『憂いの棺』が何故、棺と呼ばれるのか、それは誰にも解からない。
 過去の記憶を閉じ込めた場所であるからなのか、それとも、かつて此処で多数の死者を出す悲劇が
起きたからなのか。真偽は時の中に葬られている。そしておそらく、真実が浮上する事はないだろう。
あるとすれば、棺の底―――誰にも触れられる事のない、最も強く過去を秘めた部分が開かれた時だ
けかもしれない。
 今、その棺の心臓部―――歴史の髄を凝らした技術が眠る場所の、最も浅い場所を、二つの影が歩
いていた。
 影の一つは長身で、その身に匹敵する棒を持っている。
 もう一つの影は、どちらかと言うと小柄で、その身には大きすぎる黒い上着で、細い身体を覆って
いた。
 ハインケルとドライ。
 彼らが歩いているのは、冷たく磨かれたタイルが敷き詰められたエントランス。広大で、両側に左
右のどちらからも同じ踊り場に行き着く階段が伸びている。正面には、エントランスの大きさに見合
う広さの受付が鎮座していた。その奥には、ガラス張りのエレベーターが見える。

「ドライ。」

 ハインケルは、ドライの後ろへと下がった。

「君が先行してくれ。俺には何処へ行けばいいのか解からない。」

 広々としたエントランスからは、更に奥行きがある事が窺える。その奥から、聞き覚えのある足音
がしている。無機質で、生命の気配を感じさせないその音に、ハインケルは身の丈ほどもある刀の鯉
口を切った。

「―――後ろは俺が固める。行け!」

 その台詞にドライは頷く。同時に、あの静かな緑色の光は消え失せ、代わりに瞳孔に蒼い光が灯る。
そして魔法のように一瞬で銃をその手に持ち、天井目掛けて銃弾を撃ち込んだ。エントランスに設置
されている監視カメラが、煙を上げながら床に落ちた。それを合図にドライは階段を目指した。
 固い床は嫌でも足音が響く。監視カメラを破壊したとはいえ、足音を感知して防衛機構が働くのは
時間の問題だろう。それを証明するかのように、階段を中段まで駆け上がった時、頭上から何かの装
填音が微かに聞こえた。振り仰ぐ暇もなく、ドライは無造作に腕を掲げ、乱射。何かが砕ける音が幾
つか聞こえ、二人が駆け終わった階段に、頭部をなくしたガーディアンが着地した。青のように人間
に似せられていない、白いフレームの人形だ。
 弾を撃ち尽くした為、撃ち落せなかった人形は、ハインケルの手中で回転する刀が噛み千切ってい
る。階段を駆け上がった踊り場で、ドライは四方に弾を撃ち込んだ。階段の上で待ち構えていた六体
のガーディアンが、強装弾をまともに受け、大きく仰け反って倒れる。ガーディアンが倒れる間にも、
新たなガーディアンが廊下を曲がってやってくる。
 それらは圧倒的なスピードで、二人を包囲する。魔法めいた鮮やかさで距離を詰め、その身に内蔵
されたマシンガンを旋回させている。普通の人間だったならば、その不吉な回転音になす術がないだ
ろう。
 しかし、機械の処刑人たるドライにしてみれば、彼らの凶器も玩具に等しい。狙点する事すらせず
に、彼は群がるガーディアン達の中枢機構の詰まった頭部を狙撃している。いっそ、無造作とも思え
るその所作は、無造作でありながらも一切の無駄がない。完全に一つの流れとなっている。
 一切の表情を消したドライの背を追いながら、ハインケルはドライが弾切れの為に撃ち損ねたガー
ディアンを切り崩していく。その状態を維持しつつ、下方にエントランスの広がりを臨みながら、右
手に伸びる廊下に逸れる。
 曲がった瞬間、天井近くを飛行している対人モジュールが眼前に迫った。
 手足がない代わりに板のような二枚の羽を回転させ、角の取れた逆三角形の胴体の中央に単眼のよ
うに巨大な銃口が開いている。だが、それを突きつけられても、ドライは何の感慨も見せなかった。
それどころか疾走するスピードすら落とそうとはしなかった。今にも大きく開こうとしている銃口に、
己の手の中にある銃口を向け、一気に六発の銃弾を打ち込む。象をも即死させる直径十三ミリの強装
弾は、放たれようとしていたモジュールからの銃弾を銃口へと押し返す。
 転瞬、モジュールの胴体が、内側から赤く光った。その赤光が銃口から零れ出た、と思った直後、
雷鳴の如き轟音が響いた。暴発した銃口が、惜しみなくモジュールの身体を粉砕したのだ。
 その残骸と小さな火花ががちらつく中を、二人は何事もなかったかのように走っていく。その背後
には、付き従うようにガーディアン達が疾走している。
 どれほど走っただろう。
 少なくとも八体の飛行モジュールを破壊した時だった。
 廊下の雰囲気が、がらりと変化したのだ。先程まで二人の影を水面のように映していたリノリウム
の床は消え、擦れたような金属質の床が足音だけを弾き返している。照明も、極端にその明度を下げ、
深い緑色の闇の中に、赤い非常灯ランプが、揺れるように灯っていた。
 無駄に細く暗い通路の途中で、ドライは足を止めた。その目の前には、黄色と黒で縁取られた、金
属製の扉がある。

「此処だ。」

 鍵穴も、ドアノブもない扉を見て、ドライは短く言った。何が『此処』なのか、それは言わなくて
も解かっている。
 ドライの手には、再び、あの金属板が納められている。その円盤を扉の中央に押し当てた。すると、
扉は重厚な音を立てて、上に持ち上がった。そう、シェルターを覆っていた壁のように。
 中から、小さく音と光が漏れた。
 光ファイバーのケーブルが縦横無尽に走り回るその部屋の中央は、祭壇のように盛り上がっている。
それはちょうど、遠い古代に欧州にあった都市で、中心的役割をしていたというジグラット―――階
段状ピラミッドに似ていたが、ハインケルがそんな事を知っているはずもない。ただ、ハインケルは、
その祭壇の上に安置されている物に気づいた。機械の音が、そこから流れている。

「核弾頭だ。」

 ドライが言うと同時に、ハインケルは祭壇を駆け上がる。そしてその機械――核弾頭の脇で、世界
の寿命を刻んでいる時計を見た。デジタル式の数字は、四十分の残り時間を示している。

「まだ時間があるな………。」

 ハインケルは安堵の溜息を吐き、祭壇を上がってくるドライを振り返る。

「どうすればいい?」

 尋ねると、ドライはそれには答えず、核弾頭の下に設置されたコンソールに手を伸ばした。そして、
数回、キーを叩く。

「ドライ?」

 何も言わずに、短い間隔でキーを叩く人形の顔をハインケルは覗きこむ。
 不意に、ドライの手がコンソールから離れた。そしてその手を己の首の後ろへ当てると、そこから
コードを引き抜いた。伸ばしたコードは、コンソールの左側に開いた接続孔に繋がれる。そしてドラ
イはハインケルを見て言った。

「これより中枢機構に侵入し、全システムを凍結させる。」
「それで核を止められるのか?」

 その問いに、人形は頷いた。

「核システムとのリンクを切り離し、ガーディアンのコントロール・システムも凍結する。だがその
間、俺は貴方を援護する事は出来ない。つまり、貴方一人でガーディアンに対処する事になる。」

 平気か、とドライの視線が言っている。

「………どれくらいで戻ってこれる?」
「少なくとも三分。」

 カップ麺のようだ。
 
「普通の銃弾ならば、俺の刀でも充分対処できるが、劣化ウラン弾のような物を持ってこられた時は、
どうすればいい?」

 青や、その他のガーディアンも持っていたのだ。今から此処に来るガーディアンが持っていないと、
どうして言い切れようか。むしろ、その可能性のほうが高い。
 が、ドライは非情の殺戮機械だった。

「自分で考えろ。」

 無慈悲にそう告げて、ドライは張り巡らされたネットの上に意識を飛ばした。倒れこそしなかった
ものの、腕は力なく身体の両側に垂れ下がり、首も傾げるような形で肩に預けている。
 敵陣にただ一人残されたハインケルは、今頃、光と電子に織りこまれた網の上を、想像もつかない
速度で駆け巡る機械人形の抜け殻を、恨めしそうに見た。
 今はもう、対戦車用の機関銃を搭載したガーディアンが出てこない事を祈るしかない。
 そして、運命の女神はドライ以上に無慈悲で、せっかちだった。
 ハインケルの耳朶を、特徴的な金属質な硬い足音が打ったのだ。
 今から三分間、ハインケル独りの戦いが始まる。