多分、自分の破壊行為を止めてくれる者は、自分を置いて何処かに行ってしまうのだ。
 別に暴力が好きなわけでもないし、血に飢えているわけでもないけれど、自分には危険と見なされ
た星を破壊する義務がある。それでも何らかの事情があれば、その破壊行為は回避される。
 二十年前の、あの時のように。
 この小さな青い星など惜しくはなかったけれど、それと破壊を躊躇しないのは別の話だ。星の破壊
は即ち、その星にある全ての生命体を死滅させる事を意味する。無数に蠢く命を消滅させるその責任
は、如何に宇宙全体の秩序を掲げても、重い。だから、僅かでも躊躇う理由があるならば、どんなに
くだらない理由でも理由になった。たった一人の少女の約束如きが理由になった。
 けれど、その少女との約束もここで終わりだ。期待というものは、総じてそれを裏切るものだ。少
女との約束は、期待と呼べるほどのものではなかったけれど、それでも、何かと理屈をつけたがるが
人道に凝り固まったお偉方を説き伏せるには十分だったし、男が己の責任を先延ばしする言い訳にも
十分だった。
 だが、その少女は約束を破った。
 自分達よりも遥かに脆い身体をしていたから病で斃れたのかもしれないし、自分の事などただの夢
だと思って忘れてしまったのかもしれない。
 しかし彼女が約束を破った事で、男の躊躇は、これ以上の先延ばしの理由を思いつく事ができない
状況に陥った。縋るものがないまま、男は宇宙全体の為に己に課せられた仕事をしなくてはならない。
 その仕事を愉快に思っていない自分に気がついて、そんなにも、と彼は苦笑する。
 そんなにも星一つ破壊する事が怖いのか、と。
 それとも、あの星に執着しているのか、と。
 否。
 記憶の中にある、ややきつめの眼差しが、男の考えを打ち消した。
 躊躇の理由は確かに恐怖と執着。けれど、それはこの星に犇く命を思っての事ではない。自分を置
いて何処かに行ってしまった、あの教官を思うが故だ。
 執着は、何の前触れもなく機関に背を向け、自分の前から姿を消してこの星に沈んだ彼の背中に。
 恐怖は、今もこの星の何処かに息づく彼の鼓動を、握り潰そうとしている自分の手に。
 女々しい、とはこういう事なのかもしれない、と思った。なんの力もない少女の言葉に縋って、制
裁を先延ばしにして地球を長らえさせるほど、自分は彼の背中を青い星の中に探している。
「何処に行ったんだよ。」
 空に描いた、己とそう変わらない年齢を刻む顔の中に、確かに灯る星霜を見つめ、男は呻いた。




 点滅していた赤い警報器は何処かが狂ってしまったのか、いつの間にか連続発光を続けている。と
りあえず赤色で落ち着いた部屋の中は、いつかテレビで見た水族館の深海コーナーのような色合いを
していた。
 赤と黒の闇に沈んでいる智羽は、同じように闇に沈んでいる男を見上げる。不気味な色合いの中に
あって、それでも美しさを変えず、むしろ先程までよりも鮮やかに紅玉のような瞳を煌かせている男
は、もしかしたら原型はアンコウのような深海魚の姿をしているのかもしれない。
「…………なんか、変な事考えてるやろ。」
 意外と勘の良い男は、視線だけを動かして智羽を見つめた。ピジョン・ブラッドよりも尚上等の色
をした瞳から眼を逸らさず、智羽は彫像のように動かずにいる自分達の今後の行動を尋ねた。
「これから、どうするつもりですか?」
 暗に勝算はあるのかと尋ねたつもりだったのだが、男にはそれが通じたのか。彼はふっと視線を逸
らすと、閉ざされた部屋の扉を見た。金属のそれは、今でこそ固く閉じているが、放っておけばいず
れ、悍しい名を連ねた者達に貪られるに違いない。
「さぁて………どうしよか。」
 つまり何も考えてないという事か。
 薄っすらと想像はしていたが、それが現実のものとなると落胆する。
「この宇宙船に、貴方の味方はいないんですか?」
 すると、男は何の臆面もなく智羽を指差した。人の郷里を破壊するつもりの癖に、なんとずうずう
しい事か。一瞬、この男を囮にして逃げだしてやろうかと思ったが、よくよく考えれば宇宙空間にぽ
つりと浮かんだこの場所に逃げ場などないのだ。だから、いくら囮を使って逃げても無意味な事この
上ない。
 ――――いや、無意味でもいいからこの男を囮にしてやりたい。
 無表情の下で智羽が物騒な事を考えていると、男は独り言のように呟いた。
「半分仕事で、後半分はプライベートで来たから、誰も連れてきてへんのや。」
「ああ、公私混同してたわけですか。」
「ちゃうわ………いや、そうなるんか。」
 否定しておいて、男はすぐにその否定を打ち消す。もしかして、地球の破壊工作にも私情が絡んで
いるのではあるまいな。 
 拭う事のできない疑惑の眼差しを向けると、男は完全に顔を背けた。なんだ、その明らかにやまし
い事があります的な態度は。
 不自然なくらい智羽から顔を背けている男の姿は、いっそ哀れなくらいだ。恐らく、少女一人にこ
こまで突っ込まれるとは思ってもみなかったのだろう。なんの防御もしていなかった心を動揺させる
には、智羽の視線は十分すぎたらしい。
 この男を苛めても意味がないと思い、智羽は大袈裟な溜息を吐いて男から眼を放した。少女の視線
によって誘発される、いたたまれない気持から解放された男は、
「お前、ほんまに地球人か。」
 全く反省の気配を見せていなかった。
 言うに事欠いて何を、と思う智羽を、今度は思いっきり見詰めて――なんて変わり身だ――男は己
に向けられていた疑惑の視線を智羽に跳ね返す。
「地球人にしてはこの状況に、慣れすぎと違いますかー?」
 少しふざけた口調で赤い瞳を近づけてくる男に、智羽は軽く殺意を覚えた。もう囮にするとか迂遠
な方法をとる必要はない。この手で張り倒してやりたい。
 しかし、疑惑には敏感な男は、何故か智羽の殺意には気づかない。鼻先と鼻先が触れ合うほど智羽
に顔を近づけ――無事に地球に帰還したら小父さんに言いつけてやろう、きっと波動砲でこの男を叩
きのめしてくれる――お前は誰なのだと問うてくる。
「間違いなく私は地球人で尚且つ日本人ですけど。」
 本籍地が記載された住民票など今は持っていないから証明は出来ないけれど。
 そう言ってみても、男は近づけた顔を引きはがそうともしない。赤い瞳が智羽を閉じ込めて無表情
に光っている。
「外帝王が…………。」
 男の手が滑らかに動いて、中学校の制服に包まれている智羽の腕を掴む。痛くはないが、振り払お
うという仕草すらできないほど強い力だ。
「外帝王が、なんで傀儡たる万物の支配者って呼ばれてるか、知っとる?」
「さっき知ったばかりの言葉の背景を説明できるとでも?」
 男のふざけているとしか思えない質問に、智羽は呆れたような声を上げた。すると男は口元を歪め
て独特の笑みを浮かべる。
「外帝王はあらゆる物体に寄生し、それを構成する原子の一片、果ては意識さえ支配する。故に奴ら
の前では万物が傀儡となる。」
「だから私がそれに寄生されている可能性もある、と?」
「どうやろ?」
 歪んだ唇と赤い眼が、これでは分からないと首を傾げた。分からないのは智羽が傀儡であるかどう
かだろう。しかし、『これでは』の『これ』は一体何なのか。
 その答えはすぐに分かった。
 智羽を正しく認識するために、男はその本性を垣間見せた。彼の前髪が掛かった額の真中に、傷口
のような線が縦に一本入る。それは特に出し惜しみするふうでもなく、あっさりと開かれた。そこか
ら覗くのは、赤く明滅する光――――というか、赤い瞳孔だ。
 地球人と似たような外見を持つ宇宙人の額の真ん中で見開かれた第三の眼は、無遠慮に智羽を眺め
まわしている。つまり第三の目で、智羽が外帝王の傀儡か否かを見破ろうとしているわけだ。
 これでは分からない、というのは第三の眼がないと分からない、という事か。
 じっくりと智羽を見つめている、人間にはない眼が僅かに細められる。とういう理屈でその眼が外
帝王とやらを見抜くのかは知らないが、いずれにせよ、そろそろ答えを出さねば危険だ。
「…………もう少し、急いでもらえませんか?」
「もうちょっと待って。」
 訝しげに顰められた男の眉の上では、赤い瞳が同じく不可解そうな光を灯している。
 しかし、そんな悠長な事を言っている場合ではないだろう。
 智羽はこの部屋唯一の扉を、男の身体を透かして見つめる。その扉の向こうで、確かに無数の者達
が蠢いているのだ。その事を、智羽の血に焼き付けられた徴が訴えている。そのまま身体から飛び出
して、連中を八つ裂きにしそうなくらいに。
 そんな智羽の血流の叫び声を聞いたのだろうか。訝しげだった男の眼に、驚愕とも戸惑いとも取れ
る幽かな光が浮かんだ。
 だが智羽には、男の眼差しの意味を言及するだけの時間があるとは思えなかった。扉の向こう側で
蠢く連中の歩数は、それほど残ってはいない。むしろ、一気に飛び越えられるほどだろう。
「―――――急げ!」
 智羽が男の肩に手を押し当て叫ぶのと、男が智羽の腰に手を回し床を蹴るのとは同時だった。直後、
宙に浮いた二人の下で、白い床が大きく爆ぜる。粉砕して飛び散った金属片の隙間で、ちらちらと火
花が躍った。その中に顔を埋めているのは、昆虫のような外殻と節を持った巨体だ。そしてそれを押
しつぶすように、いつの間にか引き裂かれていた扉から、更なる巨体達が流れ込んでくる。
 彼らは一様に機械のような角ばった動きをして、宙に跳ねた二つの生物を視界に捉えると、それに
向けて蟷螂のような腕を振り上げた。
 だが、彼らのその大鎌が振り上げられる前に、赤い三つ目の宇宙人は地球人を抱えて、壁の一部
目掛けてその身を踊らせている。
 傍目には何の変哲もない壁だったが、それは男の身体が激突する瞬間に大きく口を開いた。もしも
注意深く二人を――赤眼の男を見ていたなら、壁に穴が現れる直前に、男の第三の眼が何かの光を反
射した事に気づいただろう。そしてその光が網膜センサである事に思い至ったに違いない。
 男の網膜に反応したセンサによって開かれた扉は、その中に男と智羽を吸い込んだ。その後を追お
うと幾つもの大鎌が翻ったが、その動きよりも遥かに早く、二人を飲み込んだ穴はその口を音もなく
閉ざした。