フロル。
 宇宙統括倫理機構の中でその名を知らぬ者はいない。
 宇宙最初の知的生命体を生み出した星であり、宇宙統括倫理機構の前身ともなった星。しかしなが
ら、この世の狂乱とも言える外帝王を進化させた星。そして、寿命を終えて、今は宇宙の塵となった
星。
 伝承と映像とパノラマでのみ語り継がれる、伝説の星。
 フロルが宇宙の塵に戻ったのが、果たして大往生であったのか、それとも苦痛に満ちた死であった
のかは分からない。
 だが、持ちうる技術を結集させて造り上げた船から死に逝く故郷を見詰め、そして第二の住処をそ
の船とし、流浪の民となる事を選んだフロル人達にとっては、どちらの死に方であっても決して良と
いうものではなかっただろう。
 それは、決して故郷の死を悲しむだけのものではない。
 彼らにとって星の死は、いつかは訪れる避けられぬ道だった。故に彼らは船を造っていたのだ。し
かし、それで良しとはできぬ理由が、フロル人には――フロルという星にはあった。
 フロルには、後の外帝王となるモノが犇めいていたのだ。
 バチルス・フロリア。
 フロルのみに生息し、あらゆるものに寄生し、あらゆる場所に適応する、宇宙で最も忌むべき細菌。
肉眼で見えぬそれらは、肉眼で見える生命以上に旺盛に繁殖し、フロル人達を脅かしていった。
 フロルの星の上で、どれだけ長くフロル人とバチルスの戦いが続いていたのか、それを正確に知る
者は何処にもいない。ただ、星の死を挟んでも両者の間に決着が着かなかったのは事実だ。
 細菌を隔離し、星と共に死滅させようというフロル人達の作戦は、細菌に一つの宇宙船を乗っ取ら
れた事により敢え無く崩れ去った。宇宙船自体に寄生した細菌は宇宙へと逃げだし、そしてあらゆる
星に飛来し、寄生と繁殖を繰り返して星々を飲み込んでいった。
 それに対して、フロル人達は己が第二の住処となる母船を本拠地とする機関を打ち立て、交流のあ
った星と共に細菌の殲滅を誓ったのだ。これが宇宙統括倫理機構の基礎となる。
今現在、宇宙統括倫理機構が宇宙を隅々まで管理し、外帝王は宇宙を縦横無尽に駆け巡り、宇宙最古
から続く戦争の決着は未だに着いていない。
『連中が一番欲しい身体は、多分、俺らだ。』
 自嘲気味に、世界の終りを意味する、しかし確率の低い事実が囁かれた。
『奴らの寄生に適した進化をしてるからな、俺らは。だが、同時に俺らに既存している連中は奴らを
受け入れようとはしない。故に俺らの身体は奴らにとっては毒にも等しい。だが、それは俺らにとっ
ても同じ事。』
 きつめの眼差しが、その時、酷く疲れたような色を見せた。
『俺らは諸刃同士だ。奴らを取り込めば俺らは更に進化できるかもしれない。だが、既存の連中と反
発しあい身体が潰れるかもしれない。奴らも同じだ。俺らに寄生すれば今まで以上に効率よく動ける
かもしれない。だが、既存の連中に食い破られて俺らの支配下になるかもしれない。』
 そう、宇宙最初の知的生命体の遺伝子を受け継ぐ教官は言った。
『だから、奴らは俺らと戦いながらも、決して俺らを破壊しようとはしない。』



 
「隠し扉があったんですか。」
 金属製の床に埋め込まれた青い灯りだけに照らされた、薄暗く細い通路に着地した智羽は、誰に言
うというわけでもなくそう呟いた。ほぼ独り言であったそれは、しかし同様に着地した男に反応され
た。
「そうや、すごいやろ。特注なんやで。」
「……………。」
 いや、一応誰かに襲われる可能性のある宇宙船らしいので、隠し扉ぐらい普通だと言って欲しい。
そうでなければ、宇宙統括倫理機構とやらの程度が知れてしまう。
 ぺらぺらと隠し扉の歴史について話し始めた男を、智羽は常識人の眼差しで見つめた。その醒め切
った眼に――智羽としては生温い眼差しのつもりだったのだが――気づいたのか、男は口を閉ざし、
その容貌に見合った真面目な表情を作る。
「まあ、冗談は置いといてやな。」
 冗談だったのか。恐ろしく喜々として隠し扉について語っていたが。そう突っ込む気力も失せた智
羽に、男は先程と同じように顔を近づける。ただし先程と違い、まるで迷い子のように途方に暮れた
色を、その眼に油膜のように広げている。
「…………お前、何なん?」
 相変わらず不躾な言葉だと思ったが、男の顔が困惑と緊張と期待に揺れているのを見て、智羽は取
りあえず切り返すのだけは止めておいた。しかし、何がどう何なのか、それは聞かなくては分からな
い。
「…………とりあえず、何、とは何なんですか?それを聞かない事には私も答えられない。」
 男に聞くと、男は恐ろしいほど真剣な表情――というか、今までにない焦りをその顔に浮かべた。
そして智羽の肩を掴むと、そのまま暗く静まり返った壁に押し当てる。隠し扉についての喜々とした
話し方は何だったのだと言うような変わりようだ。それともそのふざけた話も、男が己の心中を隠す
為の戯言だったというのか。
色んな疑問が湧いてくるが、いったん真剣モードに入った男には、それらは全て終わった話であるら
しい。
 その赤い眼を炎のように光らせて、男は低い声で言った。
「お前――――地球外生命体に会うの、俺が初めてちゃうな。」
「そうですけど、それが何か。」
「――――っ!」
 しれっとして答えた智羽の台詞に、男が息を呑んだ。
 いや、智羽にしてみれば、男がそんな反応をする事のほうが不思議だ。この宇宙船で初めて顔を合
わせた時から、智羽の一連の態度を見て気付かなかったのだろうか。宇宙船や宇宙人に一つとして戸
惑わなかった智羽の姿を見ても、何も思わなかったのか。
 智羽が醸し出している呆れた空気を読んでいないのか、男は今にも智羽を絞殺しそうな勢いをその
 両腕に込める。とはいっても、込めたのは勢いだけで力は強まっていないので、痛みは感じないが。
 ああ、それよりも勘違いされるといけないので。
「私の知る宇宙人は貴方ではありませんから。」
 目の前の男とは初対面であり、間違っても自分は『よしこ』という人間ではない。またわけのわか
らない勘違いをされても困る。
「わかっとるわ。」
 わかっていたのか。
 しかしそう突っ込むには、この男の赤い三つの眼が真剣すぎてあまりにも怖い雰囲気を吐き出して
いる。今、この眼からビームが出ると言われたなら、多分、信じる事が出来る。
「誰や。」
「は?」
「誰に会うたんや!」
 置いて行かれた子供のような叫び声が上がった。今にも何かが零れおちそうな色をしたそれは、細
い通路の壁に吸い込まれる。しかし耳にこびりついた残響は、なかなか消えそうにない。
 なんだ、この超音波並みの声は。
 鼓膜がぐわんぐわんしているような錯覚に耐え、智羽は自分を壁に押し当てている男の眼を見つめ
返した。文字通り目と鼻の先にある顔は、やはり帰り道をなくした子供のようだ。
 大人の風貌から幼さを露呈した男に、智羽は驚くと共に軽い困惑を覚える。
 何をそんなに途方に暮れているのか、と。
 もとの話は確か、智羽が外帝王に操られているか否かだったはずだ。その為にこの男は、第三の眼
を使って智羽を走査した。それで、何を見つけたのか。
 智羽の体内に外帝王とやらを見つけたのか。それで智羽の接触した宇宙人が外帝王、もしくはそれ
に準じるものだと判断したのか。故に危険だと見なしたのか。
 だが、それならこの捨てられた犬のような色はなんなのだ。智羽を危険視するよりも、何処か縋る
ような色を浮かべて、ぎゅうぎゅうと智羽を壁に押し当てている。
 はふっと智羽は溜息を吐いた。
 苦しかったわけではない。智羽が出会った宇宙人について何が何でも――頑是ない子供のように―
―聞き出そうとする男に、根負けしたのだ。
「知りたいっていうのなら教えてもいいですけどね。」
 しかし自分だけが喋るのは癪だ。この男にも、智羽が疑問に思っている事を語る義務が――拉致し
た事を考えればそれはもう多大に――ある。幸い、あの蠢く昆虫のような連中は此処には近づいてい
ない。智羽に刻まれた徴も、血の海に沈んでいる。
「貴方、さっき自分が負けるようなら死ぬ前に地球を破壊するって言いましたね。なんでそこまでし
て職務を全うしようとするんです?」
 プライベートで宇宙船を飛ばすくらいだ。そこまで職務に忠実とは思えないのだが。
 ひっそりと男の顔を見てやると、男は無表情に近い、なんとも言えない顔をしていた。




 今から2000万年前ほどに、フロル人達は一度、地球に飛来した事がある。宇宙の探索と、外帝王の
侵蝕の調査の為、そしてほんの少しの観光気分で。
 ただしその時、フロル人達は地球人に会う事は出来なかった。何故なら当時は猿がちょろちょろし
ていただけで、それ以外に目立った――フロル人達と話が通じるような知的生命体は存在していなか
った。
 数年ほど地球を探索した後、じんわりと形成され始めていたグレート・リフト・バレーの近くで、
フロル人達は此処には外帝王は飛来していないと結論付けた。
 だが、外帝王の旺盛な繁殖力が、いつこの星を食い散らかすか分からない。
 そこで彼らは、外帝王と戦う為に重要な技術と、その他諸々の――アンチエイジングの方法だとか、
燃費のいいエンジンの設計図だとかを――詰め込んだ銀の卵を作り上げ、地球に置いていく事にした。
いつの日か出現する、フロルの知識を理解する人類の為に。
 むろんフロル人達は、人類が卵を開く前に外帝王の侵略が来る事を考えなかったわけではない。む
しろ彼らはそれを恐れた。銀の卵の中には、外帝王が喉から手が出るほど欲しがっているものも入っ
ていたのだ。だから、フロルの卵は外帝王達に見つからぬように砂漠の奥深くに埋められた。そして、
万が一、外帝王に見つかった時の為に、番人として守護者として一人の青年が残された。
 地球に残されたフロルの青年の名は、宇宙統括倫理機構の機密文書の裏側にだけひっそりと刻まれ
ており、その名を知る者は最高行政官、執行官の中にすらいない。フロルの寿命は後世に己が知識を
すべて残せるほど長いものだが、彼らの寿命を持ってしても、2000万年の月日と宇宙の広さは、銀河
の片隅に残された一人の孤独な青年の名を残しておくには莫大であったらしい。
 しかし対して、フロルの知識の髄を結集した銀の卵の存在は、絵本の中で語り継がれる昔話のよう
に、詳しい星の名前や位置を掠れさせていきながら宇宙に広がっていった。
 宇宙の何処かにある、その時は名前すらなかった星に埋められた卵は、その価値から考えれば誰で
も欲しがるものであり、当然、外帝王の耳にも届いた。そして外帝王を含む多くの知的生命体が、何
処かの青い星に埋められた銀の卵を求めて宇宙を飛来しているのだ。
だが、銀の卵の目印でもあった番人の遺骸が風化し、砂漠に一切の目印がなくなった頃、砂漠の上で
一つ、爆発が起こった。
 進化した地球の人類が行った核実験。
 それによって、宇宙すべてが求めてやまない銀の卵は、粉々どころか中身も全て灰に帰したのだ。




「………で?」
「『で?』って、なんや。」
 一向に腑に落ちていない表情の智羽に、男も不服そうな顔をする。己の説明の至らなさに気付かな
いあたり、この男の外見年齢と精神年齢の不一致が見えてしまう。
「絵本で語り継がれるような銀の卵が、なんで地球にあったと、しかもそれが核実験で破壊されたと
知ってるんですか、貴方は。」
 いや、それ以前にこの男は智羽の質問を忘れているのではないだろうか。そもそも智羽が問うたの
は、死を目前にした――いや、別に死ぬとは決定していないが――この男が、地球を破壊する事に拘
っている理由である。
 が、男は当初の質問を無視して口を尖らせ、智羽に反論した。
「だって、あったんやもん。」
 なんだ、その駄々っ子みたいな反応は。
「見た事あるんですか、その卵を。」
「ない。」
「だったらなんで。」
「聞いたから。」
 男は頭の後ろで手を組んで、壁に凭れた。
「その、地球に残された青年の子孫にな、会った事があんねん、俺。」
 数百年前、一人地球に残されたフロルの子孫により、銀の卵が埋められた星が地球であると――内
密に――特定できたのだ、と。その彼と接触する事のできた男は、銀の卵について話を聞く事ができ
たのだ、と。
「ま、俺が会うた時にはもう、核実験で卵は粉々になっとったんやけどな。」
 男がフロル人の青年の子孫と出会った時、銀の卵の事もあり、既に宇宙統括倫理機構の監視下にあ
った地球では、幼い精神と科学技術のバランスが崩れ去っていた。そしてそれが引き起こした核実験
により、銀の卵は塵になっていたのだ。
 そのはずなのだ。
 けれど、と、男は呟く。
「もしも、銀の卵の中身が、完全には消え去っていなければ?」
 男の死により、男の監視下から地球が離れた場合の対策。
 監視の眼から離れるならば、破壊を以て対応せねばならぬ理由。
「銀の卵の正確な中身は、もう、誰も知らん。そしてそれが核の爆破に耐え得るほどの強度を持っと
るのかも。」
 知性の高いフロル人ならば、核実験の事をある程度の予測はできていたかもしれない。そして中身
が何処かに眠っているかもしれない―――そう考えればきりがない。
 故に銀の卵が消え去った今も、外帝王が銀の卵を求めて地球に現れる可能性はある。
 ――もし、地球に銀の卵の残滓が残っていれば。
 ――それが外帝王の手に渡れば。
 だから、地球が一瞬でも監視の眼から外れる事があるならば、その時には破壊せねばならない。
 それが、男に課せられた使命だ。如何に男が職務怠慢であっても、外帝王の恐ろしさは男も知って
いる。その事実の前には怠慢でさえ敵ではない。命を惜しむ声でさえも。
 眼を閉じて嘲るように告げた男の言葉に、智羽は首を傾げた。
 質問の答えは、時間が掛ったが手に入った。しかし、彼の話には、やはり疑問点が残る。銀の卵が、
宇宙すべてが欲しがる割には、呆気ない終わりを迎えている気がするのだ。核実験で粉々になるとは、
扱われ方があんまりではないか。核実験が起こる前に手は打てなかったのか。
「その子孫は、卵を核実験から守ろうとはしなかったんですか?」
「どうやって?」
 再び開かれた赤い眼には、酷く気だるげな色が浮かんでいる。
「あのな、俺ら異星人の存在は、地球人にはほとんど知れ渡っとらんの。知っとるのは国連の幹部数
人くらいや。一国の大統領でさえ知らん。俺らの存在を受け入れるには地球人の精神が低すぎるから、
公表してないんや。そんな状況で、どないして、でっかい銀の卵を守れるんや。」
「こっそり移動させるとか。」
「銀の卵はでかいんや。如何に砂漠の真ん中でも変に動かしたらばれるやろ。おまけに核実験をする
ゆう事は、その前後、砂漠はどっかの軍の監視下に置かれるやないか。」
 俺らはスーパーマンやないんやぞ。
 そう、関西弁の宇宙人は言った。
「大体、銀の卵なんか所詮、数万年前のフロル人のお節介で作られたもんやないか。地球にそれがホ
ンマに必要かも分からんし。なんでそんな、あってええんかどうかも分からん、祖先が勝手に作った
もんに子供や孫が縛られて、代々守っていかなあかんねん。」
 何処か苦々しげに言った男に、智羽は、おやと首を傾げる。
 宇宙の秘宝とさえ言える銀の卵を、地球人が無知ゆえに核で破壊した事について、この男は嘲るよ
うな素振りこそ見せたものの、それ以上の非難はないらしい。むしろ、破壊されて良かったぐらいの
勢いではないか。
「………兄さん、貴方。」
 智羽の血潮に刻まれた徴が、再びざわめき始める。それは命の危機を知らせるものではなく、過去
の記憶を掘り起こそうとするような、湧き上がるものだった。それに喚起されるように、智羽の思考
回路が動き出す。
 幾つもの表情を見せる男の顔が、幾つもの事象に結びつく。幾重にも使い分けられた声音が、その
裏で一つの答えを叫んでいる。
 銀の卵の存在を、決して良としない、その真意は。
「貴方、私が会った事のある異星人を、そのフロル人の子孫だと思ってるんですか?」
 転瞬、男の顔色が音を立てるほどに変わった。