礼前に子を孕ませてしまうことは、逢瀬の結果としてなくはないが、そうな
った女を一人で度に出させるか。
 もしや、男のほうは何も知らぬのでは。アカネは何も告げずに瀬津に来たのでは。
 何故。
 黙り込んだリショウの足元で、白い水守が突然立ち止まった。立ち止まって、きぃ、と鳴いて人間
を呼び止める。
 犬猫よりも遥かに卓越した知性を持つ水守に、リショウとリツセが何事かと同じく足を止めると、
それを待っていたかのようにたまは顎を持ち上げて右手にある店の看板を仰ぎ見た。人間二人と、そ
の人間の一人の頭両肩に乗っている三匹の水守も、同じように看板を見る。
 甘味処ミカサ。
 堂々たる毛筆で書かれた言葉に、リショウは再び昨夜のことを思い出した。殺伐としたあの空気の
中、グエンと話す合間にこんなことを言った気がする。たまには何か甘い物でも食わせてやる、と。
まさか覚えていたのかこのトカゲ。
 たまが半眼になってリショウを見上げる。覚えている顔だ、この顔は。
「リショウ。」
 遠き血縁者が怪訝な顔をして、問う。
「たまと、何か約束をしなかったか、もしかして。」
 した。そして頭と両肩からも、何かを期待するような気配が立ち昇っている。たまはリショウを半
眼のまま一瞥すると、くるりと身体の向きを変えて人間の都合などお構いなしに、甘味処へと入って
いこうと短い手足を動かし始めた。あわや、たまの短い前脚が甘味処の敷居を跨ごうとしたその時。
「大変だ、原庵先生のところに、どこかのお武家様が斬り込んだらしいぞ!」
 耳に跳ね返った大声に、リツセとリショウはおろか、たまの歩みさえもが止まる。若者の叫び声に
町行く人々の足並みがぴたりと立ち止まり、その場は一瞬、凪いだ海のようになった。
「なんだと……?」
 最初に呟いたのが誰であるのか、人ごみの中から捜すのは難しい。だが、その一言を切欠に、凪い
だ人波が静かに盛り上がっていくように囁き声が口々に出され、次第に大きなどよめきへと変化する。
「どういうことだ?」
「原庵先生に怪我はないのか?」
「お武家様だって?」
「原庵先生の治療に不満があったのかね?」
「馬鹿な、原庵先生に限ってそんなことあるものか。」
 言葉の一つ一つを捉えれば、そのようなことを、違う声が、原庵を心配するような同じ調子で呟き
合って、巨大な言葉の渦を作っている。しかしリショウとリツセにとって重要なのは、一番最初の若
者の叫び声だけだった。
 できることなら原庵の状況を若者に問い質したかったが、若者は既に人と言葉の渦に飲まれて二人
からは見えない。
 リツセとリショウは同時に踵を返す。
「急いで原庵先生のところへ行こう。」
 分かり切ったことを告げるリツセに、リショウは黙って頷いた。もともとアカネの件があったから
診療所には戻るつもりだった。けれども、もはやそれはついでだ。
 原庵のところにはグエンもザイジュもいる。二人とも武芸の手練れだ。そこらの男衆に引けをとり
はしない。だが、もしも相手が突然斬りかかってきたとなったら。グエンとザイジュに真っ先に切り
かかったのなら、あの二人なら反撃できるだろうが、原庵や、その他の医者、或いは患者が最初の餌
食であったなら。
 また、血が流れる。
 神の領域に近いこの場所で、彼岸と此岸を近づけんばかりに血が流れる。それとも、病や怪我に穢
れが集まるというのなら、それもまた穢れの結末であったのだろうか。
 いや、それとも。
 たった今、ついでとしたばかりの女の顔が、ちらりと思考の端を掠め去る。
 アカネ。
 まさか、原庵の診療所に斬り込んだ武家とは、アカネの婚礼相手ではあるまいな。
 先程まで固いものが頭の中を掠め去っていたので、そんななんの根拠もないことを考えるのかもし
れない。だが、考え付いてしまった以上は止まらない。
 まさか、アカネは相手の男を、この場に呼び寄せるために、思わせぶりに一人で旅をし、若い男を
捕まえて瀬津にやってきたのではないか、と。
 ならばこの騒ぎは、穢れの結末ではなく、アカネが音頭をとった茶番劇か。
 苦々しく、前方の地面を睨み付ける。そこでは、いつの間にか人間達を追い越したたまが、短い手
足からは想像もつかぬほど素晴らしい速さで駆けている。
 リショウは少し足を速め、リツセに並んだ。ちらりと視線をリツセに向ければ、彼女の眼にはなん
の感慨も浮かんでいない。もしかしたら、リツセはアカネの茶番劇であるという考えを、既に導き出
していたのだろうか。
 疑問は尽きない。
 けれども今はそれを考えるべき時ではない。今は、まずは原庵達の無事を確かめなくては。
 リショウはたまからもリツセからも眼を離し、ぐっと脚に力を込める。
「リツセ、俺は先に行くぞ!」
 リツセを追い越す時、ああ、という返事があった。たまがちらりとこちらを見上げ、リショウと同
じ速さで走り始める。同時に、頭と両肩から重みが外れる。三匹の水守達が、枷になってはならぬと
思ったのか、リショウから飛び降りたのだ。
 たまと共に雑踏の中を駆け抜けながら、リショウは原庵の元へ駆けた。背後でリツセの足音が遠ざ
かっていく。けれども、遠く離れていきながらも、それでもその音はリショウの後に続いていた。そ
れだけが、明白な事実であった。




 リショウが診療所に駆け込んだ時、一つの修羅場は既に峠を越していたが、更にもう一段襲い掛か
った修羅場は、未だ診療所の中にとぐろを巻いていた。
 診療所を遠巻きに眺める野次馬と、診療所から逃げ出して来た患者と思しき連中を掻き分け、リシ
ョウが診療所の中に飛び込むと、そこで繰り広げられていたのは、グエンに取り押さえられた若い男、
原庵に支えられながらはらはらと涙を零すアカネ、そして厳つい男が振りかぶった大鉈を白刃取りし
て受け止めているザイジュという構図であった。
 床に桶や手拭といった物が散らばる以外に、特段暴行の後は見受けられず、アカネと共にいる原庵
にも怪我はなさそうであることから、リショウは己の忠臣が被害を最小限に食いとどめたことを察す
る。そして襲撃者を見事取り押さえたことも。グエンの下で両腕を後ろ手に取られて押え込められて
いる若者。仕立ての良い服を身に纏っていることから、彼が良い家の出であることはすぐに知れ、彼
のすぐ傍に抜身の刃が転がっていることからも、襲撃者と見て間違いがないだろう。だがこれは、誰
かの皮膚を抉る前に、グエンの手によって地面に叩き落された。
 修羅場の一つはこれで山を越えた。
 だがもう一つ。大鉈を振りかぶっているにも関わらず、リショウが襲撃者であると判じなかった厳
めしい体格の大男。上背だけならばグエンのほうが高いのだが、肩幅ががっちりしており、捲り上げ
た袖から覗く丸太のような腕が、グエンよりも質量を伴った巨大さを思わせる。それがぎりぎりと大
鉈を押し込んでいる相手が、どちらかと言えば小柄なザイジュであるから、余計に巨大さが極まって
見えるのかもしれない。
 しかし問題は、その巨躯がザイジュに大鉈を捻じ込もうとしているところにあるわけではない。問
題は、
「よもや契りを交わした相手のいる婦人に手を出そうとは!見損ない申したぞザイジュ殿!」
「いえ私は!お相手のいるご婦人に手を出すような者ではありません!」
「ええい白々しい!妙齢の婦人と二人寝食を共にしている以上、何が違うと申されるのか!」
「だから私は!」
 この、白刃取りを間にして繰り広げられている会話。若者を押え込んでいるザイジュが、巨躯と小
柄の二つを、いつも以上に不機嫌な顔で眺めやり、やがてリショウにちらりと眼を向けた。向けただ
けで、何かをしてくれるわけではなかった。
 リショウの足元で、人間達が繰り広げている様相を眺めていたたまは、てくてくと歩いて若者の傍
に落ちている刀の柄を咥えて遠くにやると、そのまま転がっていた桶の上に乗って、それ以上はやは
り何もしようとしない。
 老人である原庵と、女であるアカネについては言わずもがなだ。むしろこの場で何かをさせたほう
が危ない。
 つまり、俺にどうにかしろってことか。いや、自分がどうにかすべきなのは、分かっているが。
 何せ。
 ちらりと白刃取りの状況を見やる。がっちりした大男と、小柄な男。このまま裸足で逃げ出したく
なるような事実であるが、どう見ても、二人とも、自分の臣下だ。困った事に。ザイジュと、もう一
人のほうも、自分の臣下だ。今まで行方不明になっていた、臣下で間違いがない。どうしてこんなこ
とになっているのかは、さっぱり分からないが。
 とにかく、修羅場の第二波は、自分の部下が生み出したものだった。
「ザイジュ殿には婦人の操立てというものがご理解できないと申されるか!」
「ですからそうではないと!お願いですから私の話を聞いてください!」
「しかもグエン殿までそれをお止めにならないとは!」
 無言で眺めているもう一人の忠臣にも火の粉がかかる。どう考えても不意打ちであったが、思い切
り浴びせかけられたグエンは無表情でなんということもない。申し開きさえするつもりがないのか、
相変わらず若者を押さえつけたまま、何もするつもりがないようだ。リショウ随一の忠臣は、リショ
ウがこの場を治めるのをとくと拝見するつもりらしい。
 いなくなった臣下が戻ってきたと喜ぶこともできないリショウは、げっそりしたまま白刃取りの間
に割って入った。
「とにかく何よりも先にだな、俺の話を聞け。」
「リショウ殿!」
 叫びは巨躯と小柄の両方から。同時にザイジュに押し込められていた大鉈が退く。というか声をか
けるまで気が付かなかったのか、ということを詰ってやりたかったが、そんなことを言っている場合
でもなかった。
 ザイジュが心底安堵した声を上げて、リショウの後ろにさっと身を退かせてそのまま侍る。鉈を退
いた大男はリショウの足元に跪く。どちらもリショウには必要のない行為であったが、いちいち言っ
ていても仕方がない。
「ヨドウ、得物をとにかく降ろせ。その前に、お前は俺に俺の前から離れた理由を申し開きしないと
いけないだろう。それに、お前がザイジュに言っていることは何となくだが理解した。だが、それは
根も葉もない噂だ。ザイジュはそこにいる婦人には手を出していない。」
 は、とヨドウが答えるよりも先に、グエンに押さえつけられている若者が、嘘だ、と叫んだ。まだ
若い、もしかしたらアカネよりも年下かもしれない男は、嘘だ嘘だと、酸いも甘いも知らぬ、世間を
知らぬ声で叫ぶ。
「私は此処に来るまでの間、いろんな話を聞いた!アカネ殿が若い男と二人でいることも、その若い
男が、私の知るアカネ殿の従者の誰とも違うことも知った!そして二人がこの郷で共に暮らしている
ことも!」
 だからそれが根も葉もない噂だ。リショウは思い切りそう罵ってやりたかった。だがそれをしたら、
この若き世間知らずの武家に振り回されてしまうだけだ。
 ああ、と小さく女の声が上がった。耐え切れないと言うようにアカネが顔を覆ったのだ。ここまで
くれば、もう十分に分かったが、やはりこの事態の原因はアカネであったのだ。つまり原庵の診療所
を襲った若き武家は、アカネの婚礼相手で間違いないだろう。
 違う違うのですサエキヒコ様。
 すすり泣く女の声から、リショウは襲撃者の名がサエキヒコであると知った。だがそれは今はどう
でも良い。
「何が違うと言うのだ!貴女は私を裏切ったのだ!」
 再び修羅場の様相を見せ始める診療所に、リショウは舌打ちした。男と女の情が絡むと、かくも炎
は燃えやすいのか。三度の修羅場にリショウは、自分の言葉が男女の情念に流されぬよう、だん、と
足を踏み鳴らした。リショウは、一族――例え部下が今現在三人しかいなくとも――を率いる者とし
ての態度を貫く。それ以外に事態を把握し、沈静化させる手段はないように思えた。少なくとも、サ
エキヒコに下に見られたら、話はそこで終わりで修羅場に戻るだけだ。
「俺の配下が迂闊な行動をとり、周囲に誤解を与えるような真似をしたことについては言い返す言葉
もない。謝罪しよう。」
 リショウはちらりとグエンに目くばせする。主の意見を汲み取った忠臣は、ゆっくりと若者の身体
から身を退き、しかし若者が再び暴れ出そうものならいつでも飛び掛かれるように、肩には力を込め
たままだ。
 そしてリショウは、サエキヒコが暴れ出したり怒鳴り散らすよりも先に、如何にも君主然とした声
を吐き出す。
「だがな、あんたがこの診療所で刃を抜いたことに関しては、俺の配下には全く非がない。どんな理
由があれ、関係のない医者の家で刃を抜いたことについては、悉くがあんたの責任だろう。」
 如何に妻となるべき女を、何者かに奪われ怒り狂っているのだとしても、無関係の原庵を巻き込む
道理が何処にあるものか。それにリショウは、ザイジュがアカネに手を出すわけがないと信じている。
ザイジュに限らず、己の忠実な部下が、そんな無節操なわけがあるか。
「しかし、リショウ殿。」
 リショウに跪いた巨体――ヨドウが頭を垂れたまま言う。
「サエキヒコ殿の妻となる、そちらの婦人がザイジュ殿と共にいたことは紛れもない事実。いかがわ
しい事実などは何処にもなかったと、ザイジュ殿は証明せねば。」
 ヨドウの肩越しに、ゆらりと立ち上がったサエキヒコが見えた。立ち上がったは良いものの、グエ
ンに押さえつけられていた身体が痛むのか、それとも大きな憤りに身体を動かす術も忘れているのか、
サエキヒコという若者はリショウを睨み付けて、肩で大きく息をするばかりだ。声も出ないのか。
 視線を走らせれば、原庵に支えられているアカネは涙で裾を濡らしている。色が変わるほどの涙は、
しかしリショウはそれが何処まで真であるのかと思った。今、この現状は、アカネが引き起こした事
に間違いはない。
 ただ、それが意図されたものであるのかどうなのか。リショウにとってはザイジュの身の潔白を信
じている以上、むしろアカネの腹の底を明かすほうが重要だった。アカネにとっては、今も彼女を穏
やかに支えている原庵でさえ、己の絵巻物に出てくる登場人物でしかないのかもしれないのだ。
「リショウ、一旦ここは長屋のほうに場所を移しては?」
 ふつふつとアカネに対する疑惑と憤りが湧き上がってきた時、そこに水を注ぐような声がして扉が
開かれた。さっと日差しと黒い影が差しこむ。見れば、黒い影とその背後に未だ帰らぬ野次馬の顔が
見えた。だが、ざわめく声はすぐに扉がぴしゃりと閉ざされて掻き消える。残ったのは黒から一瞬で
白に戻ったリツセだけだった。足元では三匹の水守がちょこんと鎮座している。
 忽ちのうちに水を打った静けさに満ちた診療所内では、サエキヒコの荒い息が唸っている。それを
掻き消すように、リショウは盛大に溜め息を吐いた。
「リショウ、遅くなってごめん。」
「遅い。」
 軽く謝るリツセに、リショウも口先だけで文句を言う。そして、どういうわけだか腹の中で小さく
安心した。
「でも確かに、これ以上原庵先生に迷惑をかけるわけにもいかないしな。長屋でゆっくりと話を聞こ
うか。」
 未だ怒り治まらぬサエキヒコ、涙に暮れるアカネ、跪くヨドウ、後ろに侍るザイジュ、静かにこち
らを見つめるグエン。順繰りに彼らを見やって、リショウは最後に己の血の片割れであるリツセと眼
を合わせる。
 水守達が無言でこちらを見守っていた。