「さよう……教皇聖下をお守りする為に連邦派遣員は集いましたが、その途中、何者かの襲撃を受け
一人が行方不明になっております。また、心苦しい事に、おそらく猊下もご存知かと思われます機械
人形が一体、派遣員と共に行方不明です。」

 簡単な説明を聞いた枢機卿は、ふっと溜め息を吐いた。安堵でも嘆息でもない、ただひたすら感情
のない吐息であった。

「なるほど。では、貴方がたの護衛のうち、誰か一人欠けたことによる任務上での不都合な点はある
のか?」

 いなくなったハインケルに対する心配も、仲間を一人失った派遣員達に対する労わりもない口調。
それは、政敵から『氷の貴公子』と仇名されるに相応しい響きを湛えていた。派遣員の安否など、ま
るで歯牙にもかけていない。問題としているのは、教皇の護衛としての働きに支障が生じるか否かで
ある。
 微かに頬を紅潮させたエスメラルダを、ローレンツォ卿には気づかれぬように制し、博士は恭しく
答えた。

「御心配には及びません、猊下。誰か一人欠けたとしても、任務に支障など来たさぬようにするのも
我らの務め。猊下、並びに教皇聖下の御心を苦しくさせることは一切ございません。」

 慇懃な、けれども卑屈さのない博士の声音に、ローレンツォ卿は感情のない顔を、やはりひくりと
も動かさない。

「では、特に問題はないのだな?」
「はい。」
「ならば、よろしい。」

 博士の肯定に、ローレンツォ卿はようやく小さく頷いた。その間もまるで表情を変えない。背後に
従えた人形と、そう大きく差のない若い枢機卿の表情に、博士は静かに問うた。

「ですが、わざわざ猊下がこのような場末のホテルに、我等如きに会う為に御足労されたというのは
如何なる理由があってのことでしょうか?」

 失礼にならぬ程度にまじまじと見つめる博士の眼に、ローレンツォ卿は背筋を伸ばしてその視線な
ど歯牙にもかけない。

「このホテルは確かに数十年前に再建されたもので歴史は浅いが、しかし元のホテルは百年以上の歴
史のあるものだった。我ら枢機卿も使用している故に、決して場末などではない。」

 冗談かどうかも分からぬ返しに対し、博士が軽やかに返答しようと舌を動かす。だがそれが挟まる
余地も与えず、ローレンツォ卿は更に言い募った。

「また、貴方がたを招待したのはこの私だ。その私が客人を迎え入れることはごくごく普通のことだ
ろう。」

 客人。
 さらりと吐かれた言葉に、どれだけの意味を込めているのか、まだ測りかねる。だが、決して友好
的な色合いをしていないのは、如何に鈍感な人間でも分かった事だろう。現に、次にローレンツォ卿
が口にしたのは、権力者特有の鷹揚でしかし冷淡な声音だった。当然のように派遣員達に要請という
名の命令を下す。

「しかし、私が現在滞在している屋敷からは少しばかり遠い。従って、話し合いをするには少々不便
がある。そこで、今後の事も考えて、我が屋敷に招待させていただきたい。」

 その申し出は、果たして打ち合わせに不便だという理由を額面通りに受け取って良いものなのか。
このホテルに教皇暗殺を窺う者達や権力争いを企む連中から盗聴の恐れがあるからではないのか、そ
れとも派遣員達を己の庭で首輪を嵌めて管理しておきたいから発せられたのではないのか。
 いずれにせよ、アウェーである派遣員達に否応を決める権利はないようだ。
 だが、エスメラルダが意を決したように、冷たいローレンツォ卿の顔に尋ねた。

「あの………。」

 エスメラルダにちらりと向けた眼差しは氷の青であり、そこに灯る光は部屋に入ってきた虫を眺め
るようなものだった。それに臆することなくエスメラルダは続ける。

「ハインケル君……いえ、行方不明となった派遣員の捜索は………。」
「事故現場には、私の直属の捜査官を派遣した。何らかの情報が入れば、必ずお伝えしよう。貴方が
たには教皇の護衛だけに専念して頂きたい。」
「…………。」

 酷く丁寧な物言いだったが、ローレンツォ卿のそれは、ハインケルの事など放っておいて教皇を守
れ、と言っているに等しかった。仲間を心配する派遣員に対して、あまりにも残酷な言い様であった
が、しかしエスメラルダは、それ以上は何も言わなかった。他の三人も、口を開こうとはしない。
 しばらく、固い沈黙が落ちた。
 その沈黙を悪い意味に捕えたのか、それとも連邦から派遣された護衛官の心境などどうでも良いの
か、先に沈黙を打ち破ったのはローレンツォ卿だった。

「先に、貴方がたの案内役として向かわせた聖騎士機械兵も、行方不明だと聞いているが。」

 教皇庁の備品である機械人形を失った事について言及するローレンツォ卿の口調には、非難する響
きはなかったが、しかし話の内容は非難していると感じても仕方のないものだった。連邦派遣員に非
はないが、念のため、博士が謝罪と報告の間のような台詞を舌に乗せる。

「ええ。先程話しました行方不明となった派遣員――ハインケル・ゲーテは、陥没した地面の大穴に
呑み込まれたのですが、迎えに来て頂いた聖騎士機械兵はこれを助ける為に、自ら車を降りたのです。
その後爆発に巻き込まれ、おそらくハインケル・ゲーテと同じく、地下に。」

 そうか、とローレンツォ卿は頷き、改めて博士に視線を向けた。瞬間、その瞳には凍てついたよう
な、何とも形容しがたい光が宿っているように見えた。が、まじまじと見つめる前に、それはすぐに
消えてしまったので確かではない。現に、次にローレンツォ卿の口から吐き出された言葉は、先程か
ら吐き出されていたどの声音よりも、穏やかであった。

「ならば、その護衛官の安全は、保障されている。」
「は?」

 間抜けな声を上げたのは博士ではなく、脇で聞いていたエスメラルダとミヤビだ。博士は眉間に気
づかれない程度の皺を寄せているだけで、みっともない声など上げないし、ジュゼッペは瞳に面白が
るふうな色を添えて今にも口笛でも吹き出しそうな表情を浮かべている。
 派遣員の多様な様子など歯牙にもかけず、ローレンツォ卿は穏やかな声音のまま、続ける。
 
「貴方がたのもとに向かわせた聖騎士機械兵は、我ら教皇庁が保有する機械兵の中でも、最も高い性
能を誇るものの一つだ。この、」

 彼は、自分の背後に控えている機械人形を振り返る。ここへやって来てから一言も話さず、微動だ
にもしない、男とも女ともつかぬ人影は、やはり機械人形であったのだ。それを、自慢の宝石でも見
せびらかすように、ローレンツォ卿は語る。

「ハニエルと同型機であるあの機械兵は、聖騎士機械兵の第七兵団の兵長を担う存在でもある。その
性能は確かなもので、あらゆる有事の際に対応できる。だから、行方不明の護衛官については、その
身の安全が保障されているようなものだ。何も心配する必要はない。」

 機械兵に絶対の信頼を置いた枢機卿の言葉に、しかし誰もが微かな不安を覚えたのは仕方のない話
であった。何せ、ローレンツォ卿が先程から語る聖騎士機械兵とやらは、ローレンツォ卿の直轄の兵
士ではないのだ。
 ローレンツォ卿がその長に立つのは国務聖省。一方で聖騎士機械兵が属するのは教理聖省だ。ロー
レンツォ卿が直接命令に下せる立場にはない。むろん、教理聖省がローレンツォ卿に協力する立場を
取っているのなら話は分かるのだが、教理聖省と言えば教皇庁の中でも保守派中の保守派。若き枢機
卿に対して、いとも容易く協力を申し出るようには思えない。
 それに、と博士はローレンツォ卿の顔を窺う。
 教理聖省の長と言えば、ローレンツォ卿の叔父アガッツィ卿だ。ローレンツォ卿とアガッツィ卿が
政敵であることは、誰もが知っている事実。
 何せ、ローレンツォ卿とアガッツィ卿は、先のコンクラーベにて教皇の座を激しく争った間柄なの
だ。
 かつては――五百年前、世界が海に沈む前までは、実際はどうであったかは知らぬが、教皇選出の
場であるコンクラーベは厳正たるものであったと言われている。少なくとも、金と血統で、地位が選
ばれるなどということはなかった、と。
 しかしそれら厳正さは、神の威光の下にあったはずの教皇庁でさえもを飲み込んだ大洪水と共に、
海底深くに沈み、解けてしまったらしい。それとも、既に厳正さが失われていたからこそ、ノアの洪
水のように、神の逆鱗に触れて沈んだのか。幸いにして、人々は箱舟は作ることはできなかったが、
海底――かつての陸地に小さな楽園、即ちドームを作ることはできたが。
 だが、ノアの箱舟よりも大勢は助かったが、しかし零れ落ちたものは少なくない。その最たるもの
が戸籍であり、故に人は血統を重視する。
 それは、教皇庁とて同じこと。本来、コンクラーベは血統などには左右されず、個人の聖職者とし
ての行いに寄る。
 だが、海の底に沈んだ白亜の城塞は、聖職者としての行いはおろか、根回しの為の金よりも、その
血統が物を言う。戸籍が失われ、浅い歴史しか家系に刻めぬ者は、決して高い地位を得る事は出来な
い。職に就けぬということはないが、一番真っ先に切り捨てられる。
 これは、教皇庁だけの話ではない。全世界での話だ。
 その良い例が、ハインケルだ。
 孤児として施設で育った彼は、戸籍は与えられても、その浅さから即座に切り捨てられる駒として
生きることを余儀なくされている。他の派遣員――ミヤビやエスメラルダは、まだ歴史の浅いほうで
あるが、貴族としての地位を持つ博士やジュゼッペなどは、誰も捨て駒になどとは言わないだろう。
彼らの血脈が、そうさせるのだ。
 高すぎる血脈への意識は、当然のことながら血による世代交代を推し進める。コンクラーベにおい
ても、次期教皇は、先代教皇の血縁者が務めるというのが慣例になっている。
 ただ、庶子であるローレンツォ卿は、血筋ではアガッツィ卿には勝てぬと刻み込まれている。聖職
者が子を成して――まして伴侶以外の者との子を成しても良いのか、と言う者もいるかもしれない。
だが、高い地位にある聖職者が妻を、愛人を囲うことは、今は当然のこととして黙認されている。た
だ、庶子は当然のことながら、実子よりも立場は低い。しかしローレンツォ卿は、庶子であるという
ハンデを、その才知で乗り越えた男だった。
 けれどもコンクラーベではその才知は意味をなさず、血のみが物を言う。故に、ローレンツォ卿が、
自分とは違い、母親も古き血筋を持っている弟、ヨハネスを現教皇にと担ぎ出したのは、周知の事実。
 土壇場で教皇の座を奪われたアガッツィ卿にとって、ローレンツォ卿は憎んでも憎み切れぬ存在だ
ろう。いや、現にアガッツィ卿が憎むべき甥を暗殺しようとあの手この手を使っているという噂が、
実しやかに囁かれているではないか。
 ローレンツォ卿の動かぬ右足は、とある自動車爆破事故によるものだが、ローレンツォ卿が乗る自
動車に爆薬を仕掛けた犯人は今も捕まっていないが、アガッツィ卿であろうと陰日向で噂されている。
 それほどに、教皇の座を挟んだ叔父と甥の仲は冷え込んでいるのだ。
 そのような政敵が有する機械兵の何を以て、それほどの信頼としているのか。
 だが、その疑問を口にするものは誰もいない。エスメラルダとミヤビは互いに顔を合わせて、博士
の顔を覗き込み、顔を覗き込まれた博士は誰にも気づかれないほど僅かに片眉を上げただけだった。
ジュゼッペに至っては口笛を吹き出しそうな表情のまま、動かない。
 何一つとして声が上がらない事を見て取ると、ローレンツォ卿は、では、と話を教皇の護衛へと切
り替える。

「貴方がたを案内する聖騎士機械兵は、また改めて準備しよう。それまでは、お気をつけるように。
それでは、教皇の護衛についてだが、二週間後にサン・ピエトロ大聖堂にて教皇自らがミサを行うこ
とは貴方がたも把握しているだろう。実は三日後、このミサのために教皇が大聖堂を視察される。貴
方がたには、この視察に付き従って貰い、ミサ当日の配置等を考慮、確認してほしい。」
「当然、その時の護衛も我々が行うわけですね?」

 博士の問いに、ローレンツォ卿は鷹揚に頷いた。彼の頭が動くと同時に、その豪奢な金髪が辺りの
光を弾き、まるで天使の輪のように光り輝く。

「護衛の人選については一任したいところだが、教皇の一番のお傍に付く方は、教皇自らが決められ
る。従って、貴方がたには我が屋敷に来て頂き、教皇にお会いして頂く。」

 招いているのだ、教皇を。
 冷静に考えれば、ローレンツォ卿はヨハネスの兄だ。兄が弟を家に招くことは、なんらおかしな話
ではない。だが、ローレンツォ卿がヨハネスを背後で操っている――ヨハネスは傀儡でしかないとい
う嘲笑を知っている以上、兄に逆らえず、委縮してしまった弟という、酷く霞んだ図柄が見えるだけ
である。
 では、と踵を返し、来た時と同じように機械兵士を引き連れて歩いていくローレンツォ卿の後姿は、
博士達が付いてこないということはないと、信じ切っているようだ。いや、信じているのではない。
それが当然であると、自明の理であると完全に思考の根底に横たわっているのだ。
 遠ざかっていく規則的な足音と、不規則で片方はやけに硬質な足音に、ゆるゆると派遣員達も歩き
出す。歩き出すと同時に、ジュゼッペがふっと息を吐いた。

「つまり、ハインケルのことは放っておけって事ですか。」

 ローレンツォ卿の口ぶりからは、当然のことではあるのだが、どう贔屓目に見ても教皇の護衛のこ
とだけが問題視されており、それに携わる人々が幾ら斃れようとも、それは必要経費で落とせる事項
でしかないようだった。

「まあ、それが正しいことなんだろうけどね。」

 呟いたミヤビの声は、幼い。しかし幼い声にはそぐわぬ、達観した響きがあった。その声に顔を強
張らせたエスメラルダに、ジュゼッペが首を竦める。

「まあ、お前も知ってるとは思うが、ローレンツォ卿は先代教皇の息子なわけだが、庶子ってことで
随分と苦労してきた。庶子っていう身分だから教皇にはなれねぇんだが、教皇の血を引いてるせいで、
命を狙われたりもしてる。」

 ジュゼッペが飄々とした声で、ローレンツォ卿の身の上を、端的に話す。元々イタリア貴族である
この男は、おそらく教皇庁のどろどろとした内面に、一番良く通じているだろう。何せ、下手をすれ
ばこの男も、教皇に立候補できるかもしれない立場だったのだ。
 本人がいち早く察して、世界連邦に逃げ込んだおかげで、暗殺の舞台からは早々と退場する事が出
来ているが。

「あんな右足になった事も、自動車事故って言われてるが、十中八九、暗殺事件だろうよ。まあ、あ
の暗殺事件はコンクラーベの後だったから、あの男の立場が邪魔でって言うよりも、報復の意味合い
のほうが強いかもしれねぇが。しかしそれにしたって、あの男を狙ってる輩は、別に一人や二人じゃ
ねぇ。俺らが想像してる以上に、あの男は死線を潜り抜けてるって事だ。」

 その為に、どれだけの犠牲を強いてきたかは押して図るべし、だ。

「……だからこそ、ハインケル君も平気で切り捨てられるってことね。」

 ジュゼッペに対するエスメラルダの呟きに、博士がゆっくりとだが、しかしはっきりと首を横に振
った。

「それはローレンツォ卿に限ったことではないよ。人間のほとんどが、他人よりも自分、或いは身近
にいる者のことを優先させようとする。どう足掻いても、人間は身内に甘く、他人に厳しくなるもの
さ。どう足掻いても、ね。」

 それに、と硬質な足音を追いかけながら、けれども自分達の声は聞こえぬであろう距離を保ちつつ、
博士は続ける。

「ローレンツォ卿は、ハインケルに会った事もない。見ず知らずの人間に情を傾けるなんてことは、
なかなかできないよ。」

 尤も、ハインケルに会っていたところで、ローレンツォ卿の中で何かが変わるとも思えないが。

「所詮、教皇庁の人間にとって、教皇が一番大事ってことさ。」

 ミヤビが肩を竦めて言った。

「大切だとかそういうんじゃなくて。いや、大切なんだろうけれども、それは義務感からさ。彼らに
は、教皇を守る責務がある。」
 教皇を切り捨てるためには、それなりの準備が必要だからね。
 ぽつりと呟かれたミヤビの言葉には、その奥底に果てしない毒が渦巻いている。
 教皇を切り捨てるためには、代わりの教皇が必要なのだ。ローレンツォ卿はその代わりを見つけら
れていないからヨハネスを守ろうとするのだろうし、アガッツィ卿は自分こそがその代わりとなると
思っているのかもしれない。そして教皇を暗殺しようとしている連中も、また、教皇に成り代わろう
としているのか。

「もしかしたら。」

 ふと、ジュゼッペが思いついたように言った。

「今回の教皇暗殺騒動は、ローレンツォ卿には予想外の事だったのかもしれねぇな。」

「どういう事よ、それ。」

 思わずきつい口調になりがちなエスメラルダに、まあまあどうどうと馬を宥めるような声をジュゼ
ッペは出す。

「いやあ、確かに教皇を狙った事件ってのは、ぼちぼちあるんだが……まあ、詳しい事は後で話すか
らよ。」

 ジュゼッペの眼はローレンツォ卿の背中を見ている。小声だから本人の耳には届いていないだろう
が、それでも本人の前で話すのは憚られるということだろうか。
 エスメラルダが不満げにジュゼッペを睨むと同時に、つ、とミヤビが博士を振り仰ぐ。ピンク色の
派手な髪が揺れ、それとは対照的な東洋の黒々とした眼が問いかける。

「それで、ハインケルのことはどうするんです?このまま、放っておくの?」
「それしかないね。」

 博士は湿っぽさなど微塵も感じられない声で、しかし嘆息するように言った。呆れと嘆かわしさを
入れ混ぜた口調で、

「今の状態で、ハインケルを捜すことは難しい。ローレンツォ卿の様子から見ても、それを許してく
れそうにない。ローレンツォ卿の不興を買うことは、避けたいからね。」
「では、ハインケル君を見捨てると?」

 仕方がないし、ある程度予想がついている言葉であったとはいえ、実際に博士の口から吐き出され
た台詞に、エスメラルダが強張りに輪をかけたような声を出した。太陽とフラメンコが似合う、褐色
の美女には似合わぬ、固い表情だった。
 褐色の美女のウェーブを描いた黒髪が、小刻みに震えるのを見て、博士は首を竦める。だが、決し
てハインケルを捜しに行こうとは口にしない。
 ハインケルを捜しに行くということは、即ち任務放棄に繋がるような状況になってしまったのだ。
 そのような状況に追いやった、前を行く松葉杖の枢機卿は、派遣員達を縛り付けているという感覚
など微塵もないのだろう。
 博士は枢機卿の緋色の法衣が翻るのを、眼を細めて見つめる。そしてその眼で、強張った表情を崩
さないエスメラルダへと視線を移す。しかし、決して甘い言葉を囁きはしない。ただ、子供を宥める
ような口調で、こう告げただけだった。

「安心したまえ。ハインケルだって子供じゃないんだ。自分でなんとかするさ。」