ああ、ありがとうございます。
そのようなお気遣いをさせてしまって。こちらのお水は美味しゅうございますね。湧水があちこちに
あるのですか?ああ確かに、水路がたくさんありますね。湧水を水路で町中に行き渡らせているので
すね。
 もう、大丈夫です。気分も良くなりました。少し、奇妙なものを見てしまって、驚いただけです。
それに、人ごみに当てられた所為もございましょう。
 ええ、本当に奇妙なものでした。いえ、奇妙なものというよりも、奇妙な場所に入り込んでしまっ
たと言えば良いのでしょうか。
 ………お聞かせするほどの事ではございません。わたくし自身、よく分からぬ出来事でしたし……。
 そうですね……話せば、少しは楽になるかもしれません。
 では、どうか、笑わずにお聞きくださいませ。たった今、わたくしに起きました、不可解な出来事
を。もしかしたら、わたくしの言葉には不愉快な部分がございますかもしれませぬが、どうかご容赦
くださいませ。
 わたくし、生まれは瀬津の郷より西にあります明穂の郷になります。
 ええ、瀬津と同じく世戸海に面した郷でございますね。こちらのほどではございませんが、明穂も
やはり漁業が盛んでございます。わたくしの生まれた町も、良く晴れた日には潮の香りと、漁師衆の
掛け声が、町中を駆け巡っておりました。
 わたくしの父は料理人でした。小さい店でしたが、漁師相手にそれなりに繁盛しておりました。日
が暮れると漁を終えた男衆がやってきて、時にはその日獲れた魚を持ち込んで、父に捌いてくれと頼
む事もございました。父も、それを気前よく引き受けたりしておりましたら、漁師衆も贔屓にしてく
れていたようでございます。
 そんなわけで、わたくしは小さい頃から漁師衆とは馴染みがございましたし、魚の卸売の方々とも
懇意にしておりました。父に連れられて、卸市場に行った時に聞いた彼らの競りの声は、今でも耳に
残っております。
 似たような店を知っているのですか?そのような店は良く繁盛すると言っていただけるとは、嬉し
い限りにございます。小さく古びた店ですが、もしも明穂にいらっしゃる折がございましたら、どう
かお立ち寄りくださいませ。父も喜びましょう。ええ、わたくしが生まれた時、既に四十の坂を下っ
ておりましたので、還暦を迎えておりますが、漁師町の男衆にはありがちな事に、未だに矍鑠として、
包丁も握ってまだまだ現役にございます。
 さて、明穂は海に面しております故、確かに漁師が大勢おりましたが、しかし瀬津郷やもっと北の
貴崎郷のような大きな港町ではございません。卸市場に来る人も、やはり地元民がほとんどでござい
ます。
 わたくし、本日初めて瀬津の卸市場を見まして、たいそう驚きました。あんなに大勢の、しかも様
々な場所から人が集まってくるものなのですね。瀬津郷で獲れた魚を買おうと、瀬津郷以外の人々が
あんなに集まるだなんて、話には聞いていたのですが、あの様子はわたくしの想像を遥かに超えてお
りました。
 それに、異国の方までいらっしゃるだなんて。ええ、瀬津郷は大陸から渡って来られる方が大勢い
るとは知っていました。ですが、本当にわたくし達と同じように町中を闊歩しているのは、初めて見
たのです。
 ああ、わたくし、先程から初めてばかりを繰り返していますね。なにぶん、元は漁師町の料理屋の
娘。瀬津郷のように洒落た場所など知らぬ田舎者ですので、少々舞い上がっておりますし、元々あま
り上手にものも話せませぬ。ご無礼がございましたら、ご寛恕くださいませ。
 そんな田舎の料理屋の娘が、何故、香を焚き染めた絹の着物を身に纏っているのかと不思議にお思
いでしょうね。大した理由はございません。一番納得できる理由にございます。わたくし、二年ほど
前に塩屋の大店の跡取り息子の元に嫁いだのです。
 所謂、玉の輿、というものでございますね。ええ、あちらで寝かせて頂いている赤ん坊は、私の子
供。男の子ですから、跡取り息子でございますね。三カ月になります。
 明穂郷は、もしかしたご存知かもしれませんね、瀬津郷と同様に海の恵みを頂いておりますが、そ
の形は少々違っております。
 瀬津郷は別の土地からの流浪という形で恵みを受けていらっしゃいますね。今日、あちこちを拝見
させていただき、異国の人や物が溢れかえっておりました。または、海産物もやはり、同じ流浪のも
のでしょう。これらが、瀬津郷を潤し、賑やかしていると、わたくしは僭越ながら思ったのです。
 しかし、明穂は違います。先程も申しましたように、明穂は漁師もいますが、しかし大きな港があ
るわけではございません。明穂は、延々と長い砂浜があるのです。これこそが、明穂の恵みでござい
ます。
 その通り、塩田でございます。
 田舎では、よくよく酒屋や米屋に富が集まると申しますが、明穂では塩屋に富が集まるのです。仰
る通り、塩は料理には必ず使いますし、保存食を作る際にも使用します。なくてはならない物でござ
います。
 明穂の長い砂浜を使用して、塩を採ろうとした初めの人が、わたくしの夫の祖だとの事です。わた
くし、学のない女でございますが、そんなわたくしでも、流石に明穂の今を作られたその方の名前は
知っております。それほど偉大な方なのです。
 そのような偉大な方の子孫である夫が、何故、漁村の小さな料理屋の娘を嫁にと思ったのか、それ
はわたくしにも分かりません。ええ、何度かお会いした事はございます。嫁ぐ前、実家の店の手伝い
をしていたわたくしは、料理に使う食材の買い付けなどもしておりました。勿論、塩もです。
 塩は、キシオ屋――夫の塩屋の名がそういうのです――から買い付けておりました。その時に、夫
とは何度か顔を合わせた事があったのです。
 キシオ屋は、先程も言いました通り富の集まる塩屋なだけあって、それは立派な店構えをしており
ました。わたくしのような小さな料理屋の小娘だけではなく、何処かの大店の番頭やきちんと屋号の
入った名のある料理店の方なども、大勢相手にして商売をしております。わたくしなどは裏口から入
って、塩を何升分とだけ言うのが精いっぱい。踏み潰されずに店から出るだけでへとへとでした。
 そんな繁盛している店の中から、どうしてわたくしを見つけ出し、他にも同じ年頃の娘は大勢いた
でしょうに、どうしてわたくしを選んだのか、全くわかりません。主人も、笑うばかりで答えてはく
れませんし。まあ、このように子宝にも恵まれましたし、漁村の料理屋の娘の末としては考えられぬ
待遇も得ておりますので、文句を言うと罰があたってしまいますね。
 もしかしたら、今回の不思議な事も、私に対する罰であったのかもしれません。
 本日、瀬津郷に参りましたのは、春の宮詣をする為でした。この子が三カ月を迎えたこともござい
ますので、百日参りも兼ねて参ったのです。明穂にも宮はございますが、わたくしどもは商売人。こ
ちらには慶事を司るヒルコ大神がいらっしゃいます。ですので、キシオ屋のこれからの発展を祈って、
ヒルコ様の加護を頂きたく思ったのです。
 ですが、わたくし、こちらには初めて参ったものですから、道に迷ってしまったのです。おかげで、
魚市場や繁華街なども見る事が出来ましたが、本来の目的である宮様には一向に辿り着けません。や
はり、春一番という事で皆様こちらの宮様に詣でるのか人も多いですし、赤ん坊も抱えておりますの
で、身動きする事も難しゅうございました。
 それで、少々、わたくし気分が悪くなってしまいまして、出来る限り人ごみを避けようといたしま
した。思えば、それが悪かったのかもしれません。あのまま人の流れを追いかけていれば、宮様にも
辿り着けたかもしれませんのに。
 どんどん人気のない方向に向かった所為で、逆に人気のない辻に迷い込んでしまったのです。ええ、
本当に、人っ子一人いないのです。ちょうど赤ん坊がぐずっておりましたから、辺りが、しん、と静
かである事に、全く気づきませんでした。
 気づいたのは、いつだったでしょうか。気が付けば、両側が白塗りの塀で囲った武家屋敷に挟まれ
た辻に入った時でしょうか。ぼんやりと、朱塗りの欄干のある橋を渡ったのは、覚えております。武
家屋敷の塀の向こう側で、松の木が捻じれたようにこちらを見下ろしているのが見えました。
 松の細い葉が、ふらふらと揺れているのですが、それが赤ん坊の泣き声に合わせて揺れているので
す。それが視界の隅に入った時、わたくしは、はっとしました。周囲には誰もおらず、それどころか
物音ひとつしないのです。わたくしの子供の声だけが、わんわんと響いておりました。
 確かにお武家様のお屋敷回りは物々しいものです。ですが春のこの時期に、まして物一つしないな
んてことがございましょうか。鳥の声も、風の音もしないのです。いえ、風のような動きもなかった
ように思います。今思えば、あの時あの場所には、赤ん坊の声とわたくし以外に、動いているものは、
いえ、何かを動かせるものはいなかったように思います。
 わたくしの腕の中で泣く赤ん坊の声だけが、あたりを揺らしていたのでございます。
 その時になれば、わたくしもこれはおかしいと思い始めました。なんとかして人のいる場所に行こ
うと、白塗りの塀に囲まれた辻を歩き回りました。ですが、行けども行けども、火道は開けず、両側
の塀も途切れません。武家屋敷であれば、必ずや何処かで門に辿り着くはずなのですが、それもない
のです。何処までも何処までも、真っ白な塀ばかりが両側を囲っているのです。
 空は青く、日差しは燦々としておりましたが、妙に白々しい色に見えました。人がいない上に終わ
らぬ辻であるのに、日差しや塀の向こう側に見える木々は、全く普通のものなのです。むしろそれが
空恐ろしく感じました。
 そうですね、日は照っておりましたので太陽は出ていたのでしょうが、動いているようには思いま
せんでした。時間そのものが、流れていなかったのではないかと思います。もちろん私共の陰も動い
てはおりませんでした。
 わたくしとむずがる息子以外、誰一人としていない辻で、いよいよ途方に暮れました。何処に行っ
ても白塗りの壁に囲まれた辻から、別の辻に出られず、しかも誰かに問おうにも誰もいないのです。
頼る者がいないというのは、本当に不安になるのでございますね。子供の頃は父が、嫁いでからは夫
や誰かしら傍におりましたから。全くの一人きりというのは恐ろしいものです。
 ええ、息子は抱いておりましたが、なにせまだ乳飲み子です。頼りにはなりませんわね。
 わんわんと、いつも以上に泣く息子の声が、あたりに反響して更に大きくなっているように感じま
した。その大きさに、わたくしもとうとう耐えられなくなり、頭が痛くなってきました。眩暈を感じ
るほどでございました。
 春のぬるびた日差しも、歩き回るうちに酷く鬱陶しいものに感じ、襟袖はじっとりと汗をかいてお
りました。赤ん坊の泣き声と日差しの熱さに、わたくしは、人ごみにいた時よりもずっと気分が悪く
なってしまったのです。
 だから、あんなものを見てしまったのかもしれません。
 頭痛で眩暈を起こす視界の中に、白い人影を見たのです。今まで誰一人としていなかった辻に、よ
うやく人の姿が現れたのです。
 その人は、おそらく男性だったのではないでしょうか。おそらく、というのは、わたくしはその人
の姿を、おぼろにしか思い出す事が出来ないのです。白い袷を着ていたことは覚えております。真っ
黒な烏帽子も被っておりました。袴は、それは見事な紫に金の刺繍がしてございました。そうでござ
いますね、一見すると、宮様にお仕えする方のような出で立ちでした。
 そのように、立ち姿は覚えているのですが、肝心の顔は全く思い出せないのです。若かったのか、
年寄だったのか。醜かったのか、美しかったのか。背が低かったのか、高かったのか。全く覚えてお
りません。思い出そうとすると、すぐに頭の中に靄がかかってしまうのです。おそらく男だ、と申し
ましたのは、宮司の恰好をしておりましたからです。
 霧がかったような男――不便ですので男と言わせていただきます――の顔の中で唯一、覚えている
のは、眼が、爛々と輝いていたことでしょうか。わたくしは夫から、異国より渡ってきました宝玉を
貰っております。はい、こちらの帯留めに使っている石です。緑の美しい石でございましょう?
 日を浴びれば、燦々と輝くのです。
 はい、この石が燦々と輝く様に、それはそれは良く似ておりました。
 もしもそれだけならば、そしてこんな不可解な辻にいなければ、わたくしはその眼に見入っていた
事でございましょう。
 ですが、行けども行けども出られぬ辻に、しかも人間とは思えぬほどに輝く眼を持っている輩など、
物の怪の類に違いありません。ですから、ようやく出会えた人ではございましたが、わたくしは恐ろ
しくてその場で足が竦んでしまったのです。
 わたくしが木偶の坊のように、赤子を抱えて突っ立っている間にも、男は眼を煌めかせながらこち
らに近づいてきます。逃げなくては、と思うのですが、脚に根が生えたように、動けないのです。
 そして、とうとう、とうとう男はわたくしの目の前に立ちました。目の前は、男の輝く眼でいっぱ
いになりました。男の鼻も唇も見えません。ただ、男の眼だけが視界に広がったのです。
 息が止まるかと思ったその瞬間、終始無言かと思われた男が、声を上げました。
「その子供を置いていけば、此処から出してやろう。」