ハインケルが辿り着いた先――教皇庁でさえその先を把握していないという行き止まりは、正確に
言えば行き止まりなどではなく、巨大な門であった。その門は壁全体が持ち上がるようなものであっ
た為、教皇庁の連中が行き止まりと認識しても仕方がない。ハインケルがそれを門であると分かった
のは、ハインケルがかつてこれと同じものを見たことがあるからだ。
 トキオ・ドームの奥深く。憂いの棺と呼ばれるあの場所も、壁全体を門として来る者を拒んでいた。
その奥に進む事が出来るのは、管理を任されているごく一部の未登録住人――ガーディアンと、白い
人形だけ。
 つまり、これより先は旧時代の遺物が納められた場所である、という事だ。
 しかし、今回訪れたこの場所は、トキオ・ドームとは大きく異なる点があった。

「破壊されています。」

 抑揚の欠片もない音声で、ハニエルが目の前に広がる光景を端的に表した。
 ハインケルは、ハニエルの言葉に対して頷かなかったが、それは否定の意味を示したからではない。
単純に、頷く必要がなかったからだ。旧時代の遺物を納める為の扉は、ぽっかりと巨大な大穴を開け
ている。わざわざ誰が口にしなくとも、破壊されている事は一目瞭然だった。
 明らかに力任せに破ったのであろう穴の縁からは、時折、ぽろぽろと瓦礫が零れ落ち、引き千切ら
れた配線がちりちりと火花を垂らしていた。

「……いつからだ。」

 一体、いつ、この大穴は開けられたのだ。
 少なくとも、今、ではない。これだけの穴を、今の一瞬で音もなく開ける事は不可能だ。
 憂いの棺の扉は、あれは核爆発にさえ耐えられるだけの強度を誇っていた。むろん、この遺跡の扉
もそうであるとは限らない。だが、一瞬見えた大穴の向こう側――光が遠くに見えるほどの分厚さで
あることを考えれば、相応の強度を持っていることは想像に難くない。

「先日、教皇庁職員が此処を調べた時は、このような穴がある旨の報告はありませんでした。」
「つまり、それ以降に開けられた、という事か。」

 だが、誰が、何の目的で。
 遺跡荒らしだのといったチンピラの類ではないだろう。生半可なテロ組織でもない。遺跡の中の物
に惹かれたのだとしても、前者は此処まで辿り着けないだろうし、後者ならば開かない扉に時間をか
けて穴を掘るよりももっと効率的に物を得られる場所を攻めるだろう。
 大穴を空けるなんて事をしてでも、この中にある遺物を必要としている者。そしてこの中にある遺
物が何であるのかを知っている者。

「貴方がたを襲撃した者が、逃走経路として使用するために穴を開けたのでは?」

 ハニエルの言葉に、それはない、とハインケルは呟く。
 逃走経路として使用するのならば別にこの壁である必要はない。もっと穴を開けやすい壁であって
も良い。それに、この遺跡が憂いの棺と同じ構造であるならば、この先に出口はないはずだ。シェル
ターとして機能していた遺跡には出入り口は一つしかなかった。むろん、先程も述べたように、憂い
の棺と同じ構造ではない可能性もあるが。
 ハインケルが思考の端に閃いたのは、やはり、あの白い人形の事だった。
 彼ならば、この先の遺跡に何があるのか知っているような気がする。そしてこれだけの大穴を開け
る事もできるだろう。八年前にフィレンツェ・ドームを襲撃した彼には、この遺跡の中にある何かを
必要とする――或いは無力化する――理由があるのかもしれない。
 いや、とすぐにハインケルは思い直した。
 彼には、こんな大穴を開ける理由がない。仮に、遺跡の中にある遺物を必要としていたとしても、
彼には扉を破壊する必要などないのだ。ハインケルは知っている。この世にある大抵の扉は、彼の前
に跪くことを。彼はそれが出来る謎の言葉の配列を知っている。
 にも拘わらず、このような巨大な穴を開けるなんて事をするだろうか。
 いや、する必要はない。

「この大穴を開けたのが何者であるか、それは調べる必要がある。だが、それよりも明白なのは、襲
撃者がこの大穴を潜って逃げた、という事だ。」

 襲撃者と穴を開けた者が同一存在であるのか、或いは仲間であるのか。

「それは、襲撃者を捕えてから問い質せば良いだけの事だ。」

 ここでぐずぐずと考えているだけ、襲撃者との距離は広がる。そして考えたところで答えは出ない。
ならば、するべき事は一つだけだ。

「襲撃者を追う。」
「承知しました。私が先行しましょうか?」

 ハニエルの申し出に、ハインケルは軽く頷いた。この先、何があるかは分からない。ならば、ハニ
エルに先行させたほうが良いだろう。ハニエルが罠を仕掛けるという可能性もあるが、その場合は切
り捨てれば良い。
 ハニエルの性能は、決して低くはない。だが、ハインケルに勝るほどではない。いざとなれば、ハ
インケルにはハニエルを罠ごと切り刻む事が出来る。その上、ハインケルはこの機械人形を欠片たり
とも信用していないのだ。ハニエルがハインケルを罠に嵌めるように動いていたのだとしても、それ
は裏切りではなく、ただただ想定内の出来事だ。
 ただ、気になる事は。

 ――貴方を、一連の事件と無関係な場所へ連れて行きはしない。

 つい先程に垂れ流された機械音声。それはハニエルから発信されたものだが、この機械人形が発信
するには、湿っていたような気がする。
 あくまでもハインケルがそう感じただけであって、他の者が聞けば代わり映えのしない音声であっ
たかもしれないが。
 だが、それこそ考えても仕方のないことだ。
 先行して穴を潜るハニエルの端正な背中を追い、ハインケルも暗く短い穴の中を進む。壁や扉と言
うには長い距離を歩き、遠くにあった光が手に届く。その光の中に全身を置いた瞬間、ハインケルは、
ああ、と呻いた。
 薄々、いや、ほとんどそうであると予想していたではないか。
 煌々と天井に煌めく丸い球体。その球体を取り囲む色は青。青の中に渦巻く白。その下に広がるの
は、ドームと同じ――いや、それ以上に緑生い茂る街並み。
 トキオ・ドームの憂いの棺もそうだった。だから、この遺跡もそうだと予想は出来ていた。憂いの
棺と違うところと言えば、憂いの棺よりも更に木々が多く、道もアスファルトで踏み固められていな
いというところだろうか。
 そう、この場所は憂いの棺よりも、より人間の住みやすさから離れた風景を形作っている。

「プレートがあります。」

 先にこの光景を見た人形が、大穴の開いた扉の横の壁に掛けられた金属プレートを見上げて言った。

「アウァールム・サルコファグスと書いてあります。ラテン語ですね。」

 太陽を模した光に照り返されて、ハインケルには薄い線しか見えない。だが、人形はそこに書かれ
た文字をはっきりと読み取ったようだ。

「訳せば、強欲の棺、となるのではないでしょうか。」

 やはり、とハインケルは思う。
 ここもまた、過去の遺物が納められた棺なのだ、と。