オナデの葬式は、ひっそりと行われた。
 元々流れ者で、この郷に住み着いた男には身寄りはなく、寄り添う家族もいなかった。
 放っておけば無縁仏になるところだが、元来流れ者であるヒルコを祀る瀬津では、身寄りのない流
れ者は寺ではなく、宮によって弔われ墓地に埋葬された後、一柱の神としてそっと祀られる事になる
のだ。
 それは、罪人であろうとも貴人であろうとも落ち武者であろうとも、如何なる流れ者であっても同
じだった。
 オナデが静かに神になった一か月後、リツセは出来上がった久寿玉を、ヒルコ大神の元から降ろし
頂いた。
 郷には幾つも、ヒルコ大神を祀った社がある。その社の一つに蛇の首を封じた久寿玉を預け、一か
月間ヒルコ大神の元でその神力に触れさせた後、全く同じ形の久寿玉と、神力を頂いた久寿玉を取
り換えるのだ。
 その、帰り道。
「まあ、災難だったね。」
 共に社へ行ったウオミは、リツセと並び歩きながら言った。
 リショウがナチハの馬を奪い取った後、ウオミはナチハと共にリツセの家に駆け付けたのだ。しか
しリツセの家には既に誰もおらず、壊れた扉と騒ぐ職人達と、泣きじゃくるチョウノがいるだけだっ
た。
 二人はチョウノの言葉からリツセが大陸人に攫われた事を悟ったが、けれども何処逝ったのかが分
からない。這う這うの体であちこちを探し回っているうちに、夜が明け、それと同時に久寿玉と蛇の
首を抱えたリツセが帰ってきたのだ。
 子供の頭ほどもある蛇の首に一瞬踏鞴を踏んだものの、それでも駆け寄る友人達に、若い久寿玉師
は一言、仕事を引き受けた、とだけ言って店の中に引っ込んでしまった。後を追い、店に入ろうとす
ると、たまが飛び掛かって邪魔をする。どうやらリツセの邪魔をするなという事らしい。
 店の中に入って仕事に取り掛かってしまったリツセの代わりに、事態の説明をしたのはリツセと一
緒に帰ってきたリショウだった。
 リショウの説明により、ウオミとナチハは何があったのかを知る事が出来たのだ。オナデが何故死
んだのかも、分かった。
 オナデが死んだ事は、正直自業自得なところがあり、誰かが責められる謂れはない。
 しかし、リツセにしてみれば、オナデの死は未然に防げた事だった。リツセが、刺青のある男達の
言葉をもっときちんと聞いていれば、聞いた上で久寿玉作りについて説明していれば、こんなふうに
血が流れる事もなかっただろうに。
「そうかね?だってオナデは、久寿玉の中に金目の物がないかと探ったんだろ?だから、蛇に噛み殺
された。」
 刺青のある男達は言っていた。
 あの晩、オナデの元に久寿玉作りを依頼に行った時、オナデは不用意に、しかし何かを探るように
崩れた久寿玉の中を見ていた、と。そして久寿玉の中身を良く見てやろうと、久寿玉をほとんど崩し
てしまったのだ。それが、蛇の怒りを買うとも知らずに。
 オナデは仕事を受ける前に、男達に、何度もその久寿玉の中に何があるのかと問うていた。
 男達はオナデが金目当であると察し、仕事を負わせるのを躊躇ったが、リツセに白刃を向けた事が
災いして、他に仕事を受ける職人はいなかったのだ。
「だから、あんたの責任がそこに入り込む余地はないと思うけどね。あの男達と、オナデの自己責任
じゃないか。」
「そうかもしれないけれど。」
 そうであっても。
 縁起物を作る身が、僅かなりとも不幸を呼んでしまった事に変わりはない。
「しかし、あの男達はなんだって、この国にあんな物騒な久寿玉を持ち込んだんだろうね。自分達の
国でどうにか祓えなかったのかい。」
「ああ、それは多分、もともとこの国から持ち込まれたものだったから。」
 グエンは言っていた。九頭玉は元々葦原国にいたリショウの祖が、祇国に持ち込んだのだと。
「へえ、回り巡ってこの国に戻ってきたって事か。」
「ああ………。」
 リツセはふと思い出した事があり、それをウオミに言うべきかどうか、一瞬悩んだ。悩んで、止め
る。今言ったところで、大騒ぎになるだけだろうし、そもそも他人からしてみれば事実かどうか疑わ
しい事だ。過去を遡る術は、何処にもない。
 口を噤み、腕の中にある、唯一過去を知っているであろう蛇の頭を封じている久寿玉を見下ろす。
当然のことながら、蛇からの声は何も聞こえなかった。
「そう言えば、あんたがあたしんとこに紹介したあの客。髪がくるくるしている奴。今回の件で怪我
したって言ってたけど、どうなんだい?特に怪我してるようには見えなかったけどさ。」
 ちょうどその、髪がくるくるしている奴に関する事を考えていたリツセは、一瞬言葉に詰まったが、
すぐに溜め息を吐いた。
「怪我って言っても、別に蛇に咬まれたとか、そういう怪我じゃない。」
 



 その、髪がくるくるしている奴――リショウは、帰ってきたリツセを見て、ようおかえり、と声を
かけてきた。九頭玉の諸々で壊された店の扉は、リショウと彼の臣下であるグエンの手で直されてい
る。
 当然のようにリツセの家にいる青年に、リツセは特に突っ込む気もない。リショウが入り浸るよう
になってからは、むしろチョウノがやいのやいのと文句を言っていたが、それも何処吹く風の青年に、
チョウノも自分の店を放り出して関わっている暇もないので最近では大人しい。
 癖の多い髪で覆われた頭の上にたまを乗せて、ひょっこりと顔を出したリショウは、ウオミが言っ
た通り怪我をしているようには見えない。それもそのはず、あの事件からは既に一か月経っているし、
そもそも怪我もこぶである。そのこぶも、蛇との一件で負ったのではなく、蛇との一件が終わったあ
と、グエンに槍の柄で殴られた所為で出来たものである。
「お前は、何処をほっつき歩いていた。瀬津の港で落ち合うというのが我らの約定ではなかったか。」
 リショウを殴ったグエンの言い分はこうである。どうやらグエンとリショウは、別々の船に乗って
瀬津にやって来たが、リショウのほうが先に瀬津に辿り着き、そして勝手にあちこちうろつき回った
挙句、落ち合う約束を完全に忘れてしまっていたらしい。それは、誰であっても怒るだろう。
 ただ気になるのは、リショウはグエンの主ではなかったかという事だ。主君を槍の柄で殴るとはど
ういう事か、と思ったが、面倒なので聞かなかった。
 それよりも、グエンがリショウに説教を始めようとした場所は朝日が昇る竹藪であって、まだ蛇の
首も片付けていない状況であった。なので、とにかく片輪となった男の手当てと蛇の鎮めが先決だと
リツセが主張し、その場は収まった。収まったが、その後どうやらリショウはみっちりと説教を喰ら
ったらしい。
 リツセが店の中を見回すと、グエンはおらずリショウ一人だけである。ごろごろしているリショウ
と違い、グエンは何かと忙しいのかもしれない。
「なんだよ、九頭玉を取りに行ったんじゃなかったのか。」
 手ぶらで帰ってきたリツセを見て、妙な顔をしたリショウに、リツセは店の中を見回して特に客が
来た形跡がない事を確認する。
「九頭玉なら、取に行ったついでに客に渡してきた。」
 リショウの頭から降りたたまを抱き上げながら、リツセは答える。
 大陸からやってきた今は片輪となった男に、九頭玉は手渡した。それを押し戴くように受け取った
男に、九頭玉の中の蛇は牙を剥いたりしなかったから、きっと大丈夫だろう。彼らの今後の事はきに
ならないではないが、それはリツセが口を出す事ではない。領主の元を黙って離れた彼らが、どのよ
うな罰を受けるのか、リツセには分からない。だが、もしも涙を止めた蛇が、男達を憐れむのならば、
そう酷い事にはならないはずだ。
「良いのか。」
 リショウの言葉に、リツセは問題ない、と答える。
「仮にあの蛇が未だ荒ぶる魂であったとしても、ヒルコ大神の加護がある。彼らの乗る船が沈む事は
ないよ。」
「そうじゃなくて、九頭玉を奴らにくれてやっても。」
「そちらこそ、本来の持ち主は貴方では。」
 祇国の豪族の末裔であるならば、本当は九頭玉は彼が受け取るはずだったのかもしれない。だが、
リショウは首を横に振る。
「元々はこの国のものだ。あれは、俺の遠い祖先が葦原国から持ち込んだ物だ。」
「この国には、あと八つの首があるから。」
 リツ姫と、彼女の夫が斃した八俣の蛇の首が。
「知っていたのか。」
 リショウの声が、一気に冷えて硬いものになった。リツセがリショウの顔を見ると、眼付きも鋭い
ものに変わっている。
 九頭大蛇を斃した話。
 八岐大蛇を斃した話。
 これだけ似通っているのだ。もしかしたら同じ蛇の話ではないがと思っても、おかしくない。ただ、
頭の一つが大陸に持ち込まれたから、葦原国では頭が八つと言われただけで。
 だから、リツセは何も知っていたのではない。ただ、気が付いただけだ。
「貴方を見た時に、何処かで見たような気がしていた。いつ何処で見たのか、思い出した。」
 癖の多い髪と、その目鼻立ち。丸ごと同じというわけではないが。
「貴方は、出奔した私の叔父に似ているんだ。」
 リツセが幼い頃に、船に乗り何処かに行ってしまった父の弟。昔の事だから良く覚えてはいないが、
薄らと脳裏に残る影は、何処となくリショウに似ている。年齢からいってリショウが叔父の子供であ
る事はないだろうが。
 リショウがゆっくりと瞬きし、鋭い眼差しを緩める。
「俺はあんたを見た時から気づいてた。グエンもだ。あんたは、俺の一番上の姉貴に似てる。」
 リショウは番台の椅子に座り、少し俯いた。
「俺の祖先は、大陸からこの国にやってきて、その後また大陸に戻ったんだ。そして、何十年かに一
度、一族から離れて別の土地に移り住む奴が出てくる。そいつは、必ず『リショウ』を名乗る。」
 空に『李翔』と指で描く。
「葦原国から大陸に渡った祖先の名前だ。」
リツセはリショウの声に頷いた。
「瀬津国の宮様の家系は、男児の名前には必ず一番最初に『リ』という言葉を付ける。私の父は宮か
ら市井に降りた。名はリヒロ。」
 長い年月の間に完全に葦原国の名前として溶け込んでしまったが、本来はそれは大陸の姓だったか。
李比呂と空に書いたリツセの指を眼で追うリショウに、リツセは首を傾げる。
「貴方は九頭玉を追ってこの国に来たと言っていたけれど、自分の血に連なる者に逢えるとも思って
いた?」
 まさか、とリショウが小さく笑う。
「俺はただ、一族から離れる口実が欲しかった。別に家族が嫌いなわけじゃないが、あまりにもしき
たりが多すぎて、骨が折れた。瀬津国に来たのは、偶々だ。あんたに逢ったのも。」
 葦原国から渡ってきた、しかもその国で自分達の祖が対峙した蛇の首を封じた久寿玉を探すのなら、
 もしかしたら血を同じくする者に逢う可能性があると、思わなくはなかったが。けれどもそれは、
 蛇が荒れ狂う最悪の事態になった時、そちらの血脈に頼らねばならないとなった時の話だ。
 尤も、今回それに近い状況であったわけだが。
「初めて逢った時、ああ見えて、ぎょっとしてたんだ。姉貴に似てたから。でも他人の空似かもしれ
ないし。でも、蛇とのやり取りを見ててどうも他人の空似じゃないなと。」
 今でも、まだ信じる事は出来ないが。
「俺の祖――李翔の母親の名は、律というんだ。」
「リツ姫が大陸から連れて帰った、彼女の夫はリコウ――李煌と呼ばれてる。」
 人と神の境である皇女と、大蛇を弑した海の向こうより来たる英雄の名前。その時代は、もはや手
繰り寄せる事が難しいほど、夢の中の虹ほどに遠い。血脈の途絶えも分からぬし、何処で折れ曲がっ
たかも分からない。もしかしたら、ただ同じ伝承を謳ってきただけという可能性もある。
 リツセがこの話をウオミにしなかったのは、これが血縁という縁であると言い切れなかったからだ。
リツセとリショウの間には、確かに二人にしか感じ取れないであろう脈が流れている。しかしあまり
にも深く沈み込んだ脈であるが故に、一笑されて終わってしまうほどのか細さも備えている。
 だが、確かに打ち寄せられた流木のように、岸辺と岸辺を繋ぐ糸は今も漂い続けているのではない
か。ヒルコが漂い流れ着いた海では、神々がそうした気紛れを働かせてもおかしくはない。人が護り
続けた伝承と神々の気紛れは古い時の流れを見せ、古びたその隙間から、新しい波が生まれたとして
も、不思議はない。
 座り込んでいたリショウが不意に立ち上がる。
「此処に来るまでの間、俺はずっと自分の祖先の縁を辿ってきた。それで、最後の最後までその縁を
辿ってたわけだ。」
 祖先の残したしきたりが面倒だったから抜け出したのに。行き着いたのは祖を同じくする人々だっ
た。微かな苦笑を浮かべた声に、リツセは眉を顰めた。
「グエンの事もそうだ。『李翔』には代々必ず五つの氏族から付き従う者が排出される。俺は一人で
行くつもりだった。けれどもそうはならなかった。」
 声に微かな後悔が混じっている事に、リツセは気が付いた。だが、それについては言及しなかった。
リツセは、彼の言うしきたりを知らない。一方で、リショウはリツセの郷の決まり事を知らない。縁
はあるかもしれないが、自分達は知らない者同士だ。
「では、一族から分かたれた貴方が、血を同じくする者の、別の定めに属してみたら?」
 しきたりを疎んじながらも、その身に流れる血で雁字搦めにされている様子の若者に、リツセは縁
ある者として言ってみた。
「貴方はこの国に縁がある人だけれども、此処で生きる人々のしきたりと、貴方の一族のしきたりが
全く同じであるわけがない。しきたりは、その国で生きる人々によって培われるものだ。貴方は縁と
しきたりを同列に語っているけれども、それは違う。貴方が私の祖の血筋が生み出した定めで縛られ
ていると言うのなら、私達の定めを試してみては。」
 きっと、リショウの定めとリツセの定めは、全く違うだろう。似ていても、違うだろう。その事に、
気が付くはず。その時、リショウの中で蟠る――それがどんな形をしているのか、リツセには分から
ないが――葛藤が、微かにでも別の方向を見出す事が出来るのではないか。
「この郷に居ても良いのか?」
「行く宛もなさそうだし。この郷はそういう大陸人が大勢いる。それに、多少は縁ある場所で暮らす
方が、気は楽だろう?」
 まるで何もかもを見通したように、水守を抱えたまま微かに笑って言う久寿玉師に、リショウは溜
め息を吐いた。
「まあ、どうせグエン以外の残りの氏族とも落ち合わなきゃならないし。しばらくはこの郷にいる羽
目になるだろうさ。」
 瀬津郷で彼らと落ち合うと約束して、もう一カ月。残りの四氏族は、いっこうに姿を現さない。逃
げ出した、とか考えようにも、忠誠心だけはお腹いっぱいに持っている連中だから、リショウに嫌気
が差して役儀から逃れた、なんて事は考えにくい。
「乗る船を間違えたんじゃ。」
「言うな。」
 リツセの言葉を、リショウは遮る。一番考えられるが、一番考えたくない可能性だ。そして船を乗
り間違えたのだとしたら、それは簡単に瀬津郷にまでは来れまい。かといって、こちらから捜しに行
こうにも、相手が何処に行ったのかさっぱり分からないし、逆に変にこちらが動けば、ますます逢え
なくなるだろう。
 むしろ、此処で切り捨ててしまえば、とも思わないでもないが。しかし忠誠心溢れる彼らは、リシ
ョウからの別離の言葉がない以上、延々とリショウを捜して、最終的には見つけ出されそうな気がす
る。というか、そもそもグエンがリショウと共にいる以上、リショウが勝手に逃げ出すとかはできな
いのだが。
「だから、しばらくはこの郷にいるしかなさそうだ。」
 先程とは別の意味で、後悔の念を込めたリショウの声に、リツセは苦笑しつつ、安心させるように
言った。
「この郷に少しばかり落ち着いていれば、海で離れていったものはまた返ってくるよ。」
 リツセの声は、不思議と納得できる音色を湛えてリショウの中に染み渡った。
 此処は、海に流され、けれども海を渡り切ったヒルコ大神が坐す郷だから。流されたものは、いつ
かまた帰ってくる。
 リショウの血筋のように。
 リツセは、もしかしたら遠い遠い昔、血を同じくしていたかもしれない青年に、瀬津の民へ向ける
寿ぎを、これまでとこれからの分を込めて囁いた。
「その血の辿りに、ヒルコ様のご加護を。」
 リツセの腕の中で、水守が呼応するように、きぃと鳴いた。