ハインケルは、眼の前で崩れ落ちたこれが何であるのか、結論を出した。
 この世界でIDを与えられず、過去の遺跡の中に住み着き、生きる人々。しかしそれは真実ではな
く、本当は人間などではなく、実は遥か昔――五百年前の大洪水の際に、先人達が何かを守るために、
遺跡の中に配置した機械人形だった。
 ハインケルには、過去の人々が一体何を何から守ろうとしていたのか、正確には分からない。
 いや、あの日――トキオ・ドームで核の脅威に曝されたあの日、確かにその一端を垣間見た。遺構
の中で、遺失技術を手に入れようと暗躍する輩が、じわじわと忍び込んでいた。そういった輩から、
遺失技術を守るために、未登録住人と言う名の、浮浪者のような姿形をしたガーディアンを配置した
のだ。
 トキオ・ドームの地下にあった過去の遺物を閉じ込めた棺と同じようなものが、この水路にも存在
しているのか。
 壊れた未登録住人を見下ろしながら、ハインケルは、それならば、と思う。
 この未登録住人を――いや、彼は、ガーディアンと呼んでいた――破壊したのは。

「この破壊痕跡は、国家憲兵を含む、軍の武器によるものではありません。」

 ハインケルの心を読んだかのように、ハニエル302号が無機質に告げた。

「軍に支給されている武器では、ここまで精密に、機械人形の中枢を破壊する事は出来ません。」
「……サイボーグや、機械人形ならどうかな。」

 ハニエルの否定に、ハインケルはそれを否定するような問いを返す。だが、それに対してもハニエ
ルは再三否定する。

「これは、銃による破壊活動跡ではありません。」

 す、とハニエルが滑らかに手を伸ばし、動かない、己と同じ存在である機械の首元を露わにする。
そこには細い何かで鋭く突かれた痕跡があった。喉元から項までを貫通しているその傷は、おそらく
このガーディアンの中枢へのエネルギー経路を破壊し、それ故にガーディアンは機体を維持できなく
なったのだろう。

「軍は――我々は、このような武器は与えられていません。ドヌーヴォ達も、このような傷を付ける
事の出来る武器は持っていませんでした。」

 それには、ハインケルも気が付いていた。
 ガーディアンを破壊しただけではなく、周りで死臭を放つ憲兵達も同様に、銃によっては殺されて
いないが、それはガーディアンの血に濡れた手が何によって殺されたのかを語っている。憲兵達はガ
ーディアンに敵と見做され、殺されたのだ。
 しかし、それでは、ガーディアンは。
 何か、鋭いものによる一突き。
 ガーディアンの破壊は、周りで転がる憲兵達の死と同じ形をしている。憲兵達も綺麗に鋭く貫かれ
て、死亡している。
 ガーディアンを破壊したのは、ガーディアンが持つ武器と同じようなものだ、
 そういう武器を、教皇庁が隠していない、とは言い切れない。ハニエルの、持っていない、という
言葉を完全には信じられない。しかしそれよりも、ガーディアンの持つ武器に似たものとなると、ガ
ーディアンの変形した手を見る限り、あまり遠距離には対応していないものだろう。では、近距離攻
撃によりガーディアンと同じ方法でガーディアンを破壊した存在は、一体何者か。
 近距離攻撃で、ガーディアンを破壊する。ハインケルならば、出来なくはない。だが、ガーディア
ンの強さは、ハインケルは間近で見て知っている。ガーディアンの両腕を切り伏せた後、首を貫けば、
出来る。
 だが、眼の前のガーディアンは、首筋への一突き。だたそれだけが唯一の傷跡だ。
 ガーディアンは機械だ。油断など、するはずもない。相手を敵と認識すれば、何らかの対応をする。
例え、ウイルスに感染していても、だ。
 このガーディアンは、憲兵を始末して既に臨戦態勢だった。にも拘わらず、ただの一撃で破壊され
ている。それが、指し示す事は何だ。ガーディアンを破壊した存在が、ガーディアンよりも遥かに優
れた動きをしていたのか。それとも、相手を敵ではないと破壊される直前まで認識していたのか。
 足音は既に過ぎ去り、後を追う事は出来ない。
 だが、ガーディアンである未登録住人はこの破壊された一機だけではないはずだ。それを探せば、
何か分かるかもしれない。ドヌーヴォを殺し憲兵を殺し、そしてガーディアンを破壊した存在の事も、
そして水路に封じ込められた、何かについても。
 ハインケルは立ち上がり、オイルの中に倒れ伏したガーディアンを一瞥すると、足音が通り過ぎた
であろう、もはや水路ではなく通路と化した石畳を踏み締める。その後を、ハニエルが無言で付き従
う。
 ハニエルの硬質な足音が、背中に迫るのを聞きながら、この機械人形はこの場で置き去りにすべき
ではないかという思いが込み上げてきた。それは、敵地で活動する派遣員として持つべき、当然の危
機感だった。
 この人形は、教皇庁の人形だ。
 おそらく、ハインケルの行動を逐一監視している。
 そもそも、この人形がその気になれば――その表現は人形に対してするべきではないが――教皇庁
の軍部にアクセスし、救助を呼ぶ事も可能なはずだ。まさか、アクセス権限がないなんて事はないだ
ろうし、機密の多い軍部にアクセスできないとしても、救助を呼ぶならば別に何処だって良い。
 それをしないのは、ハインケルを泳がせて、何らかの情報を得ようとしているのではないか。例え
ば、ハインケルが襤褸を出し、それを盾に世界連邦を追い出す口実を。
 そう考えると、国家憲兵を叩き切った事や、ドヌーヴォに脅しめいた事をしたのは軽率だっただろ
う。あの時は、他に手がなかった事を考慮しても、だ。
 己の行動は、既に教皇庁に流されてしまっているだろうか。そして、教皇庁にいる何者かに知られ
てしまっているだろうか。それが、博士達の動きの妨げになっていなければいいが。
 思ってから、否、と打ち消す。
 仮に、もしも教皇庁がハインケルの素行不良を知り得て、それをネタに博士を強請ったところで、
どうにもならない。博士がハインケルを切り捨てて終わりだハインケルが、教皇庁がどれだけ声を上
げようとも、どう足掻こうとも、捨て駒でしかない。
 それを再認識すると、奇妙なことを気が楽になった。捨て駒は捨て駒らしく、任務の範囲内で好き
に動き回ればいい。何かあった時は、この命が潰えるだけだ。

「どうしました、ハインケル・ゲーテ?先に進まないのですか?それとも、何処か怪我を?」

 一歩進んだっきり、立ち止まってしまったハインケルに向けて、ハニエルは疑問を入力する。それ
に対するハインケルの答えは、眼にも止まらぬ速さで鯉口を切り、白刃を抜き放つやその切っ先をハ
ニエルの首筋に突き付けるという事だった。
 あと、一歩でハインケルの牙は、機械人形の喉元を貫くことが出来る。
 そう、あの壊れた未登録住人がそうされたように。
 しかし、その時にはハインケルもまた、腹腔に銃弾を受けているだろう。ハニエルの手には、厳め
しい形をした銃が握られ、銃口をハインケルの腹に押し付けている。やはり、反撃を防ぐ事なく、そ
の首だけを狙う事は難しい。

「どういう事ですか、ハインケル・ゲーテ。回答の入力を。回答の内容によっては、私は貴方を処分
します。」

 機械が、人間を処分するのか。
 ハニエルの言葉に対して、ハインケルは失笑し、けれども人形の白い首筋から刃を引く事はしない。

「質問に答えるのはお前のほうだ、ハニエル302号機。そして俺も、回答の内容次第によってはお
前を破壊する。」

 ハインケルは捨て駒だ。
 もう一度、心の中でそう頷く。
 だから、己の命以外で責任を取る必要はない。何か仕出かしても、切り捨てられるだけ。
 だから、質問の果てに、この人形を斬って捨てる事に、何ら躊躇いを持つ必要はない。ハインケル
が教皇庁の人形を破壊した事が、この人形を通じて教皇庁に知られたとしても、それで連邦に教皇庁
がねじ込んだとしても、ハインケルは責任を取って処刑されればいいだけの事。
 己の命を天秤に懸けてでも――懸けるほどの命でもないが――ハインケルは、この先に広がってい
るはずの、過去の遺物に関わるであろう光景を、教皇庁の連中に知られたくはない。仮に、教皇庁の
連中が、既にこの先に足を踏み入れていたとしても、だ。ハインケルが先導するかのように、教皇庁
の連中の『眼』に遺構を触れさせたくはなかった。
 何故なのか、と問われれば、語る事はハインケルにも困難だ。ただ、この世にある数ある遺構には、
何らかの形で『彼』が関わっているような気がするからだ。

「質問の入力を、ハインケル。」

 ハニエルもまた、銃をハインケルの腹腔から離さないまま、ハインケルに質問を促す。機械人形の
無機質な声に、負けぬほど平坦な声で、ハインケルは問い質した。端的に。

「お前は、何故、教皇庁にアクセスして、救助を求めないんだ?」

 教皇庁の管轄である聖騎士機械兵団に所属している機械兵ならば、それをする事は容易いはず。し
かし、それをしないのは。既に、アクセスして、ハインケルの行動を漏らさず情報として流している
所為か。
ならば、ハインケルの行動を観察し、その情報を流している意図は。ハインケルが――連邦が、教皇
庁に対して如何に不躾で、不利益な存在であるかを証明し、教皇庁に世界人類共同連邦という存在は
無用であると知らしめる為か。
 ハインケルに外交は分からない。
 だが、相手の無礼を鬼の首として投げつけ、有利に物事を進めようという意志は何処にでも働くも
のだ。
 その端末が、この人形だというのなら。
 ハインケルは、今にもハニエルの首を貫けるほどに、刀を握る手に力を込める。
 一方の、首を刎ねられそうな人形は、相変わらずの澄まし顔だ。その端正な顔に焦りや戸惑いとい
った歪みは微塵もない。流れ出る機械音声も。

「私は、教皇庁とアクセスしていません。」

 クリアな機械音声で紡がれた回答は、到底信用できるものではなかった。そもそも、何故アクセス
しないのか。

「私は確かに、教皇庁にアクセスする権限を持っています。既にアクセスを試みています。しかし、
今はアクセスできないのです。」
「何故だ?」
「この付近一帯に、通信障害が発生しています。原因は不明ですが、教皇庁だけではなく、何処にも
アクセスできません。」

 表情のないハニエルの顔からは、真実も虚実も読み取れなかった。故に、ハインケルは刀を降ろさ
ず、ハニエルもハインケルの腹腔に銃口を突き付けたままだ。