放射状に広がる部屋がある。
 天井にはたった一つの明かりが灯り、その明かり一つが放つとは思えないほどの光を、部屋一面に
供給している。その下―――ひっそりと静まり返った円卓が、真っ白な光に負けないほどの、白々と
した照り返しを放っていた。
 円卓には十三の椅子が用意されている。茶色の革張りの背凭れに、艶やかな飴色の肘掛が優美な曲
線を描いている。木にしても動物の皮にしても、それらの原料は保護され、このように加工品として
出回る数は厳密に制限されている。更にそれらを豪奢に仕立て上げたこれらの椅子は、一般庶民には
手が届くどころか、眼にする事さえ、まずないだろう。
 その、贅を凝らした椅子にはそれぞれ人が腰を落ち着けている。彼らは一様に、その椅子に座って
いる事に、たいした感慨を見せていないようだ。
 滑らかな背凭れの後ろに掘り込まれたオリーブの葉。それの意味を知らぬ者は此の世には一人とし
ていないだろう。それは、この世界に住む全ての人々を管理する組織―――世界人類共同連邦の証で
ある。
 そしてこの円卓を囲む事を許されているのは、連邦の十三の課、それぞれの長たる司令官のみであ
り、それぞれが確固たる権力を持ち、それを独断で行使する事が許されている。
 そのように、一人で一国の長ほどの権力を持つ彼らが、こうして他の課の意見を聴く為に顔を合わ
せる事など、まずない。裏を返せば、彼らが総出で声を上げねばならない重要事が発生したという事
である。

「今頃になって泣きついてきましたか、あの古ぼけた権力塗れの信者どもは。」

 七課の司令官が、その艶やかな黒髪を払って、手にしていた短い文書を嘲るように円卓の上に投げ
捨てた。ぱさり、と薄っぺらい音を立てて、卓上に落ちた文書はそのまま数センチほど、鏡のように
磨かれたその上を滑っていく。それはまるで、この書面が――或いはこれを書いた人物がその程度の
軽い価値しかないと言っているようにも見える。実際にそう思ったのか、更に辛らつな言葉が重ねら
れていく。

「自分達の警備の甘さによる醜聞を揉み消そうとして、揉み消すどころか一向に消える気配がなくて、
普段は、自分達は神の代弁者だから誰にも頭を下げませんって顔してるのに、最終的にはこういう時
だけお前達の役目だろうと押し付ける………。何年経っても変わりませんね、教皇庁というところは。」

 不敬罪にも値する発言をつらつらと並べ立てる男を、隣に座る五課の司令官が冷徹に窘めた。

「口を慎みなさい。確かに、このようになるまで放置していた責任は問わねばならないでしょうが、
それは我らの役目ではありません。」
「はっ。誰も連中を責めたりは出来ないでしょう。枢機卿のほとんどは私腹を肥やすのに忙しい。そ
して見栄を張るのに精一杯だ。連中を取り締まるべき審判も連中の子飼だ。そして。」

 彼は、軽薄でありながらも的確に事実を挙げていく。教皇庁の耳に入ればもはや不敬罪に問われる
事を免れないのは明白な発言だが、その発言が紛れもない事実である事はこの場にいる全員が承知し
ており、そしてそれは今日の神の御座の失墜を意味している。

「そして、連中の長たる教皇聖下はあの様だ。」

 本来ならば権威と神聖を背負う神に最も近き人。皆に傅かれ、畏敬と尊敬の念を込めて仰ぐべき存
在を、彼は皮肉な笑みを浮かべて、そう切り捨てた。そして彼が切り捨てた人こそ、こうして連邦の
司令官を集めている原因でもある。

「止めんか。先程から下らぬ事を。」

 神聖なる場所と人を見事なまでに虚仮下ろす言葉に、黙っていた二課の司令官が口を挟む。警護を
司る彼こそ、今回の事例を持ち込んだ張本人であり、また、教皇庁から直に警護を依頼された人物で
もある。

「私は教皇庁の責任を追及する為に円卓を開いたのではないし、また、教皇庁のあり方を議論する為
に開いたのでもない。」  

 年嵩の声に、七課の若い司令官は若干の嘲笑を顔に残しながらも押し黙った。
 再び海の底のような沈黙が舞い降りた円卓の上に、二課の司令官の皺の刻まれた顔の中で、その場
に落ちた沈黙と同じ色を浮かべた口が開かれた。

「この文書に書かれてあるとおり、重大な要求が教皇庁から入った。」

 皺だらけの顔から発せられた言葉に、誰一人として身じろぎ一つしなかった。その事実は既に取得
済みであったし、先程、七課の司令官が放り投げた文書にも、暗号化されてはいたものの、『教皇庁』
の名が窺い知れていた。
 平静を保ち続ける司令官達に、二課の司令官は更に言葉を続ける。

「二週間後、ローマ・ドームにてミサが執り行われる。」
「………法王自らが行うミサですね。」
「そうだ。」

 四課の司令官が、気だるげな視線を動かして呟いた言葉に、二課の司令官は頷く。そして、淡々と
簡単なミサの予定を説明し始める。

「サン・ピエトロ大聖堂で行われる大規模なミサだ。この日、まず法王は朝からローマ市内をパレー
ドで回る。そして市内各地にある教会にて短いミサを行った後、教皇庁に戻る。そして夕方、再びパ
レードでサン・ピエトロ大聖堂まで迎い、二時間に渡るミサを執り行う。この期間、各国からの大勢
の信者がローマ・ドームに集まる。従って、ローマ・ドームは厳戒態勢が布かれ、これには我々二課
も参加する予定だ。」
「まどろっこしいのはなしにしましょうよ。」

 短い説明とは言っても、本題を知る者にとっては無駄な時間だ。それを指摘するように、だらけた
ような姿勢で寛いでいた九課の司令官が言った。

「ミサの内容なんてどうでもいいし、あんたがた二課がローマを警備するのも、あんたがたの勝手。
というか、それだけだったら俺らを集める必要はないっしょ?さっさと本題に入りましょうよ。なん
だって、教皇暗殺なんていう、とくに珍しくもない事例を、今になって教皇庁が連邦に言いにきたの
か。」

 教皇暗殺。
 あっさりと音にされたその言葉に、しかし誰も動じる気配がない。
 それもそのはず。教皇暗殺など表立って公表されていないだけで、今までに幾度としてあった事な
のだ。未遂も含めて、宗教の価値観の違いや政治的陰謀から繰り返されてきた古ぼけた事件。教皇庁
自身はその事実を否定し、隠蔽してきたが、人類を統括する連邦にとってはいくら隠し立てしたとこ
ろで、紛れもない事実なのだ。
 そもそも一つの宗教の頂点に君臨する者が、命の危険に曝されない事のほうがおかしい。
 如何に神の真下に位置し、白亜に包まれていたとしても、実際にその内部までもが清廉潔白である
はずがない。
 別の神を信ずる者にとっては、所詮は異教徒。
 権力を欲する者にとっては、所詮は政権争いの材料。
 神の代理人と言えど、所詮は人間なのだ。
 ましてや、現在の教皇は、それらの人災と戦う力を持っていない。正に、あらゆる意味で格好の獲
物だ。だからこそ、その愚かさを若い司令官達は笑うのだ。
 そんな若者達の嘲笑を、古参の司令官達は苦々しげに見詰める。しかし若者の言葉を否定しないの
は、教皇庁の何処か閉鎖的で、連邦を受け入れない姿勢が事実だからだ。
 連邦が設立されてから六百年以上が経つが、その間、連邦職員が教皇庁内に立ち入った事は片手で
足りる程度だ。それどころか、本来、連邦が発行するべきはずのIDさえも、教皇庁は独自のものを用
い、また、職員にもそれらを発行しているのだ。 
 人類の管理者である連邦としては、如何に神に最も近い場所であろうと、勝手にIDを作るのは犯罪
行為だ。しかし、教皇庁を摘発しようものなら、全世界の信者が黙ってはいないだろう。それを発端
に、世界中で暴動が起きるのは、連邦が最も恐れている事だ。連邦は、あくまでも人類の守護者たら
なくてはならないのだ。それ故、古くから、教皇庁と連邦の間では軋轢があるものの、連邦側の多大
な譲歩によって、外見上、争いは起こっていない。
 しかし、その連邦の姿勢を軟弱と称する若者が、世代交代を繰り返すたびに司令官の中にも増えて
きている。
 そんな教皇庁と自らの属する連邦を嘲笑う若者達の中、唯一沈静していた最も年若い司令官が、こ
つりと手にした万年筆で円卓の表面を叩いた。その音は笑い含みの微かなざわめきの中で、異様なほ
ど大きく響いた。その音に本筋から逸脱しようとしていた円卓の上は、水を打ったように静まり返っ
た。

「つまり――――。」

 甘やかだが他を圧倒する何かを含んだ声音に、その場にあった二十四の眼が一斉に注目する。

「つまり、二課の警備では限界があると判断せざるを得ない理由があるのですね。」

 幼さを未だに残す女性の声音は、それを打ち消すほどに恐ろしいほど滑らかで、一切の淀みがない。
決してこの場に見劣りするものではない――むしろ誰よりも相応しいとさえ思えるその声に、同じく
沈黙を保っていた一課の司令官でもあり、全ての課を統括する総司令官でもある男が頷いた。

「その通りだ。」

 低い、しかし年老いてはいない、だからといって侮られるような若さに溢れるようなものでもない
声が、甘やかな声の後に続けられた。

「二課の警護は、あくまでも公的なものだ。つまり、外部からの敵を排除するものであって、内部の
敵にまで目を向ける事は、連邦としては出来ない。」

 連邦は確かに要人の保護の為に兵を派遣する事も出来るし、非人道的な国に対しては制裁を加える
事も出来る。しかし前者はあくまで対外であり、後者の場合も過半数の国家の承認が必要だ。つまり
表立って内政に干渉する事はできない。例えそれが暗殺という犯罪であっても、国家の敵が国家内部
の者であれば、それは国家内で対処するべきであり、連邦が率先してその敵を排除することは出来な
いのだ。
 それは、国家の敵といわれる人物が、本当に断罪すべき相手なのか、連邦には測りかねないからだ。
連邦はその国の民意まで把握できない。民意に照らした場合、どちらが善で悪なのか、連邦には判断
しきれない。それ故、内紛の和平交渉や難民支援に手を出す事はあっても、内政そのものに手を出す
事は出来ない。
 なるほどと、甘い女性の声は頷く。

「では、教皇暗殺未遂は、他国や異教徒の仕業ではない、という事ですね。」

 暗に告げられた、けれど想定内であった事実。
 つまり、教皇暗殺未遂は教皇庁内部の犯行である可能性があるのだ。
 それはそうだろうと、その場にいた誰もが思う。教皇は、かつてはどうだったのかはしらないが、
今現在は政治権力の渦中にある。不気味なほど――それこそ連邦と同じくらいに権力を握る、教皇と
いう存在。そんなものが政治材料にならないほうがおかしいのだ。
 大体、今現在の教皇こそ、政治材料である教皇の良い見本だろう。
 神の代理人として祭り上げられた聖なる人は、所詮、名ばかりのもので、実際に力を握るのはその
 周辺に群がる枢機卿達だ。そんな状況で暗殺事件が起こらないほうが、しかも内部犯でないほうが
 おかしい。

「今回の暗殺未遂事件は、どう考えても教皇庁内部の手引きがあったとしか思えないものらしい。し
かもそれが相次いでいる。今年は救世主聖誕3000年という事で、教皇庁主催の行事が多い。それを狙
っての犯行だろうが、行事の緻密な日程を知らずには出来ないものが多い。」
「で、連邦にどうしろと言ってるんで?」

 九課の司令官が、だらけた声を上げる。

「二課だけじゃなくて、連邦は内政に直接手は出せない事くらい教皇庁は知ってんでしょ。ってか、
それをネタに色々内部でこそこそやってたんじゃないっすか。」
「だが、同時に、我々が内政干渉できる事も知っているようだ。」

 人類を統べるもの同士に判る、表向きとは裏腹の別の顔。決して馴れ合い、信頼し合う仲にはなれ
ないが、傍目に見れば不気味で張り詰めた、けれど巨大なものには必ず必要な癒着がある。連邦が教
皇庁をただの神の預言を有する場所などとは考えていないように、教皇庁も連邦がすべての国に対し
て人道的な対策を打ち出しているわけがないと思っている。だからこそ、このような文書が連邦に届
けられたのだ。

「ミサを中止するってのは…………無理でしょうね。」

 頭でっかちの連中はそんな威厳を失うような事は死んでもしないでしょうね、とせせら笑うように
九課の司令官は呟く。その言葉を一瞥して、甘い女性の声が響く。

「枢機卿達の事情はどうあれ、ミサを中止すれば市民はその理由を知りたがるでしょう。その時にも
っともらしい言い訳を考えたとしても、疑問を持つ人はいるでしょうね。」
「市民にばれるとまずいってか。ま、教皇を暗殺しようとしている人間が内部にいるとなりゃあ、教
皇庁への眼も醒めたものになるわな。」

 だからこそ、と幼さの残る甘い声は、その声が紡ぐには相応しない政治の闇の部分の言葉を吐き出
していく。

「だからこそ今まで自分達の手の中で事実を握りつぶしていたのでしょう。そして我らに内々に援助
を求めてきた―――正式に、対外的な警備を求めた上で。」

 そう。これは正式に表明されている警備の援助の裏で推し進められているもう一つの警備援助であ
り、事件の捜査依頼なのだ。

「しかし我ら連邦は内政に関与する事はできない。また、関与すれば教皇庁内で何事か起きたのかと、
市民だけでなく諸国からも怪しまれる。」

 つまり、連邦はあくまで外部に対する護衛に徹しなくてはならない。そう思われていなくてはなら
ず、そして同時に、事件を隠蔽するには犯人を秘密裏に葬り去らなくてはならない。それには、連邦
が諸国に放つ事のできる普通の護衛では無理だ。超法的、且つ非合法な手段を用いる事ができる――
つまり連邦の権限を有している、更には世間一般には知られていない、あってはならない部隊が必要
とされる。
 総司令官は、連邦開闢以来、最年少の若さで司令官の座に着いた女性に視線を向けた。
 五年前、先の司令官が不慮の死を遂げてから、何者であっても座る事を禁じられた十三番目の椅子。
その、誰にも座る事が許されなかった椅子は今、一人の女性の下にある。
 かつての司令官の一人娘、ヴィンセント・フォン・ゾーゲンリッツ。美しく艶やかな金の髪を長く
垂らし、しかし最年少であり女性であるという事による侮りを寄せ付けないような、氷にも似た美貌
を持っている。その線の細い身体と美貌にも関わらず、辛辣とも言える手腕を持つが故に『零下の女』
と称される彼女こそ、連邦の中で『有り得ぬ部隊』とされ、一般職員にはその存在すら教えられてい
ない『闇の部隊』である十三課を率いる司令官である。
 連邦の最も暗く悪臭すら漂いそうな部分を背負う彼女に向けて、一つの指令が下される。

「あくまで我らの任務は教皇の護衛だ。判っているな。」

 念を押す総司令官の言葉の裏には、失敗した暁にはいつでも彼女を切り捨てる事が出来るのだとい
う脅しの響きが篭っている。それに対して蕩けそうな、しかし同時に底冷えするような美しい笑みを
浮かべて、ヴィンセントは応じる。

「承知しております、叔父上。」

 微かに篭る嘲りと殺気に、誰が気づいただろうか。しかし、次の瞬間にはそれは立ち消えている。
そして静かな拝命の言葉。

「教皇護衛任務、我が十三課が確かに承りました。」